第82話 草むしりも終え
課長に休めと言われてしまったので、俺はこの数日特に何もする事なくだらだらと過ごし、久しぶりにゆっくり体を休めることができた。
仕事のことも何も考えることなく休めるなんて、入社してから始めてのことではなかろうか。まさか学生の時のように気ままに羽を伸ばせる日がくるなんて、ほんとに夢を見ているかのようである。
ともあれ、エンデル達がいるのでそう気ままに過ごすわけにはいかないけれど。最近ではみんなの面倒をみることが、俺の生き甲斐にもなりつつあるようだ。そんなに苦に思うことはなくなっている。
エンデル達も暇さえあれば、こちらの世界の言葉を勉強したりしている。
もっぱらテレビを見ながらだ。特に時代劇と昼ドラをお気に召しているらしく、片耳で翻訳音声を聞きながら、もう片方の耳でこちらの言葉を聞き勉強している。なんか器用な勉強法で俺には真似できない。
という事で日曜の昼下がり。
今日、俺は久しぶりに身体を動かすことにした。裏庭の草むしりがもう少しで終わりそうだったし、天気も良いので皆でコンプリートしようという事になったわけだ。
けして最後だけ手を貸して満足感を得ようとしているわけじゃない。もう一ヶ月近くも草むしりをしているのだから、そろそろ終わらせようと思っただけである。
元々大家さんが怠けていたのが悪いのに、これ幸いと言った感じで異世界人に押し付けている仕事だ。まったく酷い人だよ。管理者の当の本人は、のほほんとネトゲをしているだけだし……マジで使えない。
「ていうかマオ……お前何でその格好なん?」
「うぬ、なんか昔の我の衣装にそっくりな物が置いてあったのでな。懐かしくて着てみたのだ」
草むしりなのになぜかマオは、俺が罰ゲーム用に購入してきた小悪魔コスプレの衣装を着込んでいた。
エンデル達はきっちりと作業用の服を着込んでいるのに、一人だけ妙に浮いている。というよりも場違いだ。
「そ、そうか……」
「うぬ、着心地は抜群だな! こんなものを用意してくれるとは、アキオも我に惚れたのか?」
マオは嬉々として小悪魔衣装を装着して喜んでいる。というよりも、
「惚れるか‼」
なんで惚れなきゃならんのだ? 俺は貧乳好きだが幼女趣味ではない。
というか……これで実年齢が580歳じゃなかったら、非常に可愛いのだけど。
矢印尻尾が妙に可愛いよ。付け角も装備しているし完璧だ。
しかし露出度が多い小悪魔コスプレ……草負けや虫に刺されるんじゃね? そう思ったが、マオはそんなことも気にせずに嬉々として草に向かっている。この辺りも異世界とこっちの世界との違いなのだろうか。わんぱくすぎる。
という訳で草むしりに従事する俺達だった。
「よし、もう少しだ!」
皆は、『おー!』と気合を入れる。草むしりも佳境を迎えたこともあり、一同俄然やる気を出したようだ。
目の前には残りわずかになった草がゆらゆらと揺れ、お隣さんの手入れの行き届いた綺麗な庭がチラチラと垣間見える。隣の芝生は青く見えると言うが、こちらの庭は雑草なので比べるまでもない。芝刈り機で手入れできるようなお隣さんの庭に、人力で草をむしる切なさを噛み締めながら力を合わせて全員で臨む。
──くそう……大家さんのバカ野郎!
今日初めて草むしりをする俺でもそんな罵声を浴びせたくなる。大家さんは怠け過ぎだ。
ちなみにマオもこのあいだお小言を言ってからは、まじめに草むしりに従事している。魔法があれば楽なのだがな、と不平不満を漏らしていたようだが、この世界では魔法は使えないようで、ブチブチと文句を言いながらも、軍手をはめて小悪魔スタイルで草をむしっている。
何気に楽しそうに草をむしる姿は微笑ましいものだ。
エンデル達はもう十分草むしりも体に染み込み、まるで玄人のような仕事っぷりだ。却って俺の方が力任せで素人丸出しだよ。明日は筋肉痛に見舞われそうだ……。
ちなみにツインドリル姉姫は今も筋肉痛らしい。泣きながら草をむしっている。
そうこうしている内に雑草も残りわずかになった。
「さあこれで最後だ! マオ、やってしまえ!」
「うぬ、我に任せるのだ!」
汚れた軍手で鼻を擦りながらマオが誇らしげに、それでいて楽しそうに言う。
鼻の頭が土で汚れているのが実に可愛らしい。これでいて齢五百年を超え生きているなど、まったく信じがたいことだ。
その割に精神年齢が低いのは、どうしたものかと苦言を呈したいが……。
最後の草の根元を握り一気に引き抜く。すると、
──ぎゃああああああああああああっ!
と、悲鳴のようなものが裏庭に響き渡る。
「うわ! なんだ!?」
「こ、これはマンドレイク‼︎ なのです!」
「みんな! 耳を塞ぐんだ‼︎ まともにこの声を聞いたら死んでしまうぞ‼︎」
「な、なんなのですか⁉︎ マンドレイクとは!」
エンデルがマンドレイクと言うと、ピノが耳を塞ぎながら顔を蒼くしている。姫さん二人は何が何だか分かっていない。
この世界のマンドレイクとは、毒性の強い植物の事を言う。高麗人参とよく似た根を持つといわれている。
物語中によく登場し別名マンドラゴラともいい、根が人の形をしていて、地面から引き抜かれると悲鳴を上げる。その声を聞いた者は精神を侵食され気が狂ったり死んだりするらしい。
それはあくまでも物語の中の話で、現実的にはそんなことはない。架空のお話である。
だが今マオの手にある根は悲鳴を上げている……そんなものが本当にあるのか……。
「マジか‼︎ そんなものがなぜこの裏庭に!」
「なんと、この世界にもマンドレイクが自生しているのですね!」
「いや、それはないから‼︎」
なぜかエンデルは目を輝かせている。
マンドレイクはあるが、こっちの世界のは叫ぶわけない!
「──ぎゃあああああああああああっ!」
それにしても抜いた草を手に持つマオは大丈夫なのだろうか? 自称魔族というのだから、そういったものに耐性があるのか?
ゆらゆらと人型に揺れる根を持ちながら平然として立っている。
底知れぬ恐怖に満ちた悲鳴に、エンデルを除いた全員が耳を塞ぎながら恐れ慄いていると、
「──ぎゃあああああああああああっ!」
悲鳴をあ上げている草を持ちながらマオがこちらに振り向く。
「──ぎゃあああああああああああ〜」
「……」
確かに根っ子は若干人型に見えなくはない。しかしそれが悲鳴を上げているわけではなかった。
「……お前かよ」
大口を拡げて悲鳴を上げているマオの頭へ、ゴツンとげんこつをお見舞いする。
「──アウチ‼︎」
「何やってるんだよ!」
「い、痛いぞアキオ! 頭が陥没するではないか……」
頭を摩りながら涙目でそういうマオ。すこし強く叩き過ぎたかな……。
「やかましいわ! なにおどろどろしい悲鳴をあげているんだ?」
「いやな、マンドレイクに似たような形だったから、つい、な」
「つい、な。じゃないよ。みんな怯えているじゃないか。悪ふざけも大概にしなさい」
「ぬぬぅ、すまん……」
マオはしょぼんと肩を落とす。
まあこの日本に、それもぼろパートの裏庭にそんな物騒な植物など自生していること自体がまずありえない。そんなものが生えていたなら、大昔から大変な騒ぎになっているだろうからね。
「なんだぁー、マンドレイクではないのですか……」
「なんでお前まで肩を落とすんだ?」
エンデルはマオ以上にがっくりと肩を落としていた。
きっと向こうの世界ではマンドレイクという植物が本当に自生しており、実際に何かの薬とかアイテムに加工するのかもしれない。という事は良からぬ薬を作ろうとしていたのかもしれないな……。
もしかしたらマジで悲鳴をあげる植物があちらの世界には実在するのか? ゾッとするぜ……。
という訳で、草むしりも全工程を終了したので、大家さんへ報告だ。
「おお、ご苦労さん。ずいぶん綺麗になったなあー、隣の家が見えるのは何年振りだ?」
おいおい、そんなになるまで放置するなよ……。
とはいえ、俺がこのぼろアパートに住むようになってからというもの、表も裏も、庭がこんなに綺麗なことは一度としてなかった。夏場など虫の大量発生で、窓を開けられないこともあったのだ。それを思えば清々しいものである。
ていうかちゃんと管理しろよ大家さん……。
「それにしてもこんなに広かったんですね……」
前庭も広いが、裏庭がこんなに広かったと初めて知った。
このぼろアパートをあと四~五棟建てても余裕の広さがある。大家さんの親の代は、ここを畑として使っていたようだが、今は雑草を蔓延らせている無駄な土地でしかないようだ。
実に親不幸な事だよ……。
「うむ、草むしりはこれで仕舞だな。次は何の仕事をさせようか……」
「まだ何かやらせるのかよ!」
「うむ、毎日敷地内の掃除とか、壁や階段のペンキ塗りとかでもいいかもな」
「女子にペンキ塗りさせるのか……」
「文句があるのか? なら家賃を倍に──」
「言ってません言ってません、誰も文句なんて言ってませんよ~」
文句ひとつで家賃を倍にされるなど、たまったものではない。
まあ、大家さんには色々と援助してもらっているので文句も言えないよな。
大家さんの事だから、建築資材のビティ足場とか用意して安全にペンキ塗りできるかもだし……。
「お、忘れていた。そう言えば要君にお客さんが来ていたぞ」
「ん? 客?」
大家さんはふと思い出したように、俺に客が来ていると言う。
このぼろアパートに客が来たことなど今まで一度としてないのだが……誰だろう?
「おい君、こっちだ!」
「ういっす! せんぱ~ぃ」
うぁ、後輩の山本君だ……。
「な、なにしに来た山本君……」
「なにしにって、先輩が遊びに来てもいいって言ってたじゃないっすか~」
手を振りながら後輩山本君はにこやかにそんなことを言う。
あれ、そうだっけ? そんなこと言ったかな? あ、言ったような気もしないでもない……。
「──っ、せ、先輩……そ、それよりも……なんすかこの方達は……も、もしかして……ここにいる全員と……」
後輩山本君は、俺の周りにいる異世界人達を見回し、言葉を選んでいるようだ。
「おい、お前の考えてるようなことはないからな」
「いゃん! ハーレムっすか! うらやまっす‼」
「聞けよ! そんなのは一切ない‼」
「でも日本は重婚ダメっすよ?」
「分かってるよ! だから聞けって! そんな羨ましいことは一切ないからな‼」
「ならあれっすか……副業? (外国人不法労働者斡旋業でも始めたっすか? いや人身売買⁉)」
今度はやけに現実味のあることを、ひそひそと耳打ちする後輩山本君。
それこそ犯罪者だ。大家さんはこき使っているからそうじゃないと強くは言えないが……まあ外国人とはいっても異世界人だから、この世界の枠には収まらないかもだけど。
とはいえ、どこからそんな発想が出て来るのやら……マフィアかよ。
「なんだよそれ……」
「アキオさん、そちらの方は?」
俺がげっそりとしていると、エンデルがズイッと進みでてきた。
「う、ああ、俺の会社の後輩で、山本君だ」
「なんと、悪徳商会でアキオさんと共にこき使われている方ですか⁉」
悪徳商会言うな! まあそれに近いかもしれないけど。
「これはこれは、はじめましてヤマモト様、主人がいつもお世話になっているのです。妻のエンデルと申すのです。以後よしなに」
エンデルは後輩山本君に腰を折りそんな丁寧な挨拶をした。
それよりもどこで覚えたんだ? その挨拶は……。
「あ、こちらこそよろしくっす……って、主人? 妻のエンデルさん? へっ? もう結婚してるっすか?」
「はい‼」「いや、まだだから!」
ぺかっと顔を輝かせるエンデルの肯定の言葉に、俺は否定の言葉をかぶせた。
実際まだ結婚はしていない。書類上も何もまっさらな状態なのだから。
「どっちなんすか~、でも、このエンデルさんが先輩の彼女で間違いなさそうっすね~」
ニヤニヤしながら、やるっすね先輩~、と、肘で脇腹を小突きながら冷やかしてくる山本君。
イテッ、痛いからやめなさい!
まあ、同じ部屋で寝食を共にしているのだ、そこは否定はしない。彼女でいいとしよう。
「で、他の方たちはどういう関係っすか?」
「うーん、エンデルの知り合いって所だ」
「うぉ! そ、それより、小悪魔がいるっす!」
山本君は小悪魔マオに視線を奪われる。
小麦色の肌に小悪魔ルックは、後輩君の琴線に何か触れたようだ。というよりも、ピノは農家の子供みたいだし、姫さん達も地味な作業服姿なので、今はお姫様ですよオーラが損なわれている分、マオが目立つてしまうのはしょうがない。
「ぬっ? なんなのだ貴様は? 我の姿に見惚れているのか?」
「うひょっ! 喋り方まで小悪魔っぽいっすね!」
食いつきが良い山本君。
小悪魔がどう話すのか俺には分からない。本物の小悪魔なんて出会ったことありませんから。でも魔王だったんだよね、この小悪魔は……。
「とりあえず草むしりも済んだことだし、後片付けして終わりにしよう。後輩山本君、せっかく来たんだから君も手伝いなさい」
へっ? と首を捻る山本君。しかし使える労力は何でも使うのがこのアパートの掟である。遊びに来たとはいえ手伝ってもらうぞ。
むしった草をゴミ袋に詰め一か所に集める。ゴミ収集の手配は大家さんがしてくれているので、明日以降に取りに来てくれるようだ。
そうこうみんなで後始末をし、もうじき終わりそうになった頃、エンデルに持たせていた携帯端末にスカイプの着信があった。
「もしもし、プノーザ? 何かあったのですか?」
異世界にいるプノからのようだ。もっともエンデルに通話してくるのは、プノしかいないので、最初から分かっている事だが……。
一言二言会話すると、エンデルはみんなに向き直り声高に言う。
「アキオさん、エル姫様! 大変なのです‼」
エンデルの言葉に皆は草を集める手を止めた。
異世界にいるプノから緊急通話。
なにが大変なのかは今の所分からないが、異世界で何かが動き始めたようである。
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