自分を生きる。

最近、わけもなくぼーっとしていることがあります。

これまで、酒乱の父親から家族を守るため、強い多動性障害のために目を離せない弟のため、と、常に「誰かのため」に生きていたな、と思うことが増えてきました。


書物などを読んで「自分のために生きればいい」というのは頭の中にありましたが、助けを求めても助けの手を差し伸べてくれない多くの大人を見て、私の人間社会への憎しみは強くなっていきました。ただ、要所要所で助かった、と思える人の登場があったりして、なんとかその感情と戦ってきました。自分で言うのも変な話ですが、悪い意味で「怪物」になってしまう条件はそろっていると思います。日々、葛藤です。


でも最近、体調不良を訴えているので病院に行けというのを無視し逆に怒ってきた父親に対して、もうこんな父親のために自分の能力やエネルギーを使うのはやめようと確信、弟はだいぶん成長してきたし、周りの(主に有力な就労先の方など)人も自立を促してきているのもあって、自分の役目は終わりつつあると感じています。ただ、自分の役目が終わったからといって自分の人生が終わるわけではありません。考えることもなかった、いや、考える余裕や暇がなかった「自分の人生」について、自分自身が能力やエネルギーを使う時がやってきました。


困惑が続いています。洞察力、観察力、弁舌、統率力、その他の能力が他人には理解できない次元で、自分をどう生きていくのか。ゲームでいうと、使いたかった、使うべきだったけど使えていなかったキャラクターを操作することができるようになった、みたいな感覚でしょうか。正直、体当たりでやっていくしかないと思っています。失敗を恐れずに。取り巻いている人を落胆させることもあろうが、それ以上のものを与えていける存在になればいいなと思います。


ある意味、私の人生はここから始まるのかもしれません。引き続き、悩みながら頑張って生きたいと思います。

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