-21- 迫る美貌の竜騎姫に対抗せよ!
――誰でも、物語のなかの英雄に憧れるものだ。
アルストンは敵味方が張りあげる決死の叫び声を、自分でも不思議なほど落ちついて聞いていた。
陣営同士がぶつかり合い、乱戦となったので、指揮を聞かずとも目の前の敵を倒せばいいとわかっている。
人垣が割れて、血眼の敵が命をかけて剣を振るってくる。
一歩、横に移動するだけでかわせた。
誰も彼もが冷静さを失っていて、剣筋は荒れている。
敵は切って捨てた――胴体をざっくりと斬った。
こちらは手傷は負っていないが、喜びは湧いてこなかった。
倒れた
休む暇はない。ここは鉄と血が踊る戦場だ。
次から次へと躍り出てくる敵兵を機械的にさばきつつ、アルストンは無情も感じていた。人殺しは楽しくなかった。英雄がバッタバッタと敵を倒す姿に憧れても、やってみると何も楽しくない。
されど、長年のつらい訓練によって己の剣技は冴え渡っている。
雑兵の動きなど手に取るように読める。
一対一ならば、負けはない。
無根拠の自信だが、神経が麻痺する環境では頼もしかった。
何も考えずとも、手足だけが敵に反応している。
味方の新兵がやるしかない、という悲壮な決意にまみれてがむしゃらに槍を振り回した。恐慌を起こしていて、敵の姿など見ていない。敵の魔術師の魔弾に撃たれて、穴だらけになった。
遠くから聞こえてくる砲声したかと思えば、鉛弾の塊が地面に墜落する。
敵も味方も大砲をぶっ放しているせいで、どこの誰がいつ死ぬかもわからない。
真横で突然、若い騎士がこぷっと口から大量に血を吐いて倒れた。
わき腹を突かれていた。その腹を槍で刺した奴もまた、砲弾のせいで首から上が失われていた。
グロテスクな人体の断面は珍しくなく、あちこちにある。
本当に、こんな場所で英雄が生まれるのだろうか。
「くっそ……はぁはぁ……ちくしょうがっ!」
頭を振る。
雑念にとらわれては、死神に魅入られるだけだ。
そうだ。確か、自軍は混乱したルーツバルト軍の側面を突くことには成功した。
乱戦にはなったが、勝っていると信じたい。
草原を野火が包み込み、濃い黒霧に世界は覆われている。
なんにせよ、合図となる号砲音が聞こえないので、目の前の敵と戦うしかないが。
血煙で目が霞み、長剣は重く、戦いの時間が永遠に思えてくる。
古英雄の小隊に入ったアルストンは、無意識の内に助けを求めて『白煙身』ヴァドリー・ミュミルの影を探した。
移動する際に人の形をした水蒸気を残すので、白煙のあだ名がついた。
彼の華々しい戦績は子供心に耳心地がよかった。
一合で難敵を切り裂く華麗さ。
敵の攻撃を一切食らわない身軽さ。
吟遊詩人の唄う無敵の存在は憧憬となった。
天空から飛竜の咆哮が聞こえた。
生存本能が発揮されたのか、死にかけていた聴覚が復活している。
見上げれば、ケダモノたちが数十騎、竜巻のように空を渦巻いている。
竜騎士が旋回しながら滑降し、炎の吐息を容赦なく数十名の兵隊に浴びせた。空からの火炎による虐殺。逃げ惑うことしかできない。
どさりと、雨粒みたいに人間が落下してきた。
竜が噛み砕いた人間のなれはて。
老人だった。
そしてその顔は何度も絵本の挿絵で見たことがあるものだった。
「ヴァドリー・ミュミル……」
英雄は放り捨てられたゴミみたいに死んだ。
それでも、想像以上に失望はなかった。
子供の頃、憧れたとしてもアルストンはもう二十五歳だ。
既にそういうものだと理解している。そうだった。人間はあっけなく死ぬものだった。
死体から、ぷすぷすと蒸気が噴いている。
火炎で焼け焦げて炭化し真っ黒に固まっている。
しかし、虚空に伸ばされた手に光るものがあった。
美しい魔法の腕輪が虹色に輝いている。
瞬身を実現する奇跡のアイテムにアルストンは目を奪われた。
そっと枯れ木のような腕から腕輪を引き抜き、自分の腕にはめる。
盗んだことへの罪悪感は不思議となかった。
「……これで、俺も、英雄になれるのか」
奇跡を実現しようと両拳を握り、空を視界に収めた。
瞬間移動を可能とする腕輪が輝いた。
これからは、自分のささやかな英雄譚を始めよう。
ヴァドリーのように国中に広がらなくたっていい。
身近な誰かに自慢できればいい。
気合がみなぎってきた。全身が打ち震える。
今まで感じたことのない万能感がアルストンを抱擁した。
またとないこの機会、利用しなければ男がすたる!
――が。
「うおっ!」
突如として、竜騎士たちの三名が巨大な何かの大顎に飲み込まれた。
喰われ、暗い喉の奥へと消える。
隊を組んでいた空を駆ける騎士たちは動転し、一斉に散開した。
――どこからか出現した黒竜。
圧倒的な存在感が、竜騎士たちのまたがる飛竜を威圧した。子猫と
黒竜は成竜だろう――若々しく活力に満ちている。
自由自在に空を泳ぎ、周囲の赤竜の牙や火炎などモノともせず、次々に捕食を繰り返していく。
一方的な殺戮に竜騎士たちに恐慌を起こしていた。
仲間すら見捨て、空の向こうに逃げ出し始めた者までも出てくる。
「クラーレ。いけません。鎧はちゃんと吐き出さなくては消化に悪いですよ。ああ、それにしてもお坊ちゃまは酷なことをなさる。私を歳を取る森林妖精の種族結界に行かせるなんて。妖精から輸血されなかったら、とっくにおばあさんですよ。でも、少し肌艶に張りよくなったような……あら、耳、尖ってる?」
手鏡を片手にぼそぼそと独り言をつぶやくメイドは黒竜の頭上に乗り、念入りに身だしなみを整えていた。
その間、暴風のごとく勢いをつけ、うねる黒竜は竜騎士を次々に追いつめて屠っている。
アルストンはふっと笑い、英雄への道を諦めた。
どんなことでも無理は禁物だ。
竜騎士に空中戦を挑んでヴァドリーのように死んだら元も子もないし、先日偉い貴族の娘か何かを助けたおかげで内衛指令に大絶賛された。このままでも出世はできる。瞬間移動しながら、ちまちまと敵兵を倒して功績をあげよう。
うん、そうしよう。
長い人生、真面目にこつこつとやっていこう。
∞ ∞ ∞
「ボロス!?」
飛竜の紫色の防護結界が回転する足刃によって、紙のように切り裂かれた。
強固な竜麟を砕き、赤黒い肉をえぐり取り、皮膚の下から温かい血液を放出させる。
断末魔の叫びをあげた竜の死によって、空中戦は閉幕した。
アクネロは赤竜ボロスの喉笛を『アレキウスの具足剣』の回転刀で切り裂き、失血死させることに成功したが、代償として騎乗から放たれた光槍で肩を突き刺された。
二人が地上へと落下したときには、既に足下の戦いも決着が見え始めていた。
リンネは本隊を幾つかの分隊に分け、前陣と後陣をうまく操り、後退と突撃で波状攻撃を浴びせていたが、戦力差をひっくり返すほどでもない。
竜騎士の脱落によって多少は有利になったが、陸戦主体でも分がよいわけではない。兵数が多すぎて、市街にまで攻撃が届かないのだ。
ルーツバルト側は伏兵となる、予備隊をフォルクス市内から呼び出している。
その数は千といったところだが、現在の拮抗状態のところでの援軍は否が応でのファンバードの兵たちに劣勢を意識させる。
「はっはー! どうやらあたしの勝ちみたいね! すっごく楽しかったわ! おっ、とっととと」
竜から降りて着地した際、よろめきながらもレオーナは宣言した。
自身もまた重装鎧が砕けて剥がれ落ち、破れた内着の下には裂傷だらけになった皮膚がさらされている。
愛竜ボロスは最期の力を振り絞って主人を運んだが、目を閉じて物静かに死んだ。
主人は後ろをちらりと向いたが、悲しみを見せたのはほんの束の間だった。
「用兵ではどうやらな……まあ、分はわりぃと思ってたよ。数ってのは偉大だからな」
「そうよね。降参する? 命だけは助けてあげるわよ。ていうーか、降参しなさい。あたしもしんどいのよ」
「俺はまだまだ……足りねえぜ」
防護スーツは火竜によって焼かれ、焦がされ、破られている。
敵地のど真ん中ということもあって、敵兵がぞろぞろと集まってきた。
再び、アクネロへの包囲網が敷かれる。
残存する騎士たちは疲弊しながらも、大将同士の決闘が勝利で終わりそうな気配を察し、気を緩ませていた。
人垣をかき分けて寄ってきた者のなかには、ミスリルの姿もあった。
後陣がほぼ無事であることを示す根拠でもある。
くたびれながらも、まだ反抗の意志を燃やすアクネロにレオーナは苛立ちながら長い髪をかきあげた。
下手に暴れられても困るのだ。
戦局は未だどうなるかわからない。敵兵を倒し切ることも難しいし、何よりも竜騎士のほとんどが欠けた今、巨大竜クラーレの討伐は限りなく難しいものになっている。
ひとまず、街に引き上げざるを得ないだろう。
但し、これから特攻をかけ、敵将であるリンネ・サウードスタッドだけでも討つ余力だけは残しておかなければならない。
どうすべきか――レオーナはピンッと思いつくものがあったようで、唇に指を乗せ、嗜虐的に真実を暴き立てることにした。
「そうだ。いいこと、教えてあげる。あんたが執心してるあの子は、スルードを毒殺してるのよ? あんたのお父様は殺されてるの。そんな子に執着するなんてほんと馬鹿みたいじゃない」
その事実は――ひどく、残酷な話だった。
向けられた笑顔はすべて偽りとなり、共に過ごした時間も色褪せ、僅かに残った仲間意識や情愛さえも、根こそぎ奪い取るものだった。
最悪のタイミングで罪を明かされ、ミスリルは津波のように押し寄せてきた罪悪感で身震いした。
違います。
反射的にそう叫ぼうとした――何が違うというのだ。
本当はわかっている。ああ、何も違いやしないのだ。
仕えていたスルードを毒殺したのは否定しようがなく、自分自身なのだから。
何も違わない。
それが白日の下に晒されてしまっただけだ。
本心ではこの秘密はどこかに消え、すべては良い方向に向かうと期待していたのではないか。
虫のいい話だ。自分はあまりにも汚らしい。
内側から昇ってきた炎のような感情に焼かれて、ミスリルは両手で顔を抑えてさめざめと泣き始めた。
しゃくりあげるような嗚咽が響き、悲壮な声が漏れる。
お金が欲しかった。家族を養うお金が欲しかったのだ。身を売るのは当然だ。心を売るのも当然だ。手に抱えた一番小さい弟は病弱だった。だから栄養不足で死んだ。そのときに決めたのだ。こんな暮らしから、こんな村から、絶対に抜け出してやるのだと。そのためならば何を失っても構いやしないのだと。
思い返せばスルードは優しい老人だった。
悪い人ではなかったのに殺してしまった。
貧しい家庭で育ったから貴族という立場を憎んでいた。
自分よりも豪勢な生活に身を浸して、喜んでいる人種と決め込んでいた。哀れな人々からろくに食べしない麦を奪い取って生きてると信じていた。スルードは違った。質素な暮らしぶりは嘘ではなかったのだ。
それをようやく理解したときは遅かった。
また、引き返せる道でもなかったのだ。
内服された毒は体中を巡って無慈悲な結末を呼び寄せた。
その息子にも嘘をつき続けた。いいや、違う。少しの間だけでもなかったことにしたかったのだ。自分の罪から自分を逃したかった。
わくわくとして、楽しかったのだ。
何が起こるかわからない日常でもあった。
平然と一緒に過ごすことで罪業から逃れ、自分が無実の人間のようにふるまったのだ。
常人であれば許されることのない所業だ。
八つ裂きにされても何もおかしくない。
「……かよ」
「んー? 何?」
ぼそりと漏れた声。
レオーナは得意になって顔を覗き込んだが、爛々とした恐ろしい眼光だけが返された。
「そんなこと、知るかよ。そんなのはオヤジの運命だ。俺の運命じゃねえ。奴も奴らしく生きて死んだだけだ。俺も俺のやり方に従って生きて死ぬだけだ」
地の底から発せられたような声は決意があった。
揺るぎない意志を示していた。
傷ついた肩から流れる鮮血を抑えながら、アクネロは両脚を踏ん張って真っ直ぐ立ち上がった。
レオーナはうっ、と唸って残念そうに肩をすくめる。
「……意外、怒んないんだ?」
「怒ってるさ。ドタマにきてる。だから、これが俺の正真正銘最後の一撃にしよう。所有者の俺も制御できねえとっておきだ。お前らの何もかもが、俺は気に食わなくなっちまったんだ。だからあとは、何もかも天に任せるだけさ」
――我が十番目の従属たる斜塔の紋章剣よ。
朗々と唱えられし呪文――天にかざした手を最大限まで伸ばし終えると。
生ける力を失ったようにアクネロは力尽き、どさりと倒れた。
気力も体力も、内蔵していた魔力も使い果たしたのだ。
その代りに出現した剣は――ただひたすらに――巨大だった。
首が痛くなるほど見上げなければならず、内包する質量は想像もつかない。
少なくとも、空を飛ぶ黒竜クラーレが包丁の周りを飛び交うコバエにさえ思えるほどであり。
「嘘……冗談でしょ」
レオーナのつぶやきはその場の誰もが思ったことだ。
その魔剣は存在感がありすぎた。
天空の雲にすら届く途方もない長さでもある。
横幅も広く五十メートル近い。
その得体も知れないモノは不安定に揺れていることもあり、ルーツバルト軍のみならずファンバード防衛軍さえも恐怖を与えるものだった。
十番目の従属剣『気まぐれにぐらぐら揺れる振り子』は元々は魔剣というよりも攻城兵器として誕生したものだった。
伝説の巨人さえ握ることが不可能なサイズの魔剣は巨大なオブジェでしかないが、言うまでもなく倒れれば敵軍のダメージは甚大だ。
しかし、難点が一つだけあった。
それは――
召喚後にどこに倒れるか所有者にもわからないことだ。
ぐらっ……ぐらっ……と、雲をかき混ぜて大気を揺るがす超絶大剣の様子を望遠鏡で見つけたリンネもまた、慌てて全軍退却の号令をくだした。
一刻も早く逃げろ、という軍隊では通常使われることのない太鼓の音が響く。
敵も味方も区別なく、皆殺しにする魔剣の性質をリンネは熟知していた。
倒れてきた剣圧で潰されればまず助からず、海を斬り、大地の形すら変えてしまう恐ろしい類のものだ。
「ちょ、ま、嘘でしょ。マジで? マジで? 街に当たるよこれ? いいの? 罪もない民衆とか人質死んじゃうよ?」
不運にも剣の影のなかに入ってしまったレオーナの制止の声は虚しく響き、背後の味方も悲鳴をあげて逃げ始めた。
「うっ、うっそぉおおおおおおお!? ぼ、ボロス! あ、いないんだった。あぁぁぁあああああああああああああ!」
かくして。
突然しかけられた運命のギャンブルに負けたルーツバルト軍の大半は一振りの魔剣によって士気をくじかれ、敗北したが。
ファンバード防衛軍にしても勝利を素直に喜べず、大功を成し遂げた領主を英雄として祭り上げようとする動きはなく。
後世においてパーティー戦役とふざけたネーミングをつけられたが、出し物の最後を締めくくった男は誰からも褒められることはなかった。
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