-13- 街の守護者を八つ裂きにせよ!

 


 ローツ霊峰の麓にある<ミックのサラマンダー牧場>をアクネロ一行が訪ねると、平飼い鶏舎と似た小屋が二棟ほど並んでいた。


 丈長い草地が外柵で仕切られており、その向こう側は淡褐色となった草木がぼうぼうに伸び、どこからか渓流のせせらぎの音が聞こえてきている。


 下草の隙間から水面が覗き見えたので、内側は溜め池となっているようだ。


 建物から獣臭と、堆肥たいひのすえた臭いが空気に乗って流れてくる。


 表向きは畜産場にふさわしい、のどかな牧場といった風情ではある。


「ここが生産地か。レストランを五軒も回らせておきながら、サラマンダーが食えなかったんだぞ。これでなかったら、お前を逆さ吊りにして焼いて食うからな」


「うっはー☆ うさぴょんは食べ物じゃないよ♡ 許してぴょん」


「ダメだ」

「うさぁ……がくがくぶるぶる」

「はぁーっ、移動ばっかりで疲れました」


 ミスリルは両肩を落とし、疲労の吐息をついた。


 案内人のうさぴょんに連れ回されてあちこちの料理店を回ったもののサラマンダーはメニューから消えていたり、品切れ状態になっていた。


 ようやく詳しい事情を知る店主から聞くと、ここ一年ほど市場に流通していないとのこと。

 

 食べようと思っていた物が食べられないと、人は意地になることもある。


 街で昼飯を摂るはずが時間は流れて夕方だ。

 山間に赤銅色の太陽が沈んでいる。


 妥協を知らなかった一同は我慢の限界を迎えていた。


 茂る草を踏みしめて、アクネロは牧場主が住んでいると思われる建屋をこんこんとノックした。


 呼びかけても返事がなかったのでドアノブを回すと、鍵は開いていた。

 物音も聞こえず、人の気配はほとんどない。


「おーい。客だぜぇー……と」


 部屋に中央に不自然な人影があった。


 宙に浮いている男がいる。


 アクネロがゆっくりと目線を上向けると、りょうに縄が括り付けられ、輪っかに首を通している。


 浮いているのではなく、足がぶらんと吊り下がっていることが判明した。


 首吊り自殺の現場である。


 後ろで唖然としている女性陣に振り返り、わざわざじっくりと悲痛な表情を確認してから、アクネロは正面に顔を戻して咳払いした。


「んんっ! おほんっ、なんていうか……なんだ。こんなしけた牧場で、ここまで新鮮な気分になれるとは思えなかった。今の俺の心は爽やかな風が吹いている。歓迎の出し物としては素直に楽しめた。とにかく、身体を張った芸ってのは刺激的なものだからな」




 ∞ ∞ ∞





 牧場主の中年男、ミックを引きずり落として蘇生措置を施すと奇跡的によみがえった。


 縄の位置が悪かったせいか、遊び心を刺激されたアクネロがぶら下がるミックをサンドバックに見立て、心臓ハートブレ打ちイクショットを試し打ちしたのが奏功したのか。


 再びミックは生者の世界に戻ってきたが、息を吹き返して意識を取り戻すと、生を実感したのかしばらく呆然としていた。


 やがて仰向けに天井を見つめたまま泣き出し、嗚咽しながら現世の苦渋くじゅうを噛みしめた。


「おい、助けてやったんだから、無料ただでサラマンダー食わせろよ」


「ただ面白半分で殴ったのが、たまたまうまくいっただけじゃないですか……あいたっ!」


 ミックを見下ろしながらアクネロは要求したが、傍らに立つミスリルがぼそっと苦言を呈したので、ぽこんと頭を小突いた。


 ミスリルは両手で頭を抑えて涙目になる。


「お坊ちゃま、お茶の用意ができました。冷暗所にサラマンダーと思しき乾燥肉がありましたので、シチューを煮ております」


「でかしたぞルルシー」


「領主様たちって、普通に他人の家のキッチンを使っちゃうだね。権力者って凄いねー☆」


「あっ、ルルシーさん、私もお手伝いします」


「ではお皿を洗って清潔にしてください」


 泣き崩れているミックをよそに、メイド二人はテキパキと動き始めた。


 食事の支度が整うと、アクネロはミックの腕をつかんで無理やり立たせ、強引にテーブルに押し込んで座らせた。


「食えよ。そして話せ。てめえは何が頭にきてくたばりたくなったのかをな」


 家主の許可が宙に浮いたまま夕餉ゆうげが始まり、大鍋のシチューが皿に配分された。


 スプーンを片手にそれぞれのペースで食していると、出来事について行けず呆然としていたミックはようやく事態を理解したのか、口を開いた。


「あの……皆さんはどういった方々で……」


「俺はアクネロ・ファンバード辺境伯だ。この地を支配する領主でもある。お前のサラマンダーがうまいって評判らしいから、仕入れにきた」


「あぁ……そんな馬鹿げた話が……いえ、でも、深く感謝致します。俺のサラマンダーを評価してくださって。でも、もう牧場は閉鎖しようと思っているのです」


「なぜだ。このトカゲ肉はうめえぞ?」


「同意します。味見もしましたが、肉そのものについた辛味のある強烈なハーブのせいか、気にしていた獣臭さがまるでありません。鳥肉のように柔らかく噛みごたえ……それでいて、後を引くほどギュッとした肉汁の旨味までありますね」


 同調するルルシーが寸評すると、ミックは初めて笑みを浮かべた。


「あはは、ドブネズミをエサにしてるってのは俗説なんですよ。本当はグリーンネズミっていう菜食性のネズミをエサにしてるんです。だからか、サラマンダーの肉自体にハーブの下味がついてるんです……俺もこの味ならイケるって思ってたんですが」


 結局ネズミを材料としてるじゃん、とは誰の顔にも浮かんでいたが、一同は優しさからか、あるいはその肉のうまさからか、口をつぐんだ。

 

 評価が嬉しくなったのか、ミックは事情を語り始めた。


「どこから話しましょうか。皆さんがご存知かわかりませんが、山岳都市アイグーンの守護者のドラゴン様がいらっしゃるのです。隣国ルーツバルトとの境界線にねぐらを構え、山野に敵兵が埋伏した際は、我々に危機を教えに来てくれる強力な味方です。それだけでなく、戦闘でも業火で敵を焼き払ってもくれる……これは彼が交わした古い盟約によるものらしいのですが……ここ一年近く、様子が変わってきたのです」


「カマになってきたんだろ。知ってるぜ」


「ええ、女性物の高級品を欲しがるようになり、徐々に気性が荒くなってきました。縄張りにも気を遣うようになり、森に大量にいたげっ歯類。グリーンネズミの乱獲し始めまして……エサの確保も難しくなりました。一番許せないのが、ドラゴンはグリーンネズミを食べるためではなく、ただ殺しているだけなのです。おかげで俺の作った野池に集まっていたグリーンネズミも姿を見せなくなって久しく、肥育しているサラマンダーも数が減って……もう牧場はにっちもさっちもいかなくなっています」


 森は生態系の頂点にいるドラゴンの変化は様々な影響を及ぼす。


 それは単純に生物の個体数の増減にも直結している。


 腕組みしたアクネロはシチューの灰色肉をスプーンですくい取り、よく噛んで飲み下した。


「残ってるのは何頭だ?」

「四頭です」


「一頭ゆずってもらうぜ。ついでに狂ったドラゴンの肉もついでに持って帰るか。奴は筋張っててまずそうだが、王侯貴族は喜ぶだろう。お前の悩みも解決するし、一石二鳥だな」


 疑うことなく存在は一騎当千。

 生ける伝説にして果てなき長寿を得る魔物の炎王。

 業火を操りしドラゴンに挑む辺境伯は、野ネズミと畜産トカゲを護るために決意を表明した。








 一同はミックの家で夜を過ごすこととなり。


 わら布団の納屋でぐっすり眠るミスリルが、大型犬ほどの大きさのサラマンダーの長い舌でベロベロと頬を舐められるなどハプニングはあったものの、朝が来ると討伐に向かうため、ローツ霊峰は入山することとなった。

 

「ご主人様、本気でドラゴン退治なんてやるんですか? どう考えても無謀ですよ。色々と手間が省けて助か……じゃなくて、死にますよ」


 失言に気付いて両手で口許を覆ったが、傾斜となった山道を進むアクネロは憮然としながらも、何かに感づいた様子もなく歩調を変えずに歩いている。


「無謀じゃねえ。俺は近衛騎士時代、ワニの尻尾をつかんでジャイアントスイングする度胸試しに夢中になってた。俺は隊のなかで一番の記録保持者だったし、ワニもドラゴンも同じ爬虫類だ。楽勝だよ」


「お坊ちゃま、厳密にはドラゴンは原始竜類というものです」


「ルルシー。お前とほんの些細な違いについて議論するつもりはない。なぜなら、俺にとっては万物すべてが等しく遊び道具だからだ」


 ドラゴン退治などついてくるはずがない、ガイドのうさぴょんは山の裾野で手を振って見送っている。


 ミスリルは名残惜しそうに後方を振り向く。

 彼女とともに残りたかったからだ。


 今度という今度は、死が待ち構えている。


 生存本能が警鐘を鳴らしているのだ。


 こんな冒険についていきたくはない。

 なぜメイドがドラゴン退治について行かなければいけないのか、意味不明でもある。


「しかし、今からぶち殺しに行くドラゴンが突然カマ野郎になった理由は気になる。かの老竜クラーレは俺たち人間にとって都合の良いバケモンだった。遠くに住む物知り爺さんみたいなもんだ。近所のジジイがいきなり女装したら俺は即座に衛兵を呼ぶし、俺がドラゴンと接点の多いディタンの立場なら、心労で倒れそうになるだろう。奴の及び腰の対応にも少しばかり違和感があるな」


「クラーレが物品の要求など、高飛車になってきているのはあちら側に心が寄っているということではありませんか?」


 ローツ霊峰に向こう側はルーツバルト公国。

 物を欲しがるのなら物欲があり、買収された可能性は捨てきれない。


「ファンバードとルーツバルトを天秤にかけてるのかもしれねえな。そんな水辺の浮草みたいな野郎は俺に必要ない。どこに流れるかわかったもんじゃねえしな。どの道、大勢の兵隊じゃあ老竜に勝てねえ。奴は飛ぶし、硬ぇし、デカい。俺が単騎でぶっ殺した方が手間が省ける」


「その……ご主人様、討伐の作戦などはあるんですか?」


 ルーツバルトという、自国に懸念が向く会話の流れを断ち切るべく、ミスリルがためらいがちに尋ねるとアクネロは頷いた。


「あるよ」

「どんなのです?」


「まず、奴のタマをぶった斬る。間違いなくダメージがいくし、悶絶して動けなくなる。次に肛門を狙う。百パーセント鱗がない部分だし、地獄の苦しみを味あわせることができる。どっちも下から斬りやすくていいだろ」


 ミスリルは言葉を失った。

 何にしても、作戦が最低だということだけはわかる。


 


 ∞ ∞ ∞





 山岳都市アイグーンの街角をさまよう男、元陶芸絵師のトータスは苦しんでいた。


 商売がうまくいかないのは、まだ許容できる。

 けれど、自分が見出した芸術が理解されないのは悲しかった。


 トータスは過去にパトロンに招かれ、上流階級のパーティーに出席した際、色粉や保護クリームで爪をぴかぴかに磨き、自らの美しさのエッセンスとする令嬢たちを盗み見て、あれこそが新しい商売の種になると確信したのだ。


 爪は健康状態を示すものだし、美しければ魅力になると知った。


 自然で健康的に仕立てた爪もよいが、あえて情熱的な赤の斜線を描いたり、流行の魔術文字ルーンを刻んだり、メッセージ性を含ませた文字を書くことも思いついた。


 誰もがやっていないことを自分がやることで、先駆者となる。富と名誉が手に入り、成功者の仲間入りできる。


 ――はずだったが。


「はぁ……やっぱ辞めようかな」


 化粧品の流行する街だからこそ、思い切ったのがあだとなった。受けるかどうかも確かめず、自分の店をいきなりオープンしてしまったのだ。


 主要道路から外れた脇道だったが、女性向けの反物屋や雑貨店も並んでいたし、人通りの多い立地で好条件だった。


 地爪に化粧するのが抵抗がある人に向けて、付け爪の展示品も数多く用意したし、デザインも練りに練った。


 陶芸絵師として修行した五年間。

 細かい筆の運びには絶対の自信があった。


 ただ客が来なかった。


 真新しい発想は受け入れられず、ただ漠然と店を構えているだけでは誰も見向きもしないとようやく悟った。


 その頃には開業資金は底を尽き、蓄えもなくなった


「チャンスだ。俺に必要なのはチャンスだけなんだ……」


 歯を噛みしめて、トータスは震える拳を握った。


 身綺麗で美人のメイドに声をかけたのだって、可憐な細い指が美しいこともあったが主人が相当な金持ちと踏んだからだ。


 金持ちは金持ち共通のコミニティがある。

 些細なきっかけをつかめれば話題になり、のし上がれるはずだ。


「お兄ちゃん。何してんの?」


「イーリィ」


 気が付けば目の前に妹が立っていた。

 ガイドの仕事用の愛想笑いは消えて無感情な声音。


 瞳の奥に哀れみが浮かんでいる。

 トータスはざわついた心を抑えるために心臓の位置に右手を当てた。


 年端のいかない妹に侮蔑されていると思うと、自分が息を吸っていることさえもが罪深く感じるようになってくる。


 ばさりと着ぐるみの頭巾を脱ぎ、頭の上に載せていた銀貨を三枚、手の平に集めて握る。


 イーリィはしかめっ面で逡巡した後、一枚を差し出してきた。


「ちゃんとした衣服買ってきて。臭うから、公衆浴場にも行ってよ。余ったお金はお小遣いにしていいから」


「イーリィ」


「夢よりも生活だよ。領主様が気前よくて助かっちゃった。きっとお兄ちゃんに同情してくれたんだろうね……情けないよお兄ちゃん。もう立派な大人の男なのに、夢見がちな乙女みたい」


 ああ――自分を形作っていた大切なモノが粉々に砕け散るのがわかった。


 立っていることさえもが難しく感じる。膝ががくがくと揺れていた。名状しがたい感情の濁流が心を洗い流し、何もかもを奪い去っていく。


 プライドはもうとっくに捨てたつもりだった。

 違った。捨てきれていなかったのだ。


 もう、おしまいだ。


 絶望のあまりがっくりと、俯くとちょうど手に持った銀貨が一枚、視界に入る――民話に登場する世界の果てに航海する帆船の細工がトータスの視界に入った。


 本当に自分の冒険の船出は終わったのか。

 いや、待てよ。


「……イーリィ、あの人は領主様なのか?」


「ん? ああ、そうだけど……なんか、パーティ用の食材を集めに来たとか言ってたかな。言葉遣い荒いけど面白いっていうか気さくっていうか……変わってる人だったけど、あたし好きよ。ガイド料多く貰えたし」


 パーティ!

 天啓のようにアイディアが舞い降りた。


 きらびやかな銀貨の出所――金はあるところにはあるのだ。

 自分が上流階級のパーティーに出席してパフォーマンスできればどれだけ素敵なことか。


 栄光を集めるならばどんなことだってやる。

 とにかく関心を買えばいい。

 腕を見せればいい。

 全力で最後にやってから、ダメならすっぱり諦められる。


 そうだ。

 これが最後に残った希望への道筋なんだ!


 衝動のままにがばっとトータスは妹の両肩をつかんだ。

 瞳には生気が舞い戻っている。

 驚いたイーリィは泡を食って目を白黒させた。

 なよなよしながら落ち込み、無気力に近かった兄が突然、やる気を出したせいだ。


「領主様はどこにいる!」


「え、ええっと……ローツ霊峰に登るって……ドラゴン退治するとかで」


「よしっ! イーリィ、絶対にお兄ちゃんは成功してみせるからなっ! 待ってろよ!」


 妹の横をすり抜け、脇目も振らずトータスは駆け出した。

 前方に雲を突く大山が鎮座している。

 目指すは頂点。駆け登るべき人生の先。

 老竜の棲まうローツ霊峰。


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