花暦 はなごよみ
良崎歓
第1話 シロツメクサ
「何やってるの」
僕の声に、彼女はわずかに肩を震わせただけだった。傾いた日に長い影を落としながら、振り向きもせず、何事もなかったように作業を続ける彼女。聞こえなかったふりをしたのだろう。
「寺内さんでしょ? そんなところで何してるの」
「……四つ葉を、探してるの」
寺内さんは観念したのか首だけを僕の方へと向けて言うと、再びもとの姿勢へと戻る。
なるほど、彼女が座り込んでいるのは白くて丸い花が咲き乱れる、その真ん中だった。通学鞄はシロツメクサの上に投げ出されている。小さな公園の隅っこ、人通りが多い通路のすぐ脇の辺りで、寺内さんは一心に地べたを見つめていた。
そして僕はそんな寺内さんを見つめる。
同級生になって二ヶ月が経つが、寺内さんのことを気に掛けたのは今が初めてだった。彼女はそれほどに地味で目立たない生徒で、強いて言うならば可もなく不可もない女子だった。
その彼女が、度の強そうな眼鏡も制服のスカートも砂埃だらけにして、ショートボブからのぞくうなじを無防備に晒して、四つ葉のクローバーを探す。
僕は、なぜ、という言葉をぐっとこらえた。僕と寺内さんは、そこまでの間柄ではないからだ。せいぜい、通りすがりに一声掛ける程度。そのくらいの距離感だ。
でも、気になる。妙に惹かれる。
寺内さんはまだ地面を見ている。シロツメクサの葉に手を伸ばし、場所を変えてまた手を伸ばし――。
「ねえ、僕も手伝おうか」
「いいよ。楢山くんに悪いから」
「見つけたいんでしょ?」
「それは――」
寺内さんは口ごもる。僕はそれを遠慮と解釈して、彼女の隣に座りこんだ。寺内さんは眼鏡の奥で目を見開いたが、手を止めて呟いた。
「楢山くんに迷惑かけるだけだから。……『見つけたい』んじゃないの。四つ葉を『探してる』の。見つけたら、探し終わっちゃうでしょう」
「……うん、そりゃ、そうだね」
何を言っているのは分かる。
しかし、その真意は分からない。
「私、ただひたすら四つ葉を探したいの。それだけなの」
寺内さんは、初めて僕の顔を見た。
「何も考えたくないときは四つ葉を探すの。……最初は、本当に幸運を見つけたくてそうしてたはずなんだけど。今は、見つからないって前提で探してるの。探して探して、ふと気付くと、いつの間にか時間が経って。その間は、嫌なことも嬉しいことも忘れていられる」
僕も、初めて寺内さんの顔を見た。赤く腫れた目。細い頤に伝う雫。
返す言葉を失って、僕は俯いて四つ葉を探し始めた。寺内さんは気まずそうに僕に詫びる。
「ごめんね。探すのは私だけで充分。だから楢山くん、わざわざこんなことに付き合わなくたっていいよ」
「こんなことなんて言っていいことなのか? 泣きながらひとりぼっちでありもしない四つ葉を探し続けるのは、こんなことって程度なの?」
「だって、わたし、どうしたらいいか――もう、わかんない。泣くしか、できないし。泣いたって、何も解決しないって、ほんとは知ってて――」
返ってきたのは途切れ途切れの言葉だった。寺内さんは両手で顔を覆い、押し殺した嗚咽を漏らす。
「こういうときだからこそ、四つ葉を見つけるのさ。……僕も、一緒に探すよ」
「……楢山くん」
ありがとう、と小さな声がした。
僕は健気なものが理屈抜きに好きだ。
例えば、踏まれても刈り込まれてもしなやかに伸びてくるシロツメクサ。
何があったのかは知らないが、夕方の公園で四つ葉を探し続ける女の子。
そして僕は、その健気なものの『力』になれる。
「四つ葉は、アメリカではそれぞれ、富、名声、愛、健康の象徴っていわれてるんだ。そして、四つ揃うと『真実の愛』。日本では、希望、信仰、愛情、そして四枚目が『幸福』」
寺内さんに気付かれぬよう、僕はシロツメクサを掻き分けて土に触れた。
僕の指から注がれる『力』が、シロツメクサの株の隅から隅まで行き渡り、満ちる。成長点を刺激して、新たな葉が生まれる。一枚、二枚、三枚――そして、四枚目。
「寺内さんはどれが欲しい?」
「考えたこと、無かった。……いつも探してたのに、私、そんなこと少しも知らなかったもん」
「じゃあ、考えてみてもいいかもね。……ねえ、あったよ、ほら!」
たった今、自ら創り出した四つ葉を、僕は指差した。
寺内さんは涙に濡れた手でそれを摘むと、愛おしむように目の前にかざした。ひとつひとつ葉を数える声を、僕は黙って聞いていた。
「一枚、二枚、三枚。……四枚」
「見つけちゃったね。どうする?」
寺内さんは少し困ったように微笑んで、「どうしよう?」と逆に聞き返す。
「……探し終わっちゃったのに、なんだか少し嬉しい、かも」
「よかった」
僕はほっと胸をなで下ろす。
花を育てる、ただそれだけしかできない僕。余計なことをしたんじゃないかと後悔することもままあるけれど、寺内さんの笑顔を見る限り、今日はそうでもなさそうだ。
夕日に照らされた頬を真っ赤に染めて、寺内さんはたどたどしくお誘いの言葉を口にした。
「あの、楢山くん。……も――もしよかったら、今から何か食べに行かない? お礼っていうほどのことはできないけど、その――」
僕は返事代わりに先に立ち上がると、まだ座っている彼女の方へと手を差し出した。
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