第7章 夢の中へ夢の中へ

7-1

 道中でコンビニを見つける度、母が入りたいと駄々をこねるので、自宅に着くころには23時半を過ぎていた。


 もうかなり遅い時間だというのにやはり気になるのか、シンクに放置していた食器類を片付けると言って、母はダイニングへと向かう。

 そのまま自室に戻ってもよかったのだが、何となく俺もその後に続いた。彼女はいつものようにSサイズのゴム手袋をはめて洗い物を始めた。


「どうだった? 母さんたちのラブラブエピソードは」


 お気に入りのカップを丁寧に洗いながら、聞いてくる。


「千鶴は興奮して死にそうになってたな。俺もだいぶお腹いっぱいだったよ」


 でしょ? と得意気に笑う。


「あと、素材をそのまま食うってのがいちばんヒットだったな、俺的には。腹、壊さねぇのかな」

「んー、野菜はほら、バーニャカウダだと思えば。あと、生魚はお刺身ってことで。もしくは胃の中で調理してるのかもよ。なーんて」

「バーニャ……何それ」

「オシャレな野菜スティック? みたいな」

「じゃあ野菜スティックって言えよ!」

「アンタ、突っ込みが早くなったわね……」

「何か今日1日で鍛えられた気がするんだよな」


 コンビニで買ったペットボトルの緑茶を一口飲む。


「いやー、それにしても、千鶴ちゃん可愛かったわねぇ。女の子とあんな風におしゃべりしたの何年振りかしら。本当にお嫁に来てくれたら良いのにー」


 食器はすべて洗い終わり、手袋を外し、乾いた布巾で1つ1つ丁寧に拭いていく。何もしないというのも手持無沙汰なので、それを食器棚に戻す作業を手伝うことにした。


「まだ早すぎるだろ。何言ってんだよ」

「えー? だって母さん、父さんと結婚したの16の時よ? アンタ産んだのだって19だったんだし」

「そうだけどさ。俺らにも俺らのペースっつうもんがあるんだよ。母さんたちのはレアケース中のレアケースなんだからな!」


 そうぴしゃりと言うと、母は露骨に寂しそうな顔をした。


 ――畜生。そんなのぜってぇ反則!


 そう思いつつもついフォローしようとしてしまうのはひとりっ子のサガってやつなのかもしれない。


「……まぁ、でもさ、なんか微笑ましい話だったな。父さんの天然ぶりにはびっくりしたけど」

「ふふ、何か可愛いでしょ。人間の姿でいることが普通なわけじゃないからね、世間の常識とかには疎いのよ。まぁそれはあたしもだったけど。オジサン家の一件でこれはまずいと思って、お互い勉強したんだから」

「母さんは父さんから字を教わったんだよな。16の手習いか。すごいよな、それでいま作家だろ?」

「まぁ、わからないのは漢字とかだったし、それに、先生が良いもの」


 なぜか再び得意気である。


「はいはい、ごちそうさま。俺寝るわ、お休み」


 まだ中身の残っているペットボトルを持って、俺は自分の部屋へ向かった。


 部屋に戻り、部屋着に着替える。


 嵐のような1日だったなぁ。

 後半の内容が濃すぎてなんか霞んじゃった感があるけど、俺、一応告白したんだよな。それに……キス……したし。


 千鶴の唇、すっげぇ柔らかかったなぁ。


 しかし、父さんのあれは反則だよなぁ。

 っつ――か、やることやってんじゃん、父さん!


 そして、今日は一度だけ水の量を増やす魔法が成功したことを思い出し、おもむろに飲みかけのペットボトルの中に人差し指を入れてみる。入れる際に一瞬「抜けなくなったりして」という考えがよぎったが、そもそも俺の人差し指はそんなに太くはない。


「何が違ったんだろうなぁ」


 ベッドに座り、ペットボトルを少し傾ける。緑茶が指先に届いたところで目を瞑る。


 増えろ。

 増えてくれよ。

 さっきは増えたじゃねぇか。

 何でだよ。増えろよ!


 飲み口の小さいペットボトルではかき混ぜるのが難しく、ボトルの方を揺らしながら、俺は念じ続けた。

 しかし一向に量は増えない。またきっと塩味の緑茶が出来上がったのだろう。もはや舐める気力もなかった。


「やーめた。今日はもう寝よ」


 ベッドサイドにしっかりと蓋を閉めたペットボトルを置き、ベッドの上に転がった。


 父さん、本当に俺らの近くにいんのかよ。

 もう俺怖がったりしねぇよ。

 こんなに会いたいって思ってんだから、顔見せてくれたっていいだろ。

 せめて、声だけでも……さぁ……。


 瞼がだんだんと重くなってくる。


 電気……消さないとな……。


 ずっしりと重い身体を起こして電気のリモコンを探す。


 どこに置いたんだったっけ。

 机……いや、枕のとこか……。

 何だよ、わざわざ起きなくてもよかったじゃねぇか。


 リモコンで部屋の電気を消すと、室内は暗闇に包まれた。

 家の前を通る車のヘッドライトが、カーテンのわずかな隙間から漏れる。いつもならカーテンをきちんと閉めに行くのだが、眠気はもう限界だった。


 ヘッドライトに照らされた室内に大きな影が映し出されたことも気付かず、俺は深い眠りについた。

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