審判の日 悔悛 182

正直に、告げた。

 その前もあとも思い返したけれど、さいちゅうに考える余裕はなかった。行為自体に対する負荷が大きすぎたという、ただそれだけのことかもしれないけれど。

「ミズキさんも、そうだと思ってたのに……」

 あさましいことだけど、それはやはり、残念だった。彼のリビドーが浅倉くんにあると言い切られているような気がした。私は刺身のツマみたいなものだ。添え物だ。

 たしかに予期していたしひそかに覚悟もしたけれど、よもや浅倉くんに嫉妬する羽目になるとは気が滅入る。ホモソーシャルでホモセクシュアルな関係なら、女の私の出番はないじゃないか。だからさいしょにはっきりしろと迫ったのに。

「姫香ちゃん僕は」

 彼が、何か言いかけようとしたところへ、私は首をふった。

 今さら、聞く気はない。

「それでミズキさん、今後、どうするつもりなの」

 私はこの体勢で言えることではないと重々承知のうえで、できるかぎり低い声がでるように気をつけて、相手の顔を見た。冷淡で傲慢だとまで言い切られ、ただ腕力と体力がないというだけで主導権を譲り渡すつもりはなかった。自ら立場の弱さを晒してきたのだから、それなりの覚悟があるだろう。

 彼は私が気を変えたのを察して、低い声で迫った。

「まずは君が希望を言いなよ」

「どうして」

「僕は、君の本心が聞きたい」

 大きく息をついて目を閉じて、この不利な状況を改善しようと試みた。

「とりあえず、椅子に座りたいんだけど」

「それは君が自分の本当の気持ちを言ったらね」

 そう言って、口角をつりあげた。

「何を、言わせたいの?」

「君は、自分の言いたいことをずっと言わないできたよね。僕は、それが聞きたい」

 そんなことを言われても。

「浅倉くんが好きだと言っても手放す気がないんでしょ?」

 痛みを感じたように彼が顔を顰めたことで、自分がずいぶん酷いことを言った気になった。でも、首のうえにある手は離れなかった。

「……君はそうやって、一生、自分の本当の気持ちを認めないで見ないふりで逃げ続けるつもり? ほんとに臆病だね」

「ミズキさん」

 胃の底に熱を感じた。

 臆病と謗られる理由はわかる。私は臆病だ。でも、こんなふうに不利な状況へ追い込まれてそれを名指されたくはない。

「僕がこれだけのことを言ったのに、君はまだ強情を張るつもりなんだ。あんまり素直じゃないようなら、身体に聞こうか」

「そういうヤラシイこと言われるの嫌だって言ったじゃないっ」

 声をあげて糾弾すると、彼はすこしも気にする様子もなくこたえた。

「そうだね」

「そうだねって……」

 ボタンに手がかかったので跳ね起きようとすると、首のうえにあった手に明らかな力がこもった。

「や、ちょっと、やだっ、こわいからやめて」

 そう言ったのに、彼は聞こえていないようだった。いや、それを無視した。らしくない性急な手つきに、肌が粟立つ。頭をふることさえできなくて、彼の指先が自分の肌に食い込む力に身を凝らせて、弱い声で、やめてとくりかえす。すこしは冷静になろうとして、ここはやめてじゃなくて、ミズキさんが好きだと言うべきだったと思うのに、もう、声さえも、怯えて出なくなりそうだった。

「……なんで、こんなことするのっ」

「君に、嫌われたいから」

「ミズキさん?」

 わけがわからない。さっきと違うことを故意に口にされた。というより、ボタンがどんどん外れてるのに彼の手は私の身体を這い回るわけでもないし、キスしてくる情熱もない。ただ脱がせたいだけなのかなんなのか、それでも、蝶結びにしていた腰のベルトが解けたときには本気で焦って彼の右手をつかんだけれど、もちろん、意のままになるわけじゃなかった。

「ちょっと、ほんと、やめて。声、あげるよ?」

 社長のくせに、こんなとこで何やってるんだ、まったく。誰か入ってきたらどうするつもりなの。

 私は本気で抵抗しようとその手に爪を立てたのに、相手は何も感じていないように見えた。

「ミズキさんいいかげんにしてよ。ここ、自分のオフィスでしょう、恥ずかしくないの?」

「恥ずかしいよ」

 そう声が返って息をつこうとしたとたん、

「でも君のほうがもっとずっと恥ずかしくて嫌なはずだ」

 そりゃそうだよ。こんなとこで押し倒されて、私の自尊心はズタズタだよ。

「僕なんかいなくなればいいって言うといいよ」

 どんな表情でそんなことを口にしているのかと目を合わせようとしたのに、ミズキさんは右手で私の顔を覆った。 

「僕さえいなければ、君はなんの心置きなく浅倉と一緒になれる」

「ミズキさん?」

「僕が邪魔だと思ってるくせに」

「邪魔者扱いされたのは私のほうだと思うけど? いいかげん、苦しいから手を離して」

「浅倉もそうだ。僕を気にかける必要なく、君を抱ける」

 低い、掠れ声で続けられて、私は嘆息した。まったくもう、どうしてこのひとはすぐこうなってしまうんだろう。どうしてなのかは私だって知っている。でも、何もここまで自分を追い詰めなくてもいいじゃないか。

 気がついてみれば、先ほどと違ってミズキさんの体温はあがっていない。あの馨しさの片鱗も掴み取れず、つまりはそういう意味で興奮してるわけではないのは明らかだ。彼の脅しに私が勝手に怖がっただけ。ならば。

「いなければって、どこに行くつもりなの」

 とりあえず、聞いておこうと思った。死ぬつもりだなどと言ったら、それこそただではおかないつもりで。

「君に、気にかけてもらえるとは思わなかったな」

 いかにもな皮肉には、素直に返す。

「気にかけてるから、ここに来たんじゃない」

「そうやって……僕に、中途半端に期待をもたせないでほしい」

 ああ……。

「もう僕なんてどうなってもかまわないって、僕のことなんてなんとも思わないって、そう、言ってほしいんだよ。僕はそうじゃなきゃ一生、もうずっと一生、君を諦められない。君が欲しいっていう気持ちを抱えて我慢できそうもない。君、僕を嫌いじゃないよね?」

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