審判の日 悔悛 163

 お店の正面から入ると、初めて見かける眼鏡の男の子がお店番だった。

 私には大きすぎると思う音量でガレージロックがかかる店内に、お客様は帽子をかぶったスレンダーな青年がひとりだけ。宇田川町あたりの有名なお店とちがって、ここはいつもすいている。スポットライトに照らされた長方形の室内はどこもかしこも四角い印象で、つくりつけの棚のかなり高い位置までレコードが並べてある。前に、圧迫感があって気になると言ったら、あれがタマンナイんすよ、と浅倉くんはこたえた。なるほど、青年の視線は壁に釘付けだ。

 レコード屋さんというのは同じサイズの絵がたくさんかけられたギャラリーみたいな場所だ。みんな、ここへは音を探しにくるんだろうけれど、私はアートワークばかり気になってしまう。まるで、自分の邸宅の壁面いっぱいに絵画を並べて自慢する蒐集家の家にあがったような気持ちになる。

 キャッシャーの後ろには提携しているクラブイベントの告知ポスターがある。それから、過去のフライヤーがパネルにコラージュされて飾られている。ここのデザイナーの小笠原さんはいつもキチっとしたモード風に決めてくる。トリミングでどのくらい絵が変わるのか教えてもらっている気がした。

「こんにちは。ミズキ社長、いらっしゃいますか?」

「あ、はい。奥にいますが」

 よし。とりあえずよかった。じゃあ。

「店長の浅倉さんは?」

「外出してますけど」

 ばらばらに尋ねられたことですこし用心して語尾が弱くなる。学生さんだろうか。

「深町と申しますけれど」

 接客対応の極上の笑顔をつくって名乗るとバイトさんは私の名前を知っていたようで、いつもお世話になってます、どうぞこっから、と奥の扉を開けてくれた。私はにこやかに微笑んだまま丁寧に頭をさげた。

 かんたんな応接セットのあるブースを通り過ぎ、仕切られたオフィスのドアを四回、ノックした。応答がないのを承知で、ノブをひねろうとしたところで内側へとグレーの扉が開く。

「姫香ちゃん……」

 私の訪問に驚いてはいなかった。とりあえずはいつも通りの、隙のない身ごなしだったのでほっとした。それでも、上質なヴェルベットジャケットに映える白肌にいつもの颯爽とした印象はなく、病的で不健康なくらい唇が赤く見えた。血の気がないのだ。

「浅倉はここにいないよ。打ち合わせで」

「ミズキさんに会いにきたから」

 見あげると、視線をはずされた。その隙にひとのいないのを確認し、予想より広いオフィスに視線を巡らす。いちばん目立つのはアップルのマークも麗々しいパソコンで、デスクも椅子も拾ってきたもののように不揃いで統一感がないながら、動線が確保されて働きやすそうだった。原因はなにか突き止めようとして、快適にこだわるこのひとの資質が遺憾なく発揮されているのだろうと結論した。

「いま、忙しい? 忙しければ近くで時間つぶすから」

「僕から話すことはもうないよ」

 私は肩をすくめてみせながら、黙って彼の背後を見わたした。左手の壁面を覆うお店と同じ棚には在庫なのか、レコードが詰まっていた。衝立の前には背よりも高いパキラの鉢。右奥にはまだドアがあり、もう一室あるようだ。ブラインドのあげられた窓は天井まで大きく開いているのに狭い道路一本隔てた分の明かりしか入らない。

 ホワイトボードなどなく、残念なことに浅倉くんの帰社時間がわかるようなものは見当たらなかった。お店で確認すればよかったと今さら思うけれど、もう仕方ない。自分では落ち着いているつもりでも、焦って気持ちが上擦っていたのだろう。

 素っ気ない蛍光灯の天井をちらと見あげてから、まだ相手がこちらを見ていないのを確認した。無視されているようすではない。ただ、私が目の前にいることに慣れていないという感じだった。

「私に天使のお迎えがきたとしても、そう言える?」

 それには、いぶかしげに柳眉を寄せた。なんといっても浅倉くんがマレー獏になった異変をともに体験した仲だ。これくらいでそんなに不審がられては困る。

「さっき三人、天使が来た。サンダル一足で買収されちゃったから、近いうちにどっかに行かないとならないかも」

「あんなのは、無視して追い返すものだよ」

 呆れ声で叱られた。

「え、そうなの?」

「玄関先で訪問販売みたいにされるやつでしょう? 失われた何かを探すのを手伝えって言われるんだよね。この世界にも、あなたにも何かが欠けているとか言ってさ。ダメだって、あんなのに引っかかっちゃ」

「え、え?」

「僕の周りもみんな、追っ払った。ヘンな新興宗教だよ」

「ほんとに?」

 ミズキさんが神経質そうに、こめかみに右手をやった。

「姫香ちゃん、なんでそんなのにひっかかっちゃうのかなあ。なんかにサインしろって言われるんでしょ?」

「うん、そうだけど……」

 頭がぐらぐらしだした。新興宗教? だって、そんな感じじゃなかったよ。それとも何、新手の愉快犯? でも、そういう感じじゃない。絶対にチガウ。

「ミズキさんは会ったこと、あるの?」

「いや。でもこれで七人目。直接きくのは二人目だけど。都市伝説かと思ってたら……」

「都市伝説?」

「うん。サインしたひとが蒸発したって噂だから。よくあるでしょ、そういうの」

「でも、でもね! 背中に翼が」

「原宿あたりのゴスロリ娘だってつけて歩いてるよ」

 眉をひそめて断定され、私は思い切り声をあげた。

「ミズキさん、この私が、よりにもよってこの私が、そんなギミックと見間違うと、ほんとにそう思う?」

 ミズキさんははっとして正気に戻り、その顔がみるみる白くなった。

「サイン……した、の?」

「まだ、してない」

「しちゃダメだよ!」

 痛いほどの力で肩を抱かれていた。

「姫香ちゃん……」

 黙って見つめ返すと、ミズキさんは私が行くつもりでいると悟ったようだ。彼がなにか口に出す前に、毅然として言い切った。

「時任獏と、約束したの。ミズキさんと約束するより前に、浅倉くんと約束する前に、いちばん初めに、彼女に行くって約束したの」

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