3月23日 正午 68

私の視線に、すごくあわてた顔で横をむいた。それから、見られていることでどうやら諦めがついたらしく、ゆっくりと、こちらをむいて頭をさげた。

「すみません」

「……なんで謝るの」

「怒ってますよね?」

「怒ってるよ。でも、なんで怒ってるのかはわかってないでしょ?」

「や……それは、えっと」

「まあ私も正直よくわからないんだけど、勝手に変なこと妄想されるのも腹が立つし、自分を棚上げしてなんだけど、ふたりとももうすこし余裕をもって接してよって、あなた方には包容力とかいう美質はないのかって文句をつけたいとこもあるし、ミズキさんがああ言ったのに疑うのもどうかって気もするし、そういえば昨日は色々無茶されたな、とか、今ごろフツフツと怒りが煮え滾ってるっていうか」

 浅倉くんは目を白黒させながらも、あいだに口をはさまなかった。

「だいたい浅倉くん、友枝さんとつきあってるんじゃないの?」

「別れました」

 そこだけ妙にはっきりと、己の潔白を主張するようすでこたえられた。

「あのね、そういうのって」

「センパイだっておんなじじゃん」

「なにが」

「あんたは自分を安売りしすぎだって」

「なっ……そんなことないよっ」

「ああもう、それはすんだことだからもういいよ。っつうかよくないけど、言い出すとオレ、止まんなくなりそうだからやめとくし、それより頭くるのは、婚約者がいるからって理由だけでオレの告白、なんも考えないでスルーしたじゃんか」

「なんもって」

 声が裏返りそうになったところを、さらに言い継がれた。

「オレ、センパイに彼氏がいようが旦那がいようがあきらめないってつもりで言ったのに、あんた全然、結婚ていう防波堤に寄りかかって動こうともしなかったじゃん」

「だって」

「だってじゃなくて、そうだろ」

 そんなに怖い声じゃなかったけれど、浅倉くんは否とは言わせないという顔つきだった。しかたがない。

「じゃあ聞くけど、ミズキさんと私がもう婚約してたらどうするの? 浅倉くん、ミズキさんだけは特別なんじゃないの」

 彼は一瞬、喉奥に声をつまらせたような顔をした。けれど、すぐに気持ちをたてなおして、こちらを見おろして口にした。

「でも、ミズキと婚約もセックスもしてない」

「そ……うだけど」

「オレとしようよ」

 しようよ、じゃないよ!

「オレのほうに来てくれたんじゃん」

「違うから。三時にこの下の画廊に」

 続きは、浅倉くんの口のなかに消えた。

 こ、こら! 職場でいったい。

 手をふりあげると、彼はすぐに身体をはなした。身が軽いというか、すばしっこい。

「ミズキは身をひいてくれたんだよ」

「は?」

「じゃなきゃ無理やりでも、あんたを連れてくって。オレに家出ろっていうのも、そのほうがもういっそ気が楽だからで」

「浅倉くん、なんでそう、自分に都合のいい解釈しかしないわけ?」

「あいつ普段ソフトだけど怒ると半端じゃなく怖いんだよ。あんなレベルじゃなくてマジで相手がどうなってもかまわないっつうか、普通しないだろってこと平気でするし」

「それは、彼が浅倉くんを今でも好きだからじゃないの?」

 あ、絶句してる。

 その顔をみて、すこしばかり鬱憤が晴れた。いいかげん私も性格が悪い。でも、私はこれを言えなくて苦しかったから。

「あのね、ミズキさんが甘いのは浅倉くんが好きだからで、さらに言えば彼は心の底で、私さえキープしとけば浅倉くんがくっついてくるって思ってるんじゃないかしら」

 もちろん、昨日までは、あんまりだと思っていたので封印するつもりだった。けど、もう、こらえられなくなっていた。

「センパイ、それでずっと、オレになんか言いたそうにしてたんだ……」

 やっと通じたという気持ちより前に、なんだか果てしなく疲れていた。頭のなかで関係を図解してみると、奇妙なことになっている。三角関係というのはもっとずっと単純なものだと思っていた。

「ミズキのこと、ほんとは好きなんじゃないんすか。オレと比較されるのヤなんでしょ」

「そうじゃなくて、誰とだってそんなふうに比べられたりするのは嫌だし、それに」

「けど口を開くとミズキって言ってない?」

「そんなことないよ」

「オレにはそう聞こえる」

「だからそれは浅倉くんが彼のことすごく気にしてるんじゃないの? さっきだって震えてたよ」

 気を悪くした様子はなかったけれど、彼は首をふった。

「それは、センパイがミズキのあと追ってきそうで。オレ、なんかいっつもカフェとかメインストリートで後姿ばっか見てたっつうか。それでたまに目があうじゃないっすか。そうすると、ちょっとびっくりしたような顔で目をぱちぱちってして小首かしげるんだよね。オレ、あれが見たくてこっち向けってこっそり念を送ってたんだけど」

 切なくなるような顔で語るなあ。相手が自分だと知らなきゃホロリときそうだよ。

 彼の告白は続いていたが、私はすでにもう、ジャンケンか何かで決めてもらえたらどっちかと付き合うよ、というかもう、結婚でも何でもするし、と言いそうになる自分の不届きさを持て余していた。

 いちばんいいのは今まで通り。ミズキさんは私の絵の応援をしてくれて、浅倉くんは彼と一緒に住んで働いて、それじゃあダメですか。絶対にものすごい勢いで怒られるから言わないけど。でも、こういう膠着状態は疲れるよ。楽しめる気力も体力もないんだから。お願いだから神様、十代や二十代だって避けてやらずにすませたいと思ってきたことを、今になってさせないでほしい。

「なんかまた、ビミョウなこと考えてますね」

「まあね」

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