3月23日 午前 62

 そんな気恥ずかしいことは言うつもりはなかったのだが、反論するならソッチの方面しか思いつかなかった。

「魂があるかどうかは僕にはわからない。でも君がそれを信じて大事にしたいと思っているのはよくわかる」

 失敗したように感じたけれど、馬鹿にされている様子はない。ネオ・プラトニズムの本など読んでいるのがばれているわけだから、当たり前か。あれこそ霊魂の問題の最たるもののような気がする。

「僕は、そういうことを考えてる君が好きだよ」

 すこしだけ照れくさいような顔をして言われ、きゅうに恥ずかしさがこみあげた。まずい。感染すると危険だ。体温があがれば相手の思うつぼだもの。

 そう思うのに、頬に血がのぼっているのが自分でわかる。ずるいよ。こういうのは、認められないよ。

 私は気をしっかりさせようと目を閉じてうつむきかげんで頭を揺する。それを、見つめられているのがわかる。ミズキさんの視線が頬骨のあたりから耳のうえを彷徨って瞼の縁を貫通してるに違いない。さりげなさと縁遠い無遠慮すぎるその凝視が、彼が今まで見せようとしなかったものだと気がついた。

 そして、それを彼も察していた。

「……あのね、姫香ちゃん、僕だってこんな言葉を連呼するのは人生で初めてだしせっかくのことだからもっとロマネスクにしたかった」

「え」

「だって結婚したらあのときああだったって思い出して話すことあるよね。それが庭先でスコップや植木鉢もってじゃなんでしょう?」

 見あげて目をしばたくと、

「でも君みてるとなんだかもう、そんなのはどうでもいいなって思うんだよね」

「それ、私がちっともロマンチックなひとじゃないってこと?」

「そうじゃないよ。君のために僕が色々考えて計算して手を尽くしても、君さえいれば僕はそれだけでもういいんだから、そんなことでグズグズしてもしょうがない。僕は、君のことを手に入れないと何も始まらないんだよ」

 立派に生きてるじゃないと返そうとして、そうではないのか、とも考え直す。

 働きすぎでEDになったという感じでもないし、浅倉くんへの依存の仕方も大の男としては異常だ。ひとに触れないからと整体を習いにいってしまう極端さも、自分を追い込むことでしか立てないのだと白状したようなものだ。

 冷徹な判断をすれば、条件だけみれば最高でも結婚するには危険なタイプだと、私の、僅少ながらそれゆえにすごく役に立つ、女としての本能が警鐘をならしている。

 だいたい私の思う「いい男」はわりにひとりで完成してて、恋愛や女性を必要としないものだ。これだけ熱烈に告白されるにいたっては危険度マックスだろう。情熱的であればあるほど、飽きるのも早そうだし。これは困ったな。

「ミズキさんには……音楽が、あるんじゃないの? 私じゃなくてもいいじゃない」

 彼はそこで一瞬、笑い出しそうな、変な顔をした。それからゆっくりとかぶりをふってこたえた。

「それは僕にとって、好きとも嫌いとも言えないものになってしまったよね。今はすこし、距離をとりたい」

 ウソをいっている様子はなかった。まさに愛憎半ばという感じなのかもしれない。

「君は、いつも満たされていて幸せだ。自分の好きなものをよく知っていて、それに取り囲まれて生きている」

「ミズキさん?」

「僕は、君を不幸にできるだけの力が欲しい」

 不幸って……こういうとき、絶対いわない単語じゃないの? 

 たぶん、私はものすごく驚いた顔をしていたに違いない。そして彼も、自分でいっていることのおかしさに気づいたのか、苦笑した。

「プロポーズでこんなこといわれたら、うんとは言えないよね」

 その言葉のしりうまに乗って、どうにか逃げ切りたいと思っていたはずなのに、私の口は動かなかった。

「でも、僕はそう願うことがある」

 そこには、決然と、こちらの気持ちにお構いなしに言うことを言ってすっきりしたらしいミズキさんがいた。晴れやかな、誇らしさと寸分違わないその表情に、私は、自分を甘やかで浮ついた気分にさせつづけてきたひとの本心を見た。

 いっぽう私は、正面きってひとに不幸を願われたことなどない。そして、そんな言葉を口にしてしまえるひとが、目の前にいるというその事実だけで、肩を上下させていた。

「……姫香ちゃん」

 自分の意志では制御できない涙が頬をつたい、みっともなく子供みたいにしゃくりあげている私にも、ミズキさんは怖い声をだした。

「泣いてないで、僕に言うことがあるならちゃんと言って」

 ちゃんとというのが何か、わからなくて嗚咽にのどを震わしているのに、彼は冷たく言い捨てた。

「泣いても許さないから」

「ひど……」

「そうだね。酷いことをしてるのかもしれないとは思うよ。あとは?」

「やさしくない」

「今まで十二分にしてきたから。つぎ」

「ほって、おいて」

「ほっておくこともあったでしょう? 思い出してみて。それに、一日二十四時間僕のことだけ考えてくれとは言ってない。他には?」

 ほか?

 他にっていうか、だって。

「……私に、選ばせないで」

「それは、絶対に無理」

 ものすごい勢いで断言された。

「どうして」

「今の僕の気持ちは、全世界とひきかえにしても僕を選べ、だから」

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