3月22日 22

「父はすごくわかりやすいの。父に友人を紹介したなかでも、来須ちゃんはトップ待遇だもの。お昼とはいえフレンチのコースでお土産付で、仕事でもらったクラッシックコンサートのチケットも、彼女と一緒に行きなさいって言われたしね」

 まさか両親に、酔っ払ってみんなで雑魚寝しているとは言えず、お泊りは必ず来須ちゃんの家だとウソをついていた。

「私も知的な美人は大好きだから、父と私ってすごく似てるのよ」

「センパイってファザコン?」

「父が好きだという意味じゃなくて、同類嫌悪で同病相哀れむなら、その通り」

 家の事は母に任せっぱなしの、外面よしで甘えん坊な典型的な昔の男。上げ膳下げ膳の居心地のよさに三十歳直前までパラサイトシングルだった私も同罪だ。

 私の婚約破棄の際もトチ狂い、母にむかって、お前がちゃんとしてないからだと言ったとか言わないとか。あああ。思い出すだけでへこむし呆れる。と同時に、そのネタはもらったと感謝する。友達の前で自分を悲劇の主人公にするには年を食いすぎているし、ギャグに流すには聞く相手が困る。父に恥を晒してもらい、あれで新聞記者だったんだから参っちゃう、事実関係を無視してるよと冷やかせば、よほど父親との関係に屈託のない娘でないかぎり、なんとなくしんみり笑えるものだ。

 まあそんなわけで、私は父が嫌いじゃない。丸善で買ってくれた洋書の絵本の数々は今でも宝物だし、そんなことを口走るくらい母に甘えきっている愚かさもかわいいと思う。ただし、自分が妻だったら、どうだかわからないけど。

「センパイ、家族でカラオケ行くって言ってたもんね」

「ほんとにたまに、だよ?」

 用心してこたえると、彼はふるっとかぶりをふった。

「なんかね、大事に育てられてきたんだろうなあって感じがしたんすよ。もろ箱入りっていうか、オレや来須や龍村さんとは明らかに違う感じがした」

「たしかに過保護に育てられはしたけど、うちは中流ってやつだよ。父親がサラリーマンで母親が専業主婦で子供がふたり。そんなこといったら龍村くんは名だたる商社の取締役の息子で、浅倉くんだって社長令息じゃない」

 浅倉くんが、社長令息ってどこの誰って感じっすね、と笑った。クラッシックおたくで偏食家の龍村くんはともかく、彼は当時から真っ黒いロック野郎だった。そして来須ちゃんは、すこし家庭の事情が違った。私はあとから聞いた。でも、龍村くんも浅倉くんも当時から知っていたようだ。

「でもセンパイ、スナック菓子やインスタント食品たべたことないって言ってたよね?」

「それは私がものすごいアレルギー体質だから。添加物がよくないってお医者さんに言われてたから母がすごく気をつけたの。でも弟はこっそり食べてたもの。そのせいかたまに蕁麻疹になったりしてたけどね」

「でも卵やなんか食べてますよね?」

「うん。そういう躾は厳しかったから好き嫌いはないの。それに六年生くらいから注射打って体質改善したから前はダメだったものも平気になったし、アレルギーって体調の問題もあるのよ。調子悪いときにはサバみたいなものは食べないように気をつけてるし、幸い食品関係の反応は少ないの。でも枇杷や桃は好きだけど、食べない。あとで口のなかが腫れて痛痒くなるから」

 浅倉くんが、ひゃあ、と弱々しい悲鳴をあげた。

「オレ、食いたいもの食えないなんて耐えられない」

 だよね。ふつう、そうだと思うよ。

「センパイそれで、言いつけ守って食べないでいられたんだ」

「スナック菓子はそんなに好きじゃないもの。でもほかのお菓子はすぐ反応出るわけじゃないから親に内緒で友達の家で食べてたよ。ただ、好きなんだけど食べられないっていうのはやっぱりつらいよね。一時の快楽に身を任せてその後は地獄だからさ」

 眉を寄せたまま、ゆるゆる首をふっている。浅倉くん、気持ちよくモノ食べるものね。

「オレだったら我慢しないで食べちゃいそうだなあ」

「それは、痛い思いをしてないからだよ」

 まあ実際、子供のころほど酷くないから今はけっこう平気で口に入れちゃうんだけど。その結果、上顎から舌から刺すような刺激と痒みが満遍なくひろがって一向におさまることなくイガイガし続けるのはやっぱりいただけない。後悔先に立たず、なのだ。

「アレルギーって知らないで食べたりするとショックで危険なんですよね?」

「うん。だから蜂に刺されて死んだりしたら嫌だなあって思う瞬間あるよね」

 え、と浅倉くんが飛びあがる勢いでこちらを見た。

「センパイ、施設管理室に入ってきたスズメバチ、撃退してたじゃないすか!」

「撃退じゃなくて逃がしてあげたの。追い払うほど無茶しないよ」

「危ないから避けろって龍村さん言ってたのに」

「香水つけてなかったし平気だよ。窓あけただけでみんなで外に避難したでしょ? 大声で腕ふって避けるようなひとたちを置いて出れないじゃない。それにちゃんと見て行ったし、ほんとに危なかったらやらないよ」

 浅倉くんが深いため息をついて口にした。

「センパイ、目が早いよね。見逃さないっつうか。そこはふつう見えてるだろってとこ見てなくてコケて失敗するときもあるけど」

 ん? なにげにけなされたような気がするが、まあ、その通りだ。

 私が自分たちで運んだテント用資材に激突して倒れたときに、浅倉くんは物凄い勢いで飛んできたくせに血を見たせいか真っ青になり通路の真ん中で突っ立っていた。ふだん捻くれたことばかりいう龍村くんのほうが優しくて、呻いていた私の横にしゃがんで傷口を見て、あ、こりゃバンドエイドじゃ無理だわ、と私の重いカバンを持って助けおこし、保健室に連れて行ってくれた。

「オレ、ほんとセンパイのそういうとこ謎。お料理好きのお母さんと知的なお父さんとビデオの予約入れてくれる優しい弟とハンサムな彼がいて、キャンパス歩くと教授から職員にまで声かけられて、なんでこの人、もっとぽやってしてないのかなあって。なんで、そこに気づいちゃうかなあって不思議でさ」

 ソコとはきっと、大学内の施設や備品の使用状況の不平等をさすのだろう。

 慣例というのは恐ろしく、部員が増えたというのにA会議室を使うものだと指示されれば、その狭い場所に居続ける。人間、そういうものだと思うと、今の自分たちが置かれている状況と違う可能性があることすら気がつかないのだ。それと同時に、ひとは、あなたが得をして恵まれているぶん誰かが窮屈で辛い目にあっていると伝えても、己の手にしているものを易々と手放すわけではない。

 理想と現実というのは大学の課外活動内にも立派に存在し、そのせいで困難に立ち向かうことも多く、こうして非常に密度の濃い人間関係を築くにいたってしまったわけだ。

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