第2話
それから数日の間、僕は部活に行っていた時間にその喫茶店に通うようになった。初日に応対してくれた男性の店員さんとは時間が合うようで何度か話した。
名前は友田さんと言うらしい。話すと言っても商品を受け取るまでの数分のやりとりだったが友田さんは物腰が柔らかで、会話もしやすかった。ただの世間話しかすることはなかったがそれも気負わずに話せて楽だった。
修了式が終わったその日、僕はいつものよりも早い時間に店へ入った。カウンターに人影はなく、店員さんは裏になにか取りに行っているようだった。店内に2組ほど先客がいることから開店していることはわかったのでカウンターで出てくるのを待っていると、裏へと続く扉から
「いらっしゃいませっ、今お伺いします!」
と少し焦ったような声が聞こえてきた。その声を追いかけるように黒い制服に緑のエプロンを着けた店員さんが出てきたとたん―――
綺麗だ。
という感情に頭の中がすべて支配された。透き通るような肌の中にすこし赤みがかった頬、はっきりとした目鼻立ち、ちょうどいい長さのショートカット。化粧っ気の薄い感じが恋愛未経験で男子校培養の純粋なココロを揺さぶる。
語彙の乏しい僕の脳味噌では形容し尽くせない美しさに思わず溜息をつきそうになる。要するにその女性は僕のタイプど真ん中だった。
あぁ、これは一目惚れかもしれない、などと拉致もないことを考えている間に彼女は短い髪を後ろで留めると、
「大変お待たせいたしました。ご注文をお伺い致します」
そう丁寧に僕に聞いた。僕は我に返って慌てて言う。
「あ、アイスコーヒーをお願いします」
緊張から思わず少し上擦った声が出てしまう。そんな僕を見てすこし首を傾げてから微笑み、
「すぐにご用意しますね」
と言ってコーヒーを淹れ始める。その所作を眺めながら一つ一つが絵になる人だなと思う。彼女はテキパキと僕のコーヒーを淹れると僕の前に置き、
「お待たせいたしました」
と頭を深く下げた。僕は胸の高鳴りを誤魔化しつつ笑顔で「ありがとうございます」と言って、いつもの席に座って本を開いたがその日はいつもほど集中して本を読むことは出来なかった。目の端でずっと彼女を見ていた。
その次の日から始まった春休みの間はずっとその喫茶店に通った。静かな店内で勉強をしていると自然と捗るうえに、その女性にも会うことが出来る。
その間に友田さんとはすっかり仲が良くなり、いろいろと話す内容も増えた。友田さんは都内の私立大学に通う学生でたまに受験の相談などにも乗ってくれた。
女性の店員さんとは僕がシャイな性格だったせいもあってなかなか話が弾む機会は少なかったが、彼女の積極的な性格のおかげで結城夏凜という名前だということや、僕の二つ上で友田さんと同じく大学生だということを知ることが出来た。
夏凜さんと出会ってから数日が経ったある日、僕は喫茶店の閉店時間に気がつかずに本を読んでいた。僕が顔をあげた時にはすっかり外が暗くなっており、すでに店内も支度が済んでいた。僕が慌てて帰り支度を整えていると裏から私服に着替えた夏凜さんが出てきて、
「あ、気がついた?」
と面白そうに笑って聞いた。慌てて僕は頭を下げながら謝る。
「閉店時間過ぎているのに長々とすみませんっ」
「別に気にすることないよ。読み終わるまで私もゆっくりしようと思ってたし」
「あ、いえもう大丈夫なので…。本当にすみません」
そう何度も謝る僕を見てまた面白そうに笑うと夏凜さんは少し考えるような仕草をした後に人差し指を立て、
「一息ついてから帰らない?コーヒーとお菓子がすこし残っててもったいないから」
と言った。僕は突然の誘いに少し戸惑ったが、それはつまり夏凜さんと二人きりで話せるということだと気がついた。
「いいんですか?じゃあお言葉に甘えて!」
と答え、小さくガッツポーズをして興奮を抑える。鼻歌を歌いながらコーヒーを淹れる夏凜さんを見ながら、この時間まで残ることが出来た偶然に感謝する。
夏凜さんの用意してくれたコーヒーとお菓子を食べながら会話は本の話になった。
「いつも本読んでるけど、どんなのが好きなの?」
と夏凜さんは僕に聞く。
「いつもは冒険モノとかですかね。あとは恋愛モノも結構読みますよ」
「そうなんだ!私も恋愛モノは結構読むんだ。――さんって知ってる?」
「あっ、最近読んで少しハマってます」
などと共通の話題で盛り上がっていると時間はすぐに過ぎていった。
その場がお開きになり、駅まで夏凜さんを送っていくとその去り際に彼女はこっちを振り返って
「今日は楽しかったよ!また二人でお茶しようねー。バイバイ!」
と言って手を振りながら改札の中に消えていく。僕も手を振りながら彼女の乗った電車がホームを出ていくのを眺め、二人の時間の余韻にひとりごちた。
次の日、いつものように喫茶店へ行くとカウンターには夏凜さんが立っていた。
「おはようございます」
と挨拶をすると微笑んで
「おはよう。昨日は楽しかったね」
と返してくれる。そんな夏凜さんを見て、惚れっぽい男子高校生のココロはめろめろになる。
昨日告白するのもアリだったのではないかなどと、先走った妄想を胸の内で展開しながらいつものようにアイスコーヒーを頼む。淹れてもらっている時にドアがカランと開き、友田さんが入ってきた。
「おはようございます。あ、鮎川くん今日も来てたんだ」
と僕と夏凜さんに挨拶をする。
「おはようございま…」
「あっ、友田さん!おはようございます!」
僕の声に被さるようにいつもより少し大きな声で夏凜さんが挨拶をする。見たこともないような笑顔で。こんな嬉しそうな顔もするんだなと思い、新しい一面を知れたことに嬉しさを感じる。
友田さんは午後から仕事に入るようでそれまで一緒にコーヒーを飲みながら話す。夏凜さんがいつもよりも手際よく淹れてくれたコーヒーを飲みながら友田さんが、
「鮎川くんはさ、彼女とかいないの?」
と少し面白がっている様子で聞いてくる。
「居たことないんですよー。友田さんはモテるんだろうなぁ」
と僕が僻み気味に言うと友田さんは
「今は居ないんだよ。独り者同士だね」
と笑った。友田さんの言葉には嫌味がない。カウンターの中から夏凜さんが会話に入りたそうにこちらを窺っているのを見て、友田さんが
「夏凜さんは彼氏いる?」
といたずらっぽく聞く。夏凜さんはいつもよりもほんの少しだけ赤くなってから、
「今は絶賛片思い中ですねー」
とこちらもいたずらっぽく笑って返す。その表情にドキリとし、けれどココロには酸っぱいような感情がじんわりと広がっていく。
「いいなぁ。そういうの最近してないなぁ」
友田さんはそう言って僕の方に向き直ると、にやにやと笑いながら、
「鮎川くん、片思いぐらいならあるんじゃない?」
と聞く。そのタイミングで他のお客さんが入ってきた。夏凜さんが応対しに行ったのをちらと目の端で確認した僕は、
「まぁ、片思い中と言えば、そうですね。叶わなそうですけど」
と少し自嘲気味に言った。僕のココロに広がった味はすぐに言葉に現れ、かなり素っ気なくなる。すると友田さんは、
「わっかりやすいなぁ。まぁ俺は応援してるよ」
とからかうように笑って言った。
夕方になってから僕は店を出ると、そのまま近くの砂浜に行った。
「昨日は距離が縮まった感じあったのになっ」
そう呟いて、心の中の落胆をかき消すように石を横投げに投げる。ピシャッピシャッと水面を跳ねて石は進んでいく。そんなことを何度かしたあと、酸っぱいうえに苦くなってしまった蜜柑をなだめるために砂浜に座って、自分に片思いも悪くないじゃないか、と言い聞かせてみる。
「まぁいつでもあそこに行けば会えるってだけでもいいかぁ」
さらに言い聞かせるように声に出す。するとひょいと夏凜さんが僕の前に顔を出した。
「なっ、夏凜さんっ!?」
心底驚いて、立ち上がりながら言うと、夏凜さんは
「なーに独り言言ってたの?」
と笑いながら言った。そして石を拾い上げるとさっきまでの僕のように横投げに放る。石はトプンと水を跳ね上げて沈んだ。
「おっかしいなぁ、上手くいくと思ったんだけど」
と何度か投げるふりをして確かめ、首を傾げる。その可愛らしい仕草に僕はおもわず笑って、
「こう投げるんですよ」
からかうように言いつつ投げる。石はテンポよく音を立てて水面を滑っていく。それを目を細めて眺めていると夏凜さんは小さく拍手をしてから、
「やーっと、笑ったね」
と言った。僕がキョトンとしていると、
「今日はなんか悩んでるみたいだったから」
そう言ってまた石を投げた。石はピシャッと一度跳ねて沈んだ。それ見て、
「やった。人生初成功だよ!」
と興奮気味に僕に振り向く。そんな気負いのない姿を見て僕のココロはすぐに好きに傾く。それから僕はとびきり笑い、
「ありがとうございます。」
と返事をした。夏凜さんはおかしな僕の返し方に少し首を傾げたが、すぐに笑って頷いた。
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