恋愛短編 『華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会』

くさなぎ そうし

春の章 華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会

 生け花。


 それは生きている花を直接器に挿け込み、花本来の姿を目の前に映す鏡だ。


 生け花には基本の生け方があり、私はその型を1つずつ覚えることが好きだった。覚えたら、おばあちゃんとお母さんが手を叩いて喜んでくれるからだ。


 だが今、私はその型にはまることができないでいる。彼の書道を見てから、私は今までのやり方に疑問を持つようになってしまったからだ。


 彼の書は型にはまらず、私の心を見透かすようだった。私が今まで積み上げてきたものを、彼は全て崩してしまった。


 

 ……彼が欲しい、たとえ幼馴染の彼女がいるとわかっていても。



 3メートル以上離れた姿を目で追い続けていくうちに、私の心だけが彼に近づいていく。日々の距離が数センチずつ近づいていくにつれて、彼には近づけない絶対領域があることを知る。


 それが男女の関係を決める領域、半尺はんしゃく(15センチ)の差。



 ……悔しいけれど、私の初恋はあなたなのだと認めるしかない――。




 ◆◆◆


「ねえ、彩華あやかちゃん、今日の課題やってきた?」


 前の席のゆいが両手を合わせながら懇願する。


「ああ、現国の分ね。はい、どうぞ」


 私が微笑むと、彼女は申し訳なさそうな顔でノートを両手で掴んだ。


「うわ、やっぱり綺麗な字だね。彩華ちゃん、書道習っていたの?」


「小さい頃にね。それでも大した腕はないわ」


 私は今、宗像むなかたという福岡県の海沿いの町に住んでいる。父親が亡くなって母の実家に戻って来ているのだ。


 この学校に転校してきてから、早二ヶ月が経とうとしている。


「彩華ちゃん、京都にいたんでしょ。修学旅行で地元に帰れるチャンスがあるね」


「……そうね」


 私は心なく頷いた。


 私は滝坊と呼ばれる華道の家元に属していた。跡取り問題で、父親が亡くなってから、この田舎に飛ばされたのだ。順調に型を覚え昇段試験をクリアしてきており、数年もすれば家元を継ぐことが決まっていたのだが、その機会を失ってしまった。


 だからといって、まだこの仮面を崩すことはできない。私の母親はまだ権力争いに負けたつもりはなく、再び上京するつもりでいるからだ。


「いいよねぇ、京都」


 唯は課題を机の上に置いてこちらを向いた。


「彩華ちゃんのお母さんも美人だし、京都ってやっぱり華やかな街だよねぇ」


「そうでもないわ。ちょっと古臭いしきたりはあるけど」


 今の現状に納得はいっていないが、理解はあるつもりだ。それは母親のことが嫌いではないからだと思う。


 ただ1つ、彼女の許せない点はということだけだ。


「彩華ちゃん、好きな人いないの?」


「いないわ」


「勿体無い、せっかく美人なのに」


 唯が珍獣を見るように私を凝視してくる。


「生け花ばっかりやってると、彼氏できないよ」


「彼氏なんか、必要ないから」


 ……自制心を失えば、母親のように人生が狂ってしまう。


 私は花に生きると決めている。花は私を裏切らないし、言葉で誘惑してこない。きちんと向き合った分だけ応えてくれるから、私はこの世界に一生身を投じる覚悟がある。


「よし、皆席につけよ、授業をする前にみんなに発表することがある」


 そういって担任である古谷は黒板の上に1つの書を張り出した。


「実は菊池きくちの書が入選をとって、今度、生け花の展覧会の文字を担当することになった」


 クラスにいる全員が大声を上げて、彼を祝福する。


愛染あいぜん、お前、今度展覧会に出すんだよな」


「はい、そうですが」


「よかったら、菊池にアドバイスしてやってくれ。お前の意見も参考になるだろう」


「……わかりました」


 そういって頭を下げると、周りにもてはやされている男がこちらを見て頭を下げてきた。


 彼が菊池なのだと知り、私は再び教科書に目を向けた。



 ◆◆◆


 

「愛染さん、どこ行くの?」


「稽古」


「ああ、今日もあるんだ。生け花教室」


 菊池は犬のように人懐こい笑顔を見せながらついてくる。


「その前に頼むよ。どんな字を書いたらいいか教えてくれよ。俺、生け花のこと全く知らないからさ」


「好きなように書いたらいいんじゃない」


 彼の横を通り抜けようとするが、中々通させてくれない。


「ごめん。本当にマジでやばいんだって。ねえ、俺もその教室に行ったらだめかな? 生け花を少しでも学びたいんだ」


「……ダメじゃないけど」


 ……彼の姿は母親には見せられない。


 不倫したことに負い目を感じているのか、私に好きな人がいないか四六時中、見張っているような人だ。男の姿を見せただけでなんと言われるか、わからない。


「このまま、何も言わないなら俺はその教室まで行くつもりだぜ」


 菊池は軽快な口調で脅してくる。


「嫌なら少しだけでいいから時間をくれないか。俺のも期限があるみたいで、焦ってるんだ」


 彼の提案で教室に戻り自分の席に座り直す。彼は唯の席に座り私の机の上にノートを広げた。


「……書道歴は?」


「12年になるかな。全部真面目にやってたわけじゃないけど」


「そう」


 目を閉じて構想を練っていく。展覧会は一般の人に見て貰うのが第一条件だ。なので捻った文字よりも一目でわかるインパクトがあるものが望ましい。


 菊池に伝えると、彼は顔をしかめながら腕を組んだ。

 

「んー難しいな。要は一文字で見せないといけないってことだな」


 彼はノートの上に様々な文字を書いていく。その中で『愛』という字が私の目に留まる。


「『愛』染さん?」


「ああ、ごめんなさい」


 彼に指摘され、反射的に目を反らす。


 その字を見ている間、なぜかが蘇っていた――。


「愛染さんはいつから生け花をやってるの?」


「私も12年ね」


「そっか。じゃあ同じだね。俺の実家、書道教室やってるんだよ、だから小さい頃から字を書くのが当たり前でさ。愛染さんの所も?」


「そうよ。花は私にとって身近なものだったから、花に触れることが当たり前だったの。だからあなたが思いついたことをそのまま書けばいいと思うわ」


「ありがとう、そういって貰えたら助かる。頑張ってみるよ」


 菊池が満面の笑みを見せると、教室の外に小柄な女性が立っていた。


「あ、りょう。いたいた」


花鈴かりん、先に帰っていいっていっただろう」


「いやそれがさ。見てよ、これ」


 彼女はスマートフォンを取り出してこちらに画面を見せてきた。


「今日、波がいいみたいなの。だからどうかと思って」


「波がいいってどういうこと?」


 彼女に訊くと、嬉しそうに説明し出した。


「今日の海の波がいいってこと、私達、サーフィンやってるの」


「そうなのね」


 なぜか苛立ちが込み上げてくる。


「じゃあ後は頑張ってね、菊池君」


「あ、待って、愛染さん」


 彼は唐突に私の腕を掴み息を掛けてきた。

 

「サーフィンで波に乗ることは書と一緒で、感覚が必要なんだ。勢いが必要というか、いつでもできるわけじゃない所が似ていて……」


「別にあなたが何しようと勝手だけど、どいてくれる?」


 私はそのまま振り返らずに下校した。


 なぜかはわからないが、その日の生け花は最悪だった。



 ◆◆◆


 

 展覧会、当日。

 

私は無我夢中で作品作りに没頭していたが、中々上手く挿すことができないでいた。型が決まっているのにだ。


 今日のメインの花は芍薬しゃくやくだとわかっているのに、左手が思うように動いてくれない。



 ……後2時間しかない。



 胸元にある懐中時計を見て焦りを覚える。着物の帯がいつも以上にきつく縛るような感覚まで働く。額から出る汗を拭いながら、何度も不安を拭おうとするが払拭できない。


 何としてでも作品を完成させなければならない。ここで失敗すれば私に未来はない。


「お、愛染さん、お疲れ様」


 振り返ると、菊池が後ろに立っていた。その手には大きな看板がある。


「どんな感じ? 苦戦しているように見えるけど」


 器に手を伸ばそうとしたら、彼は横から私の両手を合わせ、自身の手で強く挟んできた。


「これ、うちのおまじない。大丈夫、愛染さんならできるよ」


「あ、ありがとう……」


 一度しか話していない彼にすら私の動揺が伝わっているのだ。このまま作ってもいいものはできない。


「深呼吸をして」


 彼にいわれた通り、呼吸を整える。緊張のせいか両手が震えている。今までにこんなことは一度もなかったのに。



 ……どうしてだろう。



 福岡に来て初めての展覧会だから? 知っている人がいないから? 家元として恥じない作品を作らなければならないから?


 そのどれでもない、と思った。



 、私の生け花の型が崩れてきているのだ。



「まだ完成していないだろうけど、息抜きに俺の作品を見てよ」


 そこには一文字、『花』と書いてあるだけだった。だがその字には茎が生えているように、凛として立っていた。まるで生きているようにだ。

 

 ……凄い。


 心を動かされながらじっと見つめていく。彼は型に嵌らない字を書き上げたのだ。この字を見ると、私の魂が揺さぶられていく。


「どうかな?」


「いいんじゃない?」


 気合を入れ直し彼を睨む。彼には絶対に負けられない。同じ土俵でなくても、私が今まで培ってきたものの方が上だと証明してみせる。


 サーフィンなんかしている彼に負けるはずがない。


 ……必ずいいものを作ってみせる。


 気づけば手の震えは止まっていた。私は心のまま、作品作りに没頭した。



 ◆◆◆



「愛染さん、お疲れ様。作品とってもよかったよ。芍薬しゃくやく、とっても綺麗だった」


「ありがとう」


 私が笑うと、菊池は異邦人を見るように私を凝視した。


「まさかお礼を言われるとは思わなかったよ」


「失礼ね。私は思ったことはきちんと言う方よ」


「そっか。それならよかった」


 菊池は笑いながら自分の書を担ぎ上げた。


「俺もいいものができてよかったよ。愛染さんのおかげだ、感謝してる」


「私は何も言ってないけど」


「一文字でいいと言っただろう? たった一文字で人に気持ちを伝えることができるんだと思ったら気が楽になったよ、ありがとう」


 そういって彼は握手を求めてきた。


「握手くらい、いいだろ?」


「……ええ」


 彼の手の感触が伝わるが、何も感じない。冷たい温度がホールとシンクロしていく。


「りょう、こんな所にいたの。探したんだから」


 声の方を見ると、花鈴と呼ばれた同級生がいた。彼女は大股でこちらに近づいて来る。


「早く帰るよ、お父さんが車で待ってるから」


「ごめんな、花鈴。じゃあ愛染さん、また」


「ええ」


 二人の背中を見送ると、心臓に何か別の鼓動が聞こえてきた。今までに味わったことがないものを感じる。



 ……この感覚の正体は何?



 半尺(15センチ)の距離にいる二人を見ていると、彼女の方だけが再び戻ってきた。


「どうしたの? 忘れ物?」


「うん、一つだけ忘れ物があったから、聞いて欲しいんだけど」


「ええ、何?」


「私と彼、付き合ってるから」


 彼女はそう言って握手を求めてきた。


 ……そういうこと。

 

 彼女の握手に応じながら思う。別に彼に対して男女の感情を覚えたつもりはない。


「私、男に興味ないから」


「そうなの?」


「ええ」


「そっか、ならよかった。私、遠藤えんどう花鈴。これからもよろしくね」


「よろしくね、遠藤さん」


「花鈴、何やってる。早く来い」


 遠くで菊池の声が聞こえる。それなのに彼の声がとてもよく伝わる、さっきよりも離れているのにだ。


「じゃあそういうことで。また話そうね、愛染彩華さん」



 ……? お母さん。



 再び彼女を見送りながら、私は母親に初めて同情した。、私は彼を欲しいと思ったのだ。これは紛れもなく私の感情だ。


 私にも母親の血が確実に流れている。



 ……これが私の初恋なのかしら。


 

 正直、彼に対して特別な思いはある。だがこれが恋なのかはわからない。父と同じものを感じるから特別だとはわかるが、この正体は未だわからない。



 ……まあ、いいわ。収穫はあったのだから。



 私は片付け終わった展覧会の会場を見渡して心の中で呟いた。


 自分の意思でここに来たわけではないが、一つ確かなことがある。



 それはこの地でも私が華道家としてやっていけることだ。

 

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