三、ルーツ

 コンノさんを部室に持ち込んだ人間を突き止める。それこそが、私が冬コミに参加しようと思った真の理由だ。

 誰が、どんな目的で狐面を部室に飾ったのか。秋のOB会でも聞いて回ったけど、結果はどうにも奮わなかった。

 みんな、狐面が部室に飾られていたことは覚えていても、その由来について知っている人には巡り合えなかったのだ。

 しかし、こんなアドバイスをもらうことはできた。

『冬コミなら、OB会に来なかったOBも顔を出すかもしれないよ。そこで聞いてみるってのも一つの手かもしれないね』

 その可能性にかけて、私は今日ここに来た。

 コンノさんのルーツが分かるかもしれない。その一心で。

 それを知ってどうするのかと言われたら困るけれど、でも、どうしても不思議で仕方ないのだ。

 なぜ、彼はあの漫研の部室に、長く存在し続けているのか。そこに何らかの理由があるのなら、それが消えてしまった時、コンノさんもまたいなくなってしまうのか、と――。


「ああ、この狐のお面ね。オレがいた頃からあったよ。これがどうかしたの?」

 先日、さんざん聞いた台詞に、ちょっと落胆しつつも、用意しておいた言葉を返す。

「いえ、あの……ちょっと次回作のネタにしようと思ってて、由来が知りたいんですけど、どなたが部室に持ち込んだかご存じありませんか?」

 うーん、と顎を掴む本嶋さん。このリアクションも、OB会でさんざん見たものだ。

「オレが入部した時にはすでにあったと思うし、オレより前の人間が持ち込んだことは確かだと思うけどなあ」

 漫研は今年で創部三十年。そして本嶋さんが入部したのは創部十年目のことだという。

 ワイルドな顎鬚――どう見ても自前なのだが、このコスプレのために伸ばしたのだろうか?――を弄びつつ考え込んでいた本嶋さんは、ふとコンノさんに目を止め、そして「ああ、そういえば」と呟いた。

「確証はないけど、持ち込んだ人間はもしかしたら、さっき言った榊さんかもよ」

「ええっ!?」

 思わずコンノさんを窺えば、彼は何やら思案顔で、本嶋さんの次の言葉を待っているようだった。

「ほら、放浪癖がある人だって言ったでしょ。神社仏閣が好きで、日本各地のそういうところにふらっと行っては得体のしれないお土産を部室に置いてく人だったんだよ。もしかしたらあの狐面も、京都土産か何かかもしれないよ。ほら、伏見稲荷とか有名でしょ」

「ああ、あの。鳥居がすごいところですか?」

「そうそう。オレも写真でしか見たことないけど、圧巻だよね、あの千本鳥居。こう、ホラーゲームに出てきそうじゃない?」

「ああ、何か見たことありますよ、そういうシチュエーションのやつ。なんだったっけなあ……」

 京都談議からゲーム談義にずれ込みかけている二人の会話に、申し訳ないが割り込ませてもらう。

「あの、その方と連絡を取っている方はいらっしゃいますか?」

「いやー、何しろ途中で大学自体を辞めちゃった人だからね。同期の人達もなんだかんだで辞めていって誰も残らなかったから、『空白の世代』って言われてるくらいで」

 だからあの世代はOB会にも来たことがないし、前後の世代とも連絡を取ってはいないみたいだ、と聞かされて、そうですか、と肩を落とす私に、本嶋さんは役に立てなくてごめんね、と頭を掻いた。

「誰か連絡が取れる人がいるかどうか、他のOBに聞いてみるよ。時間がかかるかもしれないけど、いいかな?」

「もちろんです。すいません、お手数をおかけして……」

「いいのいいの。卒業しても同じ部活の仲間だからね。助け合わないと」

 どこか照れくさそうに笑う本嶋さんとメールアドレスを交換して、そして大きなリュックを背負い直した本嶋さんはじゃあね、と大きく手を振って去って行った。

 ふう、と大きく息を吐き、すっかり冷え切ったパイプ椅子にどっかりと腰を下ろす。

「榊さん、かあ……。似てる人がいるなんて偶然ですね。あ、もしかして、その人をモデルにしたりしました? あ、でも前に、『どこにでもいそうな大学生』をイメージしたって言ってましたっけ」

 横で同じく椅子に腰かけたコンノさんは、差し入れの缶コーヒーに手を伸ばしながら、うーんと首を傾げた。

「その榊さんって人のことは知らない、と思う……。何しろ、ボクがはっきり覚えてるのは、ここ十年くらいだからね。本嶋くんみたいに、卒業後も顔を出してくれてた人のことなら分かるけど」

 そう、コンノさんの記憶は、遡ること十年ほどしかない。それより前からお面が部室にあったとなると、少なく見積もっても十年ほどの「空白の時間」が存在することになる。

 その空白が意味するものは何なのか。いや、むしろ顕現するにはある程度の時間が必要だったのか。

 そして、コンノさんに瓜二つという「榊さん」との関連性は……などと考え込んでいたら、不意に温かいものが頬に押し当てられた。

「差し入れ、冷めないうちにいただこうよ」

 慌てて礼を言い、すでに温くなりかけている缶を受け取る。プルタブを引っ張ると、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。

「温かい。嬉しい~」

 今回の配置は西館の端。シャッターが開いていると、風が四方から吹き抜けてきてなかなかに寒い。

 向かいのサークルさんの巨大ポスターが帆のように膨らんでいるのをぼんやりと見つめながらコーヒーをちびちび飲んでいると、同じくゆっくりと缶を傾けていたコンノさんが、ふと思い出したようにくすりと笑った。

「やけに意気込んでると思ったら、OBのみんなに話を聞くのが目当てだったんだね。ボクはまた、どうしても欲しい同人誌があるのかと思ってたよ。でも学漫は三日目だし、いつの間に男性向けとかギャルゲーにハマったのかなーって」

「そんなんじゃありませんよ! ……あ、でも後で雑貨スペースは回りたいですけど、ってそういうことじゃなくて!」

 思わず大きな声で反論してしまい、慌てて口を押える。

「……コンノさんは、自分のことを知りたくないですか?」

 そうだねえ、と呟いて、まだ僅かに中身の残った缶を揺らすコンノさん。

「知りたいような、知りたくないような……。ああ、ごめん。はぐらかしてるわけじゃなくてね? ボクは今の生活が気に入ってるし、取り立てて不便も感じてないし、このまま過ごせればいいかなって、そう思ってるだけでね」

 そう。このまま、変わらない日々が続けばいい。私もそう願っている。

 でも――。

「来年になったら、ヨシくんは四年生です」

「うん、そうだね」

「今以上に、部室に来なくなると思うんです」

「うん。きっとそうなる」

 ヨシくんだけじゃない。否応なく流れる時の中、私達はいずれ、コンノさんを残してあの部室を去っていく。

 いつかその日が来ても、コンノさんはきっと、「ずっとそうしてきたから」と、全てを受け入れて笑うだろう。「ボクはいつでもここにいるから。寂しくなったら会いに来てよ」なんて、茶目っ気たっぷりに。

 でも――でもそれは、希望的観測に過ぎない。ぼんやりとした未来予想。つまるところ――ただの願望だ。

「今日と同じ明日が来るなんて保証は、どこにもないじゃないですか」

 明日になれば、暦が変わる。

 あと八日で、私も一つ年を重ねる。

 そして――春になれば、先輩達は卒業し、そして新たな後輩が入ってくる。

 時の流れは絶対的で、ひとところに留まることを決して許さない。

「私は、コンノさんに会えなくなるのも嫌だし、知らないうちにいなくなられるのはもっと嫌だし……何より、自分が忘れてしまうかもしれないのが、一番嫌です」

 幼い頃に失くした人形のように。友人と作った秘密基地のように。初めて抱いた恋心のように。

 どんなに大事にしていたものも、時の流れはあっけなく「過去」に変えてしまうから。

「はは、心配性だなあ、吉川さんは」

 私の憂鬱を吹き飛ばすように、明るい笑い声を響かせて、コンノさんは空になった缶を足元に置くと、大丈夫、と私の頭に手を置いた。

「ボクだってそんな簡単に消えちゃうつもりはないし、もしそんな日が来たとしても、挨拶もせずにいきなりいなくなったりしないって約束するよ」

 ぐりぐり、と頭を撫で回しながら、実に楽しそうに続けるコンノさん。

「何せ今のボクには、二人の行く末を見届けるという重要な使命があるからねー!」

「! だからもう、違うんですってば! ヨシくんは単に、私がそそっかしいから色々と面倒を見てくれてるだけで!」

「ヨシくんはそうでも、吉川さんはどうなのかなー?」

 にやにや、という擬音が飛び出しそうな表情で肩をぶつけてくるコンノさんに、もう! と怒鳴って頭に乗ったままの手を無理やり引っぺがす。

「知りません!」

「冷たいなあ~。折角ボクが取り持った仲なのに~」

「知りませんってば!」

 ぷいっとそっぽを向いて、確実に赤くなっているだろう顔を手で覆う。

 すると、まるで見透かしたように、スマートフォンが賑やかな音楽を奏で出し――画面に表示された名前に、思わずぎゃっと叫びそうになった。

「は、はいっ! お疲れ様です! 吉川です!」

『お疲れ。そっち、どんな具合だ。コンノはサボってないか』

 張りのある低い声は、隣の席からもばっちり聞こえたようで、「信用ないなー」と口を尖らせるコンノさん。

「部誌交換もほぼ終わって、今のところ特に問題ないです。予定通り閉会まで残るつもりなので、片付けが終わったらそちらに向かいますね」

 今日はこのあと、ヨシくんがバイトをしている新宿の居酒屋で打ち上げをする段取りになっている。普段は顔見知りがバイト先に来るのを嫌がるヨシくんなのだけど、今日は珍しく向こうから「うちの店で打ち上げをすればいい」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。交換した部誌や残部、それとコンノさんの本体も、その時に引き渡す段取りだ。

『道は分かるか?』

 実に不安げな声音でそう聞かれ、今度は私が「信用ないなあ」とぼやく番だった。

「お店の住所、ちゃんと控えてますから! いざとなったらスマホで地図検索して向かいます!」

『なら安心だな。それじゃ、適当に交代して休憩を取りつつ、頑張ってくれ。撤収後に一度連絡をくれると助かる』

「了解です!」

『それじゃあな』

 ぶつっと通話が途絶え、画面から名前表示が消える。電池がもったいないのですぐに画面を消して机の端に戻すと、コンノさんが楽しげな声を上げた。

「いやー、楽しみだなー、ヨシくんがバイトしてる姿をこの目で見られるなんて」

「ホントですよね。いつもは絶対にダメって言うのに」

「なんで今回に限ってOKしたか、分かる?」

 新しい悪戯を思いついたような顔で尋ねられ、さあ、と首を傾げる。

「分からないですけど……、コンノさん知ってるんですか?」

 ふふふ、とにんまり笑いながら、内緒だよ、と声を潜めるコンノさん。

「今日中に荷物を受け取らないと、在庫と一緒にボクも吉川さん家にお泊りになっちゃうでしょ。それは駄目だって。どこのオトンだよ、って感じだよねー」

 全く気にしていなかった事案だけに、思わず何度も目を瞬かせ、そして吹き出してしまったら、思いのほか大きな声になってしまって、慌てて口を押える。

「ヨシくん、そういうことはすごく気にするからね~。っていうかボク、あれこれ信用なさすぎだよね」

 ひどいなあもう、と膨れてみせるコンノさん。

「もうちょっと信用してくれてもいいのになあ。これでも、約束は破ったことのない男だよ、ボクは」

 えっへんと胸を張るコンノさんに、じゃあ、と小指を差し出す。

「約束してくれますか。いきなりいなくなったりしないって」

「もちろん。キミ達に黙って消えたりしない。約束するよ」

 躊躇なく絡ませてくれた小指の温かさを、私はきっと忘れないだろう。

「……それはそれとして、コンノさんを持ち込んだ人が誰なのかは気になるので、引き続き調査してもいいですか」

「うん。今まで気にしてなかったけど、ボクもちゃんと向かい合わなきゃいけないなって思ったから、構わないよ。協力もするし」

 ただなあ、と頭を掻くコンノさん。

「なにせ、漫研の連中は自由人ばっかりだから、調べるのも一筋縄じゃ行かないと思うよ? 覚悟しないとね」

「望むところです!」


 明日になったら新しい年が来て、八日後には誕生日を迎え。そして時はどんどんと流れていく。

 決して待ってはくれない時間を、決して無駄にしないように。


「おっと、噂をすれば……」

 新たな来訪者の姿を視界の端に捉え、すっくと立ち上がる。

 まだお昼を回ったばかり。私達の戦いはこれからだ。

「よーし、頑張るぞ!」

「その調子♪」

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