第20話 騎士長の憂い

 ——ディルエール王城。書庫内。


 戒めのように赤い長髪を束ねて後ろに流しているポニーテールのルーラは王城内の警備の休み時間に六つの塔の中心から左下にあたる書庫室に来ていた。中心の一際高い七つ目の塔がいわゆる国王のための塔であり、謁見えっけんや就寝はそこで行われている。そして、ルーラのいる王室を囲む六つの塔はそれぞれ役割があって、食事を作るところや、非常時の武器庫、そして大臣達の寝床などがある。そのうちの一つにルーラがいる書庫室がある。


 国立ディルエール図書館に比べれば蔵書数は劣っているものの、価値のある書物を蓄えている点で言えば、並んでいるところもある。


 書物は全て、壁際に収められていて、壁際に沿って建てられた巨大な螺旋階段らせんかいだんと同じ高さになるように書架が入っている。


 ルーラはそこから一冊の本を取り出し、螺旋階段を下って、一階の大広間の椅子に座ってその書物のページを広げた。


 タイトルは『英雄と代償』。国立図書館で日向と共に見ていたあの本だった。


 ルーラの赤黒い瞳は神語エルで書かれた文字とかすれた絵を追っていた。


「……はぁ、この話を見ているとあの少年を思い出してならない」


 溜息を一つ、手の平に顎を乗せて、一人ボソッとそう呟く。天井が高いこの塔の中の書庫では小さな一言も非常によく響いた。


 ルーラが見ているのは絵のページ。見開き一つに全て描かれたそのページには、白銀光を放つ剣『デュランダル』を持つ少年とその少年に祈りを捧げる少女の姿が描かれていた。


 ルーラはこの物語を現在のディルエールに重ね合わせていた。この物語のあらすじは祈りを捧げる少女が国から虐げられ、ひどい扱いを受けてきていたのだが、異邦の地よりやってきた剣を携えた少年によって救われる物語である。


 でも、これはあくまでおとぎ話であって、そこにノンフィクション的なことは一切介在していないのだ。


(日向がもし、この少年と同じような存在だとしたら、結末がどうも引っかかってしまう)


 ページをめくり、読み進めていったルーラは物語の終盤にたどり着く。


 英雄として少女を助けようとした少年はついに少女を助けられずに終焉しゅうえんを迎える。少女は余命を迎えてしまって、少年が世界を変える直前に息絶えてしまうという結末だった。そして、助けられなかった自分を呪った少年は自らの命を絶ち、少女の元へと向かった、というところでおとぎ話は終了する。


「……はぁ、考えすぎなのだろうか?」


 ルーラは再び溜息をついた。もし、日向がこのおとぎ話の少年と同じ道を辿ったとしたら、あまりにもむなしすぎる。


 子を心配する母親のような気持ちにルーラはさいなまれていた。


 ルーラは椅子から立ち上がり、螺旋階段をコツコツと音を鳴らしながら壁沿いに並ぶ書棚に本を戻す。休憩中であっても、騎士長の名に恥じないように一切装備を崩さずにいる彼女はまさに騎士のかがみであるが、曇る彼女の表情は自分が騎士であってよかったのだろうか、と迷っているようにも見えた。


「ルーラよ」


 コツコツと金属のブーツを鳴らし、モデルように階段を下り広間に戻ったところで、ルーラは野太い声に呼び止められる。


 声は王が住まう塔の方に延びる連絡通路の扉から聞こえてきた。


「これは、国王陛下。いかがいたしましたでしょうか?」


 ルーラにとって聞き馴染みのある声に、ルーラは態度を改めうやうやしく頭を下げる。右手を胸に当てるディルエール王国騎士団の敬礼のような行動を取りながら、向かい合う声の主に近づく。

 ルーラが向き合うその人はディルエール王国の国王にして、ディルエール住民から最も敬われ慕われる存在である。


 かなり年老いているため、その髪の色素は失われ白髪になっており、同色の長く伸びた顎髭あごひげはまるで仙人のようである。けれど、使用人メイドにしっかりと手入れされているせいか、その風貌には清潔感もあり、王族ならではの金糸をあしらった清潔で絢爛豪華けんらんごうかな白い装束しょうぞくは気品と風格を感じさせていた。


 しわの多いその顔を動かして、国王陛下は口を開く。


「ルーラよ。お前は今、迷っているのだな」


 何もかもお見通しというように国王は淡々と語る。その言葉に、たらりと一つ汗を流し、ルーラは隠すように取り繕う。


「陛下、失礼ですが何をおっしゃっているのでしょうか?」

「言わずともわかるよ。お前は『彼ら』のことが気になっている」


 『彼ら』というのは言わずもがな、『疎外の紅眼スカーレット』のことだ。王城に住む者達は往々にして『疎外の紅眼スカーレット』と呼ぶことはない。それは、国を守る『彼ら』に対する敬意なのではなくて、『疎外の紅眼スカーレット』と呼ぶことすら自らを穢す行為だという頭のおかしい先入観によるものだ。


「何を根拠に?」

「根拠などない。ただ、お前の目を見ていればわかるのだよ。お前のその赤黒い瞳が純粋な紅であることを望んでいることがなぁ」


 陛下は冷たくわらいながら、ルーラを洗脳するように伝える。その言葉にルーラは冷や汗が溜まるのを感じた。


 単純な強さで言えば相手にすらならないはずなのに、その威圧的な態度と国王たる器に圧迫されるような、そんな見えない力に強者であるルーラも怯えを抱いた。


「お前は優しい。それはいいことだ」


 嗤いは笑いに変わって、今度は褒めるようにルーラに向かい合う。


「だが、『彼ら』は別だ。私が生まれる前から、連綿と受け継がれていた大切な伝統だ。お前が『彼ら』を心配するのもわかる。でも、『彼ら』だけは駄目だ。この国の害となる」


 何も『疎外の紅眼スカーレット』は悪いことなどしていないのに、存在することが害である認識される。そのおかしなあり方は騎士長という立場であるルーラも認められていないことだった。


 しかし、今も昔も行動を起こすどころか、言い返すことすらできなかった。


「はい。申し訳ありません。以後、留意します」


 うつろな瞳でそうルーラは答えた。そう答えることしかできなかった。


「それでいい。『彼ら』のことは考えるな。私がしっかりと対処をするから」


 年老いた陛下はおぼつかない足を動かし、王室のある塔へ歩み始めた。ルーラが見つめる陛下の後ろ姿にはおぼつかなさなど感じさせない凄みのようなものがあり、そして寒気を感じさせる恐ろしさのようなものがあった。


「…………はぁはぁはぁ。うっ、はぁはぁ」


 ルーラは張り詰めた緊張から解放されて、忘れかけていた呼吸を思い出すようにえずいた。


「……また、繰り返してしまった。私は本当に愚か者だ」


 誰もいなくなった書庫塔の中、ルーラのえずくような呼吸と悲痛な小さな叫びが天井の高いその書庫に響いた。

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