パワーストーンで気になるア・イ・ツの♡をゲット! ④日本は真珠の国

 JSの支持を集めるつもりが、回を追うごとにどんどん小難しくなっている今回のシリーズ。真珠しんじゅそうやら外套膜がいとうまくやら、もはやJSは完全に置き去りです。


 最終回となる今回は、真珠の歴史について語りたいと思います。


 第2回に紹介したラピスラズリ同様、真珠もまた古くから珍重されてきました。一説には、世界最古の宝石とも言われています。


 真実はどうあれ、真珠が特異な宝石であることは間違いありません。


 ダイヤモンドやルビーの原石は、驚くほど地味です。多くの人を魅了する輝きを与えるには、研磨し、形を整えなければなりません。


 一方、真珠は始めから美しい状態で発見されます。

 食べ物から産出される関係上、偶然発見される確率も低くありません。現に縄文じょうもん時代じだい貝塚かいづかからは、幾つも真珠が出土しています。


 シュメール文明の人々は、既に真珠を宝石として扱っていたと言います。また後に続くメソポタミア文明の遺跡からも、真珠を使った装飾品が発見されています。尚、シュメール文明については、前々回をご覧下さい。


 当時の真珠は、現在のバーレーンで採取されたものだと考えられています。


 ペルシア湾に浮かぶバーレーンでは、悠久の昔から真珠の採集を行っていました。それを示すように、島からはアコヤガイの貝塚かいづかや、遥か紀元前の真珠が見付かっています。


 真珠はキリスト教においても、重要な宝石と考えられていました。


 事実、有名な「豚に真珠」は、新約しんやく聖書せいしょに登場する言葉です。仮に真珠が無価値なら、「貴重なもの」のたとえに使われるはずがありません。


 真珠を特別視していたのは、イスラム教や仏教も同じです。


 7世紀に完成したコーランには、サンゴやルビーと共に真珠が登場します。また前々回書いたように、仏教は真珠を七宝しっぽうの一つに数えています。お葬式の際にも、真珠のアクセサリーは身に着けることが許されています。


 我々日本人も、古くから真珠と関わって来ました。


 3世紀に中国で書かれた「魏志ぎし倭人わじんでん」には、日本から真珠を贈られたと言う記述があります。5世紀や7世紀に書かれた歴史書でも、日本は真珠の産地として取り上げられています。


 7世紀初頭に創建された法隆寺ほうりゅうじには、いにしえの真珠が残されています。ガラスのビンに入ったそれは、五重塔ごじゅうのとうの地下に埋められていました。


 またいにしえの真珠は、奈良なら時代じだい創建そうけんされた東大寺とうだいじからも発見されています。


 有名な正倉院しょうそういんには、4000個以上もの真珠が残されています。その多くがビーズのように繋がれ、聖武しょうむ天皇てんのうの衣服をいろどっています。


 13世紀末に登場した「東方とうほう見聞けんぶんろく」では、日本を黄金の国として紹介しています。しかし真珠の産地としても取り上げていることは、あまり知られていません。


 何より、日本は世界で初めて、丸い真珠を養殖することに成功した国です。


 わざわざ「丸い真珠」と限定したのには、わけがあります。

 実のところ、人類はかなり古くから、人工的な真珠を作ってきました。

 代表的な例が、12世紀の文献に記された「仏像ぶつぞう真珠しんじゅ」です。


 名前こそ「真珠」ですが、仏像ぶつぞう真珠しんじゅは丸くありません。と言うか、ただの貝殻で、真珠しんじゅそうには仏像が浮かび上がっています。


 貝殻の中に仏像を作るなんて、気が遠くなるような作業に思えることでしょう。その実、原理は呆気ないほど簡単です。


 前回説明したように、真珠と貝の裏側にある銀色の部分は、全く同じ物質です。そして銀色の部分の元となる液体は、貝殻と身の間にある外套膜がいとうまくから分泌されます。


 仏像ぶつぞう真珠しんじゅを作る際には、外套膜がいとうまくと貝殻の間に小さな仏像を挟み込みます。すると貝は分泌液で仏像をコーティングし、銀色の部分と共に固めていきます。後はある程度、真珠しんじゅそうが重なるのを待てば、仏像の形をした真珠の完成です。


 中国ではこの方法を応用し、貝に付いた真珠も作られました。

 一方、人類が丸い真珠を作り出したのは、明治に入ってからのことです。


 大々的に真珠事業を展開した人物と言えば、何と言っても御木本みきもと幸吉こうきちでしょう。


 御木本みきもと幸吉こうきち安政あんせい5年(1858年)生まれの実業家で、「真珠王」の異名を持つ人物です。

 その名の通り、御木本みきもとは真珠の養殖で、莫大な富を築き上げました。また有名なジュエリーブランド「ミキモト」は、彼が創業した会社です。


 御木本みきもとがアコヤガイの繁殖に乗り出したのは、1888年のことでした。

 真珠の養殖は苦難の連続で、一時は全財産を失うところまで追い詰められます。しかし1893年、御木本みきもとは養殖真珠を作り出すことに成功します。


 とは言え、彼が作り上げたのは、貝に付いた真珠でした。形も半円で、今日こんにち流通している養殖真珠とは、大分へだたりがあります。丸い真珠が作れるようになるまでには、更に10年以上もの歳月が掛かりました。


 1世紀以上った今でも、アコヤガイを養殖する難しさは変わっていません。


 多くの方が知っている通り、養殖真珠を作る際には、アコヤガイの体内に異物を挿入します。しかし何を入れているのかについては、意外と知られていないのではないでしょうか。


 現在、アコヤガイの体内には、数㍉にカットした外套膜がいとうまくと貝殻が入れられています。貝殻は淡水に棲む二枚貝のもので、球形に加工されているのが特徴です。


 移植された外套膜がいとうまくは袋状に姿を変え、球形の貝殻を包み込みます。同時に真珠の元となる液体を分泌し、貝殻をコーティングしていきます。


 異物を移植された貝からは、2年ほどで真珠を取り出すことが出来ます。


 ところが、その2年の間に、半数近くのアコヤガイが命を落としてしまいます。赤潮や台風が発生し、壊滅的な被害を受けることも珍しくありません。


 運よく真珠を取り出すところまでこぎ着けても、宝飾品に使えるのは半分程度です。形がいびつだったり、シミのある真珠には、宝石としての価値がありません。


 短期間で出来る真珠には、ダイヤモンドやルビーに比べて増産しやすい印象があります。しかし実際には生き物を相手にしている分、他の宝石とは違った難しさがあるようです。


 4回に渡ってお届けした当シリーズ、お楽しみ頂けたでしょうか。

 何とかJSの好きそうな方向に持っていきたかったのですが、結局最後まで小難しい話に終始してしまいました。次回は今回の反省を踏まえ、原宿の人気スポットを紹介します(大嘘)


 参考資料:真珠の世界史

        山田篤美著 中央公論新書刊

      真珠の博物誌

        松月清郎著 (株)研成社刊

      貝のミラクル 軟体動物の最新学

        奥谷喬司編 東海大学出版会刊

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