♪9 どこへ
ただいまの一言もなく、帰宅した
そう、正に『飛び込む』としか形容が出来ないような勢いで――、である。
車のエンジン音で帰宅を知った男連中は皆の可愛い『姫』を出迎えようと――しかし以前、その気持ちが前面に出過ぎたせいで彼女を驚かせてしまったという苦い経験があったために気持ち抑え気味のテンションで――待機していた。
けれども、待てど暮らせど彼女が玄関のドアを開ける気配はない。
帰宅途中に何か大きな買い物でもして車から下ろすのに難儀しているのではないかと
ただの憶測であるにも拘らず、
かといっていま玄関に行けばちょうどタイミングがかち合ってしまうだろう。前回はそれで驚いた晶が手に持っていたケーキを落としてしまったのである。しっかりと学習した良い年の大人達はぐっと堪えて彼女がリビングに到着するのを待った。
やがて、玄関のドアの開閉音が聞こえてきた。
――とすると、その次に聞こえるのは洗面所へと続くドアを開ける音だろう。
もしかしたらトイレを我慢していてそっちを先に済ませる、ということも……?
ここまで来ると最早変態の領域に片足を突っ込んでいそうなものだが、男達はひたすら待った。
これといってイベントがあるわけではない。何か特別なことがあって、それで彼女を一際待ち望んでいるわけではない。ただただ、この男達は彼女のことが大好きで大切なのだ。
――が。
「――あれ?」
確かにドアの開閉音は聞こえた。いつもの流れならばそれは90%くらいの確率で洗面所のものであるはずだったし、あるいは残りの10%でトイレのはずだった。しかし、そのどれとも違う。耳の良い男達にはそれがどこに位置するドアなのかなどすぐにわかる。
「アキ、部屋に行っちゃいましたね」
「だな」
「おかしくねぇ? 俺らにいっつも『うがい手洗いは?』なんて口酸っぱくして言う癖によぉ」
「もしかして、何か取りに来ただけとかだったり……?」
「あれ? ちょ、アキ? マジで?」
晶はちょうど靴を履くところだったらしく、慌てて廊下に飛び出した章灯と視線が重なった。そして何か伝えようと口をもごもごさせたものの、結局何も――「行ってきます」さえも――言わずに出て行ってしまったのだった。
一体どうしたんだと上半身だけを廊下に出した状態で章灯は首を傾げる。その上から、にゅ、と湖上が顔を出し、既に誰もいない玄関に向かって言った。
「何だ? どうしたんだ?」
「……さぁ。何か言いたげにはしてたんですけど」
章灯の脇腹から今度は長田が顔を出した。
「――うわぁっ! くっ、くすぐったいですって!」
「うるせぇな。それよりも、まだ今日のこと引きずってんじゃねぇのか、アキ?」
「今日の……。あぁ、あぁ――……そっかぁ……。そう……なります……?」
章灯が上ずった声を上げると、湖上は上から、そして長田は下から「だろうな」と声をそろえて言った。
自分にはこういう時、本当に『何も持っていない』ような気になる。
ハンドルを握り、車を走らせてはみたものの、目的地など決まっていなかった。ただひたすら、事故を起こさないようにとだけ考えていた。
本当は『何も持っていない』なんてことはない。それもわかっている。
当面の衣食住にしても、それをどうにか出来るだけの資金はあるし、万が一それが尽きたとて、事務所なり、自分の店に転がり込むことだって出来るのだ。例え姿を隠しても、恐らく路上で何か弾けば一食分の日銭くらいは稼げるだろうとも思う。まぁ出来る限りそれは避けたいけど。
一旦車を停めようにも、どこに行けば良いのかさえわからなかった。ここら辺のコンビニは駐車場が狭いので迷惑になるだけだし、わざわざコインパーキングというのも違う。
だからひたすら車を走らせていた。
しかし無限に走れるわけもなく、適当なガソリンスタンドを見つけて入ると、どうやらかなり郊外のところまで来ていたことに気付いた。セルフではなく、かなり年配の店員が人懐こい笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「レギュラー、満タンで」
それだけ言うと、ベテランらしいその店員は「かしこまりました!」と威勢良く言い、後からやって来た若い男性に何やら指示を出した。もしかしたら新人の教育中なのかもしれない。
「吸殻やゴミはありますか?」
そう聞きながらほんのりと温かい濡れタオルが渡される。
「どうぞ、車内をお拭きください」
それを受け取って吸殻もゴミも無い旨伝えると、「最近の人はタバコなんて本当に吸わなくなりましたねぇ」と言ってからベテラン店員は深く頭を下げた。
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