♪7 馬鹿
「――で、それを倒す、というか成仏させるって感じになるわけですけど、そこからミュージカルになるわけですよ」
三軒茶屋の
その向かいでそれを覗き込みながら「ほぉん」と興味なさげな相槌を打っているのはORANGE ROD専属サポートドラマーの
「ミュージカルって俺、苦手なんだよなぁ。いや、咲と
「あー、わかるわかる。アニメとか人形劇ならまだ良いんだけどよ。ファンタジーだから、あれは。でも、生身の人間でそれやられるとよぉ。おい、いきなり歌い出したぞ、何だこいつ、ってなるんだよなぁ」
それに乗っかったのは同じく専属サポートベーシストを務める
「まぁ、俺もあまり好きではない、というか、何かこう、背中の辺りがぞわぞわする時もありますけど……」
「何だよ、章灯もあるんじゃねぇか」
湖上と長田が揃って声を上げた。
「いや、でも仕事ですし、仕方ないじゃないですか」
そう言ってやや気まずそうに国産ビールの缶に口を付ける。
こういう時にフォローに回りそうな
出来るだけ人との接触を避け、在宅ワークにこだわっている彼女にしては珍しいことなのだが、自宅に機材がない場合はどうしようもないのだった。
「まぁ、仕方ねぇけどな? ――んで? どうだったよ、
「そう、それそれ。よくもまぁアキが許したよなぁ」
「まぁ許す――っていうか、結構渋々なのは見ててわかりましたけど。でも、割とすんなりというか、頑張ってくださいって送り出してくれましたよ」
「すんなりなわけはねぇだろうな」
「だな」
大男達は顔を突き合わせてヒヒヒと笑う。
「まぁ、でも本職の方に稽古つけてもらえるってのは有難い話ではありましたし、それをアキもわかってくれたんだと――」
「ばぁっかだなぁ、章灯は」
明らかに小馬鹿にしているといったトーンで湖上が身を乗り出す。長田はというと、腕を組み、目を瞑ってうんうんと頷いている。
「ばっ……、馬鹿なんですか、俺?」
「おう、馬鹿だ」
「馬鹿だ馬鹿だ。間違いねぇ」
2人は殊更に「馬鹿だ馬鹿だ」と繰り返す。湖上に至っては節までつけ、それこそミュージカルさながらである。
「ちょっ……! そこまで言います?」
「アキもアキだけどな、お前も大概だぞ章灯」
「おうよ。お前『夫』の座っつーのに胡座かきまくってねぇ?」
「かっ、かいてません! かいてませんよ! いつだって正座してます!」
思わず座り直して反論するも、大男2人は疑いの眼差しで章灯を見つめている。
「……何すか」
「蒼空ちゃんてよぉ、可愛いよな」
長田が、ゆっくりと一文字一文字を噛み締めるようにして言った。自他共に認める愛妻家の彼が身内以外に対して『可愛い』というのはかなり珍しい。
「――はいっ?! 何ですかいきなり?!」
「アキがたまらなく可愛いっつーのはひとまずおいといて、だ。どうだ? アキに出会う前の章灯だったら、どう思うよ」
「アキに出会う前の俺、ですか……?」
そう呟いて目を閉じ、今日一日稽古をつけてくれた蒼空の姿を思い出す。
明るい色の長い髪をハーフアップにし、飾りのついたバレッタで留め、まとめている部分は手櫛でやったようにざっくりとしていたが、その反面、毛先の方はきちんと内側に巻かれていた。そしてメイクはというと、普通の男ならばすっぴんかと思うであろうナチュラルメイク。
『肩の力が抜けてるっていうヘアメイクほど力の入るものはない』
この矛盾しているような名言は、自身がメインMCを勤める朝の情報番組『シャキッと!』の中の街頭インタビューにて、女性芸能人のすっぴん自撮りについての意見を伺った時に得られたものである。さすが芸能人はすっぴんもきれいで~、などという意見が大多数を占める中、とある結婚式場の専属ヘアメイクとして勤める女性が上記の台詞を放ったのだった。
だから、というわけではないものの、章灯は、公の場で発信する女性の素顔が必ずしも『本当の素の顔』ではないことを知っている。ノーメイクで出勤して来た女子アナが、別人のようになってスタジオ入りすることなどザラにあるからである。
雑誌で見れば毛穴一つもないようなアイドルや女優にしても、実際に合ってみれば年齢関係なく案外肌は荒れていたりもするし、さすがにある程度年配の方にはなるがシワもあるのだ。
なので彼の中の『小松沢蒼空』評は、というと――、
「そうですねぇ、『随分真面目な子だなぁ』ですかねぇ」
「真面目ぇ?」
「はい。いや、局の子も言ってたんですよ。すっぴん風のナチュラルメイクは下地がナンタラカンタラでものすごく時間も手間もかかるんだって。だから、たかだか数時間の稽古のために手のかかる化粧をしてくるなんて、随分真面目な子だなぁって。そう思いません?」
想定外の返答に長田はがっくりと肩を落とした。
「そういうことじゃねぇんだよなぁ」
「ぇえっ? どうしたんですか、オッさん?」
「まぁまぁオッさん、もーこのバカにゃ何言っても無駄よ。っつーかよ、そんじゃアキはどうなんだ? すっぴん『風』も何も、アイツなんてほぼ毎日すっぴんじゃねぇか」
「アキはすっぴんも可愛いですね、やっぱり」
真顔で即答する章灯に湖上と長田は苦笑した。
たかだか数時間の稽古のためにそれだけ手のかかることをするのが何を意味するかってことに、例えそれが万に一つの可能性ってやつでも、こいつは全く考えねぇんだな。
湖上はそう思ったが、口に出すことはしなかった。
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