11/23 勤労感謝の日・後編

「アキさんの曲に出会ったんです。大学2年の時でした」


 それは一体いつ出した、何という曲だろう。少なくともORANGE RODのものでないことだけは確かだ。何せ彼女は結成時からの担当なのである。


「車のCMに使われてた『COLOR of LIFE』というインストゥルメンタルで――」

「あぁ」


 それなら自分が高校を出た後に出したやつだ。


 それはアコースティックギター一本で奏でられた曲で、シニア層をターゲットにしたセダンのCMに起用されたものだった。我ながら、なぜ20歳にも満たない若造の曲が高級車のCMに抜擢されたのか疑問に思う。


「そのCMの内容も相まって、泣いちゃったんですよね、私」


 『CALMカーム class G』という名のそのセダンのCMは、手を繋いで歩く父と子の後ろ姿から始まる。そして次は成長した我が子を助手席に乗せ、最後にはすっかり老いた父がその助手席で心地良さそうにうとうとしているのをハンドルを握った青年が見つめる、という内容である。

 バックに流れる『COLOR of LIFE』は始終穏やかにその父子を包み込み、決して目立ちすぎることも無い。


『幼き日のきみと手をつないで歩いた時のように、やさしい時間の流れる車でありたい』


 そのキャッチコピーをそのまま形にしたような、優しい曲だった。


「私の家、父子家庭なものですから、なんかいろいろ思い出しちゃって。その時はいろいろ悩んでて、もう何もかもほっぽり出して実家に帰ったんですよ。そしたら――」

「そしたら?」

「ものすごく怒られました。大学はどうした、甘えるんじゃない! って。その時はせっかく一人娘が帰ってきたんだから甘えさせてよって思ったんですけどね」


 そう言って麻美子は歩き出した。それにつられて晶も歩き始める。別に時間が押しているわけでは無かった。それでも立ち止まって話すのが気恥ずかしかったのだろう。スタジオへと続く短い廊下はあともう少しで終わろうとしている。


「まぁ結局、何だかんだいって2日たっぷりと甘やかしてもらったんですけど、別れ際、『俺が生きてるうちに一人でも強く生きる術を身に着けろ』って言われちゃいました。一人でって、生涯独身みたいだから止めてよ、って言い返しましたけど」


 麻美子はそこでまた照れたように笑う。そういえば彼女に恋人がいるだとか、そういった話は聞かない。


「でも、そうだよなぁって、帰りの電車の中で妙に納得しちゃって。そろそろ就職も考えないといけない時期でしたし。それで、思い切って、カナレコを受けてみたんです。アキさんと仕事がしたくて。その気持ちだけで」

「自分と?」

「そうです。その時はアキさんが男性なのか女性なのか、はたまたお若いのかお年を召した方なのか、全くわかりませんでしたけど。それでも、絶対にこの人と仕事をするんだって思ってました」

「あの1曲を聞いただけで、ですか?」

「そうです。あぁでも、家に帰ってすぐ通販サイトでアキさんのCDを全部買いましたよ。で、それから講義中と寝てる時以外はずっと聞いてました。もちろん、いまでも。いまはORANGEの方を重点的に聞いてますけど」

「はぁ……」

「……引きました?」

「いえ」


 それくらいのファンは別に珍しくもない。しかしまさか、それくらいのファンがいまこうして自分のマネージャーになっているとは。まぁ自分達に無関心な人間にマネージメントされるよりは良いだろう。現に『彼女がマネージャーで本当に良かった』としみじみ実感する局面は数えきれないほどあったのだ。


「何でですかね、アキさんの曲を聞いていると、なぜか何でも出来る気になっちゃって、掃除も洗濯もマメにやるようになったんです。料理は……まぁ、そこまでではないですけど、食べられるものが作れるようになりましたし!」

「えぇ?」

「で、身の周りが片付いてくると、頭もすっきりしてきて、きちんとスケジュールも管理出来るように――……ってアキさん?!」


 知らなかった……。

 自分の曲にそんな効能があっただなんて……。

 なぜ作った本人には作用してくれなかったんだ……。


 晶は頭を抱え、その場にうずくまってしまった。それを見て、麻美子は「しまった!」という思いでその場にしゃがみ込み、その背中をさする。


「これはあくまで私の場合ですからぁ! アキさん! アキさぁん!」




「ただいま~。悪かったなぁ、今日一人で……ってアキ?」


 気の抜けた声を発しながら、章灯しょうとはネクタイを緩めつつリビングに足を踏み入れる。いつもなら「お疲れ様です、章灯さん」と赤いエプロン姿で出迎えてくれるはずの晶が、なぜか今日はそこにいなかった。

 車はあった、そして靴もある。(不用心すぎるが)玄関の鍵も開いていたし、間違いなく家にはいる。


 おかしいなぁ。


 そう思いながらキッチンへと向かう。夕食はきちんと用意されている。鍋の蓋を開けると、いましがた火を止めたばかりなのだろうと思われるほどの湯気が彼の鼻孔をくすぐる。今日は筑前煮か、と顔をほころばせた。絶品としか言いようのない彼女の手料理をつまみ食いしたくなる衝動をぐっと堪え、彼は後ろ髪引かれる思いで蓋を閉じた。


 ということは恐らく自分の部屋だ。


 大方、曲のイメージでも下りてきているのだろう。

 そういうことであれば邪魔をするわけにもいかない。そう思い、うがい手洗い着替えを済ませ、読みかけの本を持ってリビングへと戻った。さて今日は何時間待たされるのやら。


 軽い気持ちで本を読み始めること1時間。外し忘れた腕時計を見て、章灯は今日が23日だったことを思い出した。


 そうだ、今日は勤労感謝の日じゃねぇか。

 いつも俺の――いや、『俺達』のために良い曲をたくさん作ってくれるアキに、飯の準備くらいはしてやらねぇと罰が当たる。とはいえ、作ったのは彼女なのだが。


 そうと決まれば善は急げとばかりに腰を上げ、いそいそとトレイの上に食器を並べる。向かい合って一緒に食べる飯は格別だが、何せ彼女は『仕事中』だ。一人で食べてももちろん美味いわけだし、寂しいのは我慢するとしよう。そう思いながら準備の出来たトレイを持ち、彼女の部屋をノックする。


「入るぞー、アキー」


 そう言ってドアを開ける。そこには、ヘッドホンを装着した状態で四つん這いになり、こちら側へ尻をつき出している晶がいた。音は聞こえずとも気配で気付いたのであろう晶は、その姿勢のまま首だけをドアの方へ向け、驚いたような顔をしている。


「……は?」

「……え?」


 お互いに短い声を発し、数秒間固まっていたが、先に我に返った晶は、自分がとんでもない体勢になっていることに気付き、慌ててヘッドホンを外してその場に正座をした。


「お、お帰りなさい、章灯さん……」

「いや、ただいま……だけど……。何してんだ、お前」

「掃……除を……」

「掃除? アキが?! しかもヘッドホンしながらかよ。何聞いてんだ?」


 章灯はその場にしゃがみ込み、晶からヘッドホンを奪う。プレイヤーの停止ボタンは押していなかったから、まだ曲は流れているはずだ。そう思ってそれを耳に当てる。聞こえて来たのは落ち着いたアコースティック・ギターの曲である。


「――アキの曲か」

「……はい」

「珍しいな、お前が自分ソロの曲聞くのって」

白石しろいしさんが……、私の曲を聞くと掃除とかちゃんと出来るようになったって……言ってて……」

「それで、聞きながら掃除してたのか」

「はい、掃除に関してはいつも章灯さんに甘えてばかりでしたから」

「俺は別に構わねぇんだけど。掃除は趣味みてぇなもんだし」

「でも……」

「それを言うなら、俺だってアキに甘えてばっかりだろ。曲も飯も作ってもらってるし。生きるために必要な『金』と『食』の部分を完全に委ねちまってるんだから」

「それは」

「だから気にすんなよ。ほい、今日は『勤労感謝の日』だ。労わろうぜ、お互いにさ」


 トレイの上の夕飯に視線を戻し、章灯はニカっと笑った。


「やっぱりあっちで一緒に食おうぜ。温め直して」

「……そうですね」


 差し伸べられた手を取って立ち上がり、晶は先を歩く広い背中に向かって声をかけた。


「いつもありがとうございます、章灯さん」

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