♪121 松竹の恐怖
「お待たせしました」
「ありがと。助かった」
章灯がシートベルトを装着したのを確認してから発車させる。
本日の仕事は深夜の歌番組の収録だ。
「新曲出すとやっぱり忙しくなるな」
「仕事があるのは良いことですよ」
「そうなんだけどさ。最近、俺の本業ってどっちなんだろうって思うことがあるよ」
そう言って章灯は自嘲気味に笑う。
「アナウンサーですよ」
「そうかぁ?」
「爽やかな朝の顔、じゃないですか」
「アキに言われると何か照れるな」
他愛もない話をしながら向かう先はテレビ関東のビル内にあるTKスタジオである。
「今日は広瀬さん学習してると良いな」
章灯がぽつりと漏らす。
「あれだけ反省して、それでも繰り返すってことはないんじゃないですか?」
「普通に考えればそうなんだけどな。たまーにいるんだ。天然を売りにしてるアイドルなんかはさ」
「広瀬さんはアイドルではないですよ」
「そうだな。まぁ、でも用心するに越したことはないし、今日はハヤシさんみたいなフォローの上手いベテランがいないからさ」
2人が出演する『ウェルカム!』はお笑いコンビ・松竹とテレビ関東アナウンサーの広瀬千晴がMCを務める深夜2時からの音楽番組である。松竹は『シャキッと!』でも共演しており、そのよしみでよく声をかけられるのである。『
松竹は芸歴の長いコンビで、突っ込みの松ヶ谷俊樹の進行は安定感があり、業界内でも評判が良いのだが、いかんせんボケの竹田仁志が厄介なのである。笑いが取れればすべて良し、と思っている節があり、根も葉もないゴシップネタから週刊誌に取り上げられたばかりのデリケートな話題までずかずかと踏み込んでくる。松ケ谷というストッパーなくしては番組が丸々放送事故になってしまう危険性もあり、松ケ谷1人が呼ばれる番組があっても、竹田がのみが呼ばれることはほとんどない。
しかし、深夜番組ということもあってか、竹田の場の空気を無視した振る舞いが結構ウケているようで、気付けば5年続いているのだった。
「松竹さん、結構苦手なんですけどね……」
案の定、晶は前回の出演で竹田に嫌悪感を抱いたようで、今回の出演も最後まで渋っていた。松ケ谷のフォローで何とかなったものの、収録後、青い顔をした番組プロデューサーが土下座でも――何なら切腹でもせんばかりに謝罪して来たのである。松ケ谷と竹田はその隣で本当に土下座していたが。
「竹田さん、コメンテーターくらいなら盛り上げ役で良いんだけど……」
章灯がそう言うと、晶は大きくため息をついた。
「今日演奏無いんで、ギターもないんですよね……」
音楽番組と銘打っているものの生演奏はなく、トークが主体で、曲についてはPVや別取りの映像を流すのが『ウェルカム!』のスタイルだ。
「一応な、プロデューサーさんに相談はしたんだよ。アキはトークに参加出来ないし、ギター持たせてやってくれって」
「どうでした?」
晶が期待を込めた目でちらりと章灯を見る。
「持つのは構わないけど、アキのギター、竹田さんがいじって壊したら大変だって……」
「それは……確かに」
章灯の言葉に晶はがっくりと肩を落とした。
「でもな、特別に中古のギター貸してくれるってよ! もちろん、アキがそれでも良いならって」
「良い! 良いです! それでも!」
晶はハンドルを強く握りしめ、声を上げた。予想以上の反応に虚を衝かれたが、元気になってくれたようで安心した。
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