♪86 血の繋がり以上の

「悪いな、アキ、来年からオレンジもう来なくなっちまった」


 電話の内容を聞かれてしまってはもう隠すことは出来ないと腹を括った湖上こがみは、あきらの前で正座をし、深く頭を下げた。


「コガさん、頭を上げてください。別に良いんですよ、確かにオレンジは好きですけど、こっちでも買えますし」


 そう言って、湖上の丸まった背中をさする。


「そうですよ、コガさん。ほら、『久保田』。注ぎますから、ほら、グラス持ってください」


 そう言って章灯しょうとは湖上の前に空のグラスを差し出した。湖上がそれを受け取ったのを見てすかさず久保田を注ぐと、彼はそれを一気に飲み干した。そして再び空になったグラスを章灯に突きつける。


「それに、コガさんはいつも実家だからって言ってくださいますけど、一度も行ったこともないですし、叔父さん夫婦にお会いしたことだってないんですから」

「それでも俺には、お前らから『親戚』を奪って良い権利なんかねぇんだよ」


 湖上は、いつの間にか注がれていた日本酒を再び一気に飲んだ。その顔の赤さはおそらく酒のせいではないだろう。この程度で赤くなるような男ではないのだ。


「もう、そんなに一気に。血の繋がった『親戚』なんて、別にいりません。コガさんやオッさん、章灯さんがいてくれたら充分です。それに、かおるは立派な血の繋がった姉妹ですし」


 湖上や長田おさだに並んで自分の名が出てきたことに章灯はどきりとした。いや、進行形で公私のパートナーであるわけだから、出て来て当然ではあるのだが、肉親以上とも言えるこの2人に並べたのが嬉しかった。


「アキぃ……」


 湖上はそう言いながら晶に抱き付いた。晶は困った顔をしてちらりと章灯を見てから、ふぅ、と軽く息を吐いて湖上の背中をさすった。章灯はそれを見てうんうんと頷いている。


「悪いな、章灯……」


 晶の肩に顎を乗せながらぽつりと呟く。


「何言ってんすか、『お義父さん』」


 ニヤリと笑って、わざと強調して言ってみる。


「まだアキはやらねぇぞ……」


 湖上の声は少し震えていた。


「それなら、お許しが出るまで待ちますよ」


 呆れた声でそう言うと、湖上はまだ少し震えた声で「馬鹿野郎、そこはもっと頑張れよ」と言った。


 この調子ならもう大丈夫だろう。


「2人とも、こちらの意思は無視なんですか」


 そう言って晶は大きくため息をついた。



「――ねぇ、郁ちゃん、寂しい?」

「寂しいって、何が?」


 湖上から「和歌山の叔父夫婦と縁切りめいたものをした」という連絡が来たのは、9時を少し過ぎた頃だった。


 郁はまだ店にいて、いつものようにその日の売り上げをパソコンに入力していた。そしてその傍には千尋がいた。


「だって……、親戚が、さぁ……」


 簡易椅子に腰掛けて足をばたつかせながら口を尖らせているその様は叱られている子どものようである。


「親戚っていっても、一度も会ったこともないし、いままでと何ら変わりないわよ」

「でも、何ていうか……」


 何でもずけずけと言う千尋にしては随分とはっきりしない物言いである。


「何で千尋がそんな顔するのよ。私には晶がいるし、湖上さんも、長田さんもいる。それから、紗世さんに、山海やまみさんに……」

「――え? ちょ、ちょっと……」


 一向に自分の名が呼ばれないことに千尋は焦りを感じ、勢いよく立ち上がる。その勢いで座っていた椅子が音を立てて倒れた。


「何よりも、千尋がいてくれるから大丈夫よ」


 それを慌てて直す千尋をじっと見つめ、郁はにこりと笑った。


「な……何だよぉ~。ちょっと焦っちゃったじゃんかぁ~」


 千尋は脱力してその場にしゃがみ込んだ。郁はくすくすと笑ってその隣に腰を落とす。


「ごめんなさいね。大好きなものは最後に取っておく派なの、私」

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