2/2 節分・後編
「ぎゃああああぁぁぁぁぁ――――――!!!!!」
リビングは地獄絵図と化した。
至るところに散らばっている落花生――はまだ良い。節分なのだから仕方がない。そのほとんどが踏み潰されているが、そこも目を瞑ろう。
電話台は倒され、その上にあったFAX付きの電話機が床に投げ出されている。
ソファのカバーは茶やらジュースやらで斑に模様が描かれている。
母――
父――
正に阿鼻叫喚といった事態の中心に、彼――
目から、鼻から、口から、そして下の方からも出せるだけの液体を出し、ありったけの声で自身のSOSを知らせている。その姿はさながら警報器である。
節分当日に豆撒きが出来なかったことを殊更不憫に思ったのは、章灯を――いや、姉をも含めた孫達を溺愛している祖父母の
「そういうことだばじいちゃんさ
あの日の夕食後、紀華が章灯の容態の報告も兼ねて豆撒きの延期を伝えた時、何とも頼もしい声が返って来たのである。紀華には何が『そういうこと』で、何を『任へる』のかはわからなかったが、熱が下がったら朝一番に車を飛ばしてこちらへ来ると聞き、彼女は「楽しみにしてるね!」と受話器を置いたのであった。
その結果――。
年甲斐もなく――と言ってしまうのは少々酷かもしれないが、章灯の回復を待って意気揚々と『豆撒き』にやって来たのは、鬼ならぬナマハゲの恰好をした祖父母であった。衣装は本場も本場、
いつもは半歩下がって彼をたしなめる祖母もこの時ばかりはと張り切ったのだろう、青い面を被っての登場である。というわけで、赤と青、2色のナマハゲはしっかりと正装(?)し、木製の出刃包丁などという武器まで装着して
「――おっ、親父! さすがにこれはやりすぎだって。おふくろもどうして止めないんだ!」
一足先に我に返った景章が章悦の手を取り、玄関へと誘導する。品子もまた慌ててその後を追い、ゆっくりとリビングのドアを閉めた。
ナマハゲ2人が退場したのは良いとしても、章灯の目には彼らが父親を連れ去って行ったように映ったのだろう、リビングからは一瞬の静寂の後、ありったけの力で父を呼ぶ彼の声が聞こえてくる。優しい子に育ったと面を外した祖父母は顔をほころばせたが、その目の前にはその面よりも恐ろしい顔をした我が子がいる。2人は長年連れ添った熟年夫婦らしく息を合わせて頭を下げた。
その後、正装を解き、面を外した2人の『元』ナマハゲはうなだれた様子で景章に連れられ、リビングへと戻って来た。紀華に顔を拭かれながら、華織が用意した新しいズボンに足を通していた章灯は、父が無事に帰って来たことに安堵し、再び大泣きした。着替えの途中であるにも関わらず父に駆け寄ろうとして足を取られ、顔から着地をして鼻血まで出す始末である。大丈夫かと駆け寄った章悦が手に持っていたナマハゲの面を0距離で見てしまったことが止めとなり、章灯は引きつけを起こして救急車で運ばれた。
これが山海家の最初で最後の節分となった。
この体験が章灯に強烈なトラウマを植え付ける結果となり、その後、山海家ではお遊び程度の節分すら開催されなくなった。彼が幽霊やら心霊現象の類を苦手としているのもここから始まっているのだという。ナマハゲはそういうカテゴリではないはずなのだが。
余談だが、この事件の後、彼のおねしょが再発している。
「……何でこんなのが残ってんだよ」
この場にいることを強制された章灯は、己の自尊心をいたく傷つけるその映像から目を――というより顔全体を背け、しかめ面で腕を組んでいる。
「え~? それは母さんに文句言いなよ~。まさか章ちゃんがあんな風になると思ってなかったからさ、カメラセットしといたんだって」
「だから、何でそれをわざわざ持ってくるんだ!」
三軒茶屋にある2人の家に核爆弾級の手土産を持参してやって来たのは章灯の姉、紀華である。訪問の目的は結婚祝いを届けに――というのは半分建前で、公には発表出来ない妻の
「そういう仕事をしている以上、何かしらソッチ系の人と結婚するとは思ってらったけどぉ」
と前置きした上で、彼女は「当たりも当たり、大当たり~! 可愛い! 恰好良い! まさかAKIがあたしの
ラベルも何も無いその真っ白なディスクを首を傾げながらデッキに入れ、再生ボタンを押したところ、飛び込んで来たのが冒頭の叫び声から始まる事件の全貌なのであった。話には聞いていたが、と絶句する晶の横で、章灯はいつの間にかリモコンを紀華に奪われていることに気付き、ならばここから逃げるしかない、と腰を浮かせた。それを紀華が許すはずも無く――となって現在に至る。
「いやいや、さすがにね、これは章ちゃんには内緒にしとくべって父さん達と話してらったんだけど――」
「だったら内緒にしとけよ!」
「でも、ほら、お嫁さんにはちゃんと教えといた方が良いべな~ってね」
「何でそうなる! 何でアキを巻き込むんだ!」
「夫婦の間に隠し事とかありえないから!」
「隠してねぇよ!」
「隠してないの?」
「あの、一応、話には聞いてました」
「あえぇ、んだのぉ。感心感心。でも、ほら、見ればやっぱ違うべ?」
「そう……ですね。これほどとは……さすがに……」
章灯は、姉には弱いと見えて赤い顔をしたまま黙っている。姉弟の力関係というのは、腕力なら勝てるとか、そういうことではないのだ。
やっと紀華の許しを得た章灯が外の空気を吸いに兼何か甘い物食べたいわね~アキちゃ~んのパシリ担当として外へ出た後、紀華と2人きりとなったリビングで晶は所在なげにDVDの空ケースを見つめていた。
確かに聞いていた話よりも遥かに大変な事件だった。が、自分の知らない幼い頃の彼の姿は純粋に可愛らしく映ったし、その事件の様子も、彼が駆けつけた救急隊員と共に退場する前までは微笑ましく思っていたことも事実である。
「章ちゃんに悪いことしたべか」
そんな声が聞こえて顔を上げたが、紀華の顔はその言葉とは裏腹に至極楽しそうである。
「かもしれません」
そんなことはない、とは言えなかった。それでも本来はそう返すのが義姉に対する礼儀だったのかもしれないが、晶には出来なかった。
「だよねぇ。アキちゃんったら正直!」
拍子抜けするほどあっけらかんとそう言い放ち、紀華は指をぱちんと鳴らす。
「あぁそうだ。あたし、ちゃんと黙っとくからね。章ちゃんが結婚したことも、その相手がアキちゃんだってことも。あたしだけじゃなく、ウチの家族も。親戚の中には口が軽い人達もいるから、知ってるのはウチの親とじいちゃんばあちゃんだけだから」
「助かります」
「章灯はさ、姉のあたしが言うのも何だけど、案外努力家だし、器用なところもあって、まぁー腹立つくらい『出来る男』なわけよ。見てくれも、まぁそこそこだべし」
「わかります」
「――お? やっぱわかっちゃう? でもさぁ、何だかんだいって結構ビビりだし、肝心なところで恰好つかない時も結構あるんだなや」
「わかります」
「そこもわかっちゃってるんだ」
「はい……」
「んだどもな、昔っから家族思いで優しいやつなのよ。後輩の面倒見も良くて随分慕われててさ。お姉ちゃん的には結構『自慢の弟』だったりするのよね。ちっちゃいころから歌も上手くて、近所でも評判でね」
「そうなんですね」
「だからさ、弟のこと、本当によろしく頼みます。一番恰好悪いところ見せといたら、耐性つくかなぁって思って持って来たのよ」
「そうだったんですね」
「たまに情けなくても、見捨てないでやって」
そう言って、紀華は苦笑しながら頭を下げた。
「あれ? アキ1人か?」
「はい、電車の時間がって言って、ついさっき……。章灯さんが戻るまでって引き止めたんですけど、この後行くところがあるみたいで」
「昔っからこうなんだよなぁ。マイペースっつーか、傍若無人っつーか」
せっかく好物買ってきたのに、とぶつくさ文句をたれながら置いたコンビニの袋の中には抹茶系のスイーツと菓子が数種類入っている。
「また来るって言ってました」
「しばらく来ねぐでいぃ」
方言まじりでそう呟く彼の頬は少しだけ緩んでいる。
「お
「そうか? 結構訛ってたろ。旦那さんの実家の方、結構癖の強いとこなんだよな」
「そうなんですね。でも章灯さんのでだいぶ慣れました」
「俺は訛ってねぇよ。……よな?」
「酔うとたまに」
「マジか」
「マジです」
わざとらしく頭を抱えてみせた章灯に向かって晶は苦笑する。
袋の底に、『処分特価』というシールが貼られた鬼の面付きの落花生の袋がちらりと見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます