♪81 理想の声 (終)

「お帰りなさい、章灯しょうとさん」


 いつものように赤いエプロン姿のあきらがキッチンから声をかけてくる。


「お疲れさまでした」


 いつもなら「うがいと手洗いです」と付け加えられるタイミングだったが、さすがに今日は労いの言葉での出迎えであった。


「アキもお疲れ」


 そう言って、さらに指摘される前にうがいと手洗いを済ませる。

 再びリビングに戻って、ネクタイを緩めた。


「『お守り』効きましたか」


 晶はコンロの上の鍋から目を離さずに言った。


「ばっちり効いたよ。いつの間に作ったんだ」

「構想はありましたから、工房に依頼して……、出来上がったのは今月の頭です」


 章灯はポケットから『お守り』を取り出す。それは釣竿が指の付け根から真ん中の関節までぐるぐると絡みつくようなデザインの指輪だった。章灯の右手中指に合わせて作られている。


「いつの間に俺のサイズなんて測ったんだよ。教えたことなんてないはずだぞ」

「怖い映画見た日です。0時に電話をかける前に」


 そう言って、コンロの上から鍋を下ろした。近付いてみると、どうやら今日はスパゲティらしい。


「直接言えば良かったじゃねぇか」

「言おうと思ったんですが、たまたま、そういうチャンスがあったもので」


 晶はフライパンの中に茹で上がった麺を入れ、からめ始めた。


「もうすぐ出来ますから、着替えて来てください」


 言われた通りに部屋に戻って部屋着に着替える。忘れずにポケットから『お守り』を取り出し、デスクの引き出しに入れた。

 リビングに戻ると、丁度晶がテーブルへ出来上がった料理を運んでいるところだった。キッチンへ向かって、飲み物を運ぶ。


「とりあえず、デビューしたな」


 食べ始める前に何となくビールの缶を持ち上げると、晶はお茶のグラスを持ってそれに軽くぶつけてきた。


「これからですよ」

「そうなんだよなぁ……。いただきます」

「召し上がれ」


 もぐもぐと咀嚼しながら、ちらりと晶を見る。



 こいつと出会ってまだ3ヶ月とちょっとなんだよなぁ。



「何か」


 章灯の視線を感じた晶が眉間にしわを寄せる。



 こいつは、これでもだいぶ表情豊かになったんだよなぁ。



「何でもねぇよ。可愛い顔だと思って見てただけだ」


 わざとそう言ってみると、途端に晶の顔が赤くなる。


「ま……っ、また、章灯さんはすぐそういう……」


 晶は自分の身体を冷ますように冷たいお茶を一気に飲む。


 無事、デビューもしたし、もうちょっとからかっても大丈夫だろうか。そんな意地悪心が顔を出す。


「アキはさ、俺のこと、素敵だなぁとか思ってくれたりしないわけ?」


 目を細めてわざといじけたような声を作ってみる。


「ご、ご飯中ですから」


 晶は必死に章灯から視線を外してそう言うと、スパゲティの山にフォークを刺した。


「じゃ、飯食ったら聞かせてくれるんだな。楽しみにしてる」


 意地悪く笑って、章灯も食べ始めた。




「さぁーて、聞かせてもらおうか」


 食事も終わり、後片付けも終えた。テーブルの上には缶ビールと、薄めに作ったカウボーイにミネラルウォーターが置いてある。ソファに少しだけ空間を空けて並んで座った。


「覚えてたんですか」


 晶は顔を赤らめながらもうんざりしたような表情である。


「当たり前だろ。俺だって、たまにはアキからそういうの聞いてみたいんだよ」


 テーブルの上のビールに手を伸ばす。『WAKE!』の時と違って『シャキッと!』は入りの時間が遅いので、夜も少しはゆっくり出来る。晶もそれにつられてカウボーイに手を伸ばし、ごくりと飲んだ。やはり素面では恥ずかしいのだろう。


「なぁ、アキはさ、いつごろから俺のこと意識してたんだ?」

「いつって……。章灯さんはどうなんですか」


 ちらりと隣を見ると、晶は赤い顔で少し口を尖らせている。


「俺? 俺は……、意識って言うとやっぱりお前が女だってわかった時かな。結構安心したんだぜ?」


 ははは、と笑うと、晶は意外そうな顔で章灯を見つめた。


「安心って……何でですか?」

「だってさぁ、毎日毎日あんな美味い飯食わされたらさ、もー、胃袋がっつりつかまれちゃうわけだよ。あー、アキが嫁だったらなぁって考えたりもしてさぁ。お前にも冗談で何度か言ったよな、そういや。でも、男だったからさぁ。俺、いよいよそっちの方に目覚めちゃうんじゃねぇかってハラハラしてたからな」

「そうなんですか」

「そんで、昨日まで男だと思って油断してたのに、女の服着たら、完全に女にしか見えねぇし。その上、あんなに綺麗に化粧されたらたまんねぇよ、俺だって」

「そうでしたか」

「結構、我慢してたんだぜ」


 そう言ってニィっと笑うと、晶はもうこれ以上ないくらいに真っ赤な顔をしている。


「――で?」

「で? って何ですか」

「アキの番」

「番って……。たぶん……、章灯さんと同じくらい……ですよ」


 晶は赤い顔のまま深く俯いた。


「何かきっかけとかあったのか?」

「きっかけ……は……、たぶん……、コガさんの雑炊を食べた後……の」


 そう言われて必死に記憶を手繰り寄せてみるが、そんなきっかけになりそうなイベントだったとは思えない。


「それから……、タイアップの演奏して……、化粧して……です」



 あとの2つは何となくわかるが……、コガさんの雑炊の後って何だ?



 晶はそこでまたカウボーイを飲んだ。章灯から指摘される前にミネラルウォーターにも口をつける。


「でも……」



 なぁ、コガさんの雑炊って何だ?



 と聞こうとしたタイミングで、晶が話し始める。


「いちばん最初に地下室で声を聞いた時からちょっと、おかしいと思ってました……」

「おかしいって?」


 晶はミネラルウォーターを置き、カウボーイに持ち替えて一口飲んだ。


「何か……、自分の原動力が、全部になったというか」

「どういうことだ?」


 恐る恐る問いかけると、晶はゆっくりと続ける。


「章灯さんの声を聞き続けたくて、曲を作りました。依頼されてからじゃなくて、自分から」


 また一口飲む。


「曲を作れば、その声が良い曲にしてくれると思って」


 話す度にまた一口飲む。


「良い曲がたくさんあったら、長く続けられますから」


 残りわずかとなったカウボーイをじっと見つめてから、名残惜しそうにちびりと飲む。


「私にはずっと探してる理想の声があって……。いまは章灯さんがいちばんそれに近いんです」



 、ということは、俺の声は違うということなんだろう。



「じゃ、もし、その理想の声の主が現れたら……?」



 俺はお払い箱になっちまうのか……?



「……どうしましょう」


 そう言うと晶はテーブルにグラスを置いて、顔を覆った。


「どうしましょうって」

「あんなに探してたのに、いまは見つかるのが怖いんです。章灯さんがいちばんのままでいてください」


 晶の声と肩が震えている。章灯は手に持っていたビールをテーブルに置き、その丸まった背中を優しくさすった。


「何で、お前はそんなんで泣いちゃうんだよ」


 晶はそれには答えず、ただ肩を震わせている。


「アキは意外と結構泣き虫だよなぁ」


 笑って言うと、晶は顔を覆ったまま小声で言う。


「すみません」

「別に悪くねぇよ。慰めるって口実で抱けんだろ、お前のこと」


 そう言いながら晶の身体を包み込むように抱きしめた。

 晶は一瞬身をこわばらせたが、すぐに脱力した。


「口実って」

「だって、何でもないのに抱いたら、警戒すんじゃん、アキは」

「そんな」

「――お? じゃ、何でもなくても抱いていいんだな?」

「い、良い……ですけど」

「……じゃ、キスは?」

「そ、それは……!」

「冗談だよ。用もないのにしたらありがたみがなくなっちまうからなぁ」


 ほんの少しだけ期待していたのだが、これも嘘じゃない。


「……なぁ、アキ」


 さっきまでのおどけた声ではなく、真剣な声で話し始める。晶の方でも、感じ取ったのだろう、身体に少し力が入った。


「さっきのな、理想の声ってやつだけど、俺がいちばん近いんだったらさぁ、俺が近付くんじゃダメなのか?」

「――え?」

「具体的にアキの理想がどんなんかはわかんねぇけどさ。俺がそれに近づけば解決するんじゃねぇの? それはズルしたことになんのか?」

「その発想は……なかったです」

「そうか……。それがアリなんだったらさ。これからたくさん歌っていくうちにきっと良い方に変わってくって」

「そう……ですよね」

「これからだろ? 俺達はさ」


 そう言うと、晶の頭がもぞもぞと動き始めた。顔を出したいのだろうと思って、少し手を緩めると、案の定、その隙間からひょっこりと顔を出す。


「ちなみに、さっきの『俺達』ってのは、ユニットだけじゃねぇぞ?」


 まだ赤い顔をしている晶はその言葉が理解出来ずに首を傾げている。

 ちょうど良い角度だな、と思って、素早くキスをした。


「……さっき、用がない時はしないって言ったのに」

「用があったからしたんだよ」

「何の……用ですか」


 そう言って章灯の胸に顔を埋めた。


「言ったろ? ユニットだけじゃねぇって。俺達もこれからだろ」


 晶の頭がかすかに動いた。


「さすがにまだ早いんだけどな……、このまま2年、3年……ってさ、いまみたいにやっていけたらさぁ」


 ここまで話して大きく呼吸をする。


「そん時はさぁ……、本当に……、俺の、になってくれないか……?」


 晶からの反応は無い。晶のことだ、じっくり考えているとか、ショックで言葉が出ないのだろう。


 いや、もしかして、ちょっと気が早すぎたか? まだ俺ら付き合って1ヶ月も経ってないのに、口を滑らせすぎた。これは引かれたかもしれない。


「……なぁ、アキ。さすがに何か反応が欲しいんだけど」


 とんとんと背中を優しく叩いてみる。それでも反応は無い。


 あれ、もしかして……。


「……アキ、起きろ。馬鹿野郎」


 少し強めに肩を揺する。晶は小さく「うぅ」と唸った。


「起きねぇと耳噛むぞ」

「……止めてください。聞こえなくなったら困ります」



 食いちぎるほど噛むわけねぇだろ。



「聞き逃しやがって……」


 忌々しそうに耳元で呟いて、ほんのりと赤く染まっている耳朶を甘噛みする。

 晶はびくんと身体を震わせ「食べないでください」と小さな声で言った。


「明日が平日で命拾いしたな。金曜の夜は覚悟しとけよ」


 今度はわざと音をたてて耳にキスをする。

 晶はそれに対してもぴくりと反応し、震えた声で「わかりました」と言った。


「さっき、何を聞き逃したんでしょうか」


 眠たいのだろう、少しかすれた声で言う。


「いま言ったってどうせ記憶にないくせに」


 章灯はため息交じりに呟いた。


おらどこの嫁っこさなってけんねすか俺の嫁になってくれませんかって言ったんだ」


 聞かれていなかったとは言え、2度同じ言葉を言うのが恥ずかしく、わざと方言で話す。


「また……何語ですか」


 晶は章灯の胸に顔をこすりつけながらもごもごと言った。これをやるということは、確実に酔っている。


「立派に日本語だ。これも金曜の夜だ。最後まで出来たらちゃんと言うから」


 そう言って、すっかり脱力している晶の身体を抱きしめた。



 

※Main Chapter 2 は番外編やら何やらを挟んでから始まります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る