♪73 THE TACTICIAN

 章灯しょうとの部屋のベッドの上で2人は並んで座っている。

 どちらも口を開こうとはしない。

 沈黙に耐えられなくなった章灯がぽつりと話し始める。


「アキ、本当に良いのか?」

「……構いません」

「いや、その言い方だとな……」



 やっぱり嫌々みたいじゃねぇかよ。



「……頭ではわかっているんですが、何て言ったら良いのか……」

「ああ、そういうことか……。でもさぁ……」


 ということは、『嫌々』ではないらしい。それ自体には安堵するものの。

 膝の上に行儀よく揃えられているあきらの手にそぅっと触れてみると、彼女は電流でも走ったかのように飛び上がった。


「この状態ではなぁ……」


 ほんの数分前にも同じことをして、同じ反応だったのである。

 何にせよ、こんなガッチガチの状態では、絶対に無理だ。


「……いまのでびびるくせに、どうしてあんな大それたことをしたんだ、お前は」

「だって……」

「コガさんに焚きつけられたからか?」


 章灯は握ったままの晶の手に軽く力を入れた。


「それも……ありますけど……」

「けど?」

「私だって……」


 その言葉に、今度は彼の方が飛び上がりそうになる、


「したかった、か」


 たぶん待ってても言葉は出ないだろうと思い、それに続きそうな言葉を言ってみる。正解でも不正解でも、何かしらの反応はあるだろう。

 しばらく俯いて固まっていたが、控えめにこくりと頷く。


「その意思が確認出来ただけでも大きな一歩だな」


 握っていた晶の手を持ち上げて甲に唇をつけると、驚いたのか、晶の身体は小さく震えた。


「……章灯さん?」

「どこまで知ってるかわかんねぇけど、全部が全部痛いってわけじゃねぇからな」

「それって、どういう」


 晶が顔を上げると、空いている手で耳に触れ、キスをする。ゆっくりと舌を入れたが、さすがに想定内だったのかそれには驚かなかった。その反応を見て、触れているだけだった耳を優しくなぞると、晶の身体はまた小刻みに震えた。


「例えばこういうこととか」


 唇を離してそう言うと、晶は顔を真っ赤にして目を逸らした。


「どうする、続けるか」


 そう問いかけたくせに、返事をしようと顔を上げた晶の口をキスで塞いでしまう。予想外の出来事に返事よりも呼吸が出来ない。時折小さく声を漏らしながら何とか呼吸をすると、章灯の唇はゆっくりと離れた。晶はいまのうちに、と大きく呼吸をする。


「まだ返事してないんですが」

「ちょっと止まらなかった……。でも、だいぶ力抜けたろ」


 章灯は悪びれずにニィッと笑うと「さて、どうする」と言った。

 この質問だとYESかNOでは答えられず、晶は悩んだ末に章灯の胸にもたれ掛かった。




「章灯がなぁ、アキのCDを買ったんだってよ」

「ほぉ。まぁ、興味持つわなぁ」


 長田おさだの家のリビングで、湖上は床に胡坐をかき、長田の妻の咲が用意してくれたつまみに舌鼓を打ちながらビールを飲んでいる。


「しかも、『SUPERNOVAスーパーノヴァ』な」

「何だよ。さすがピンポイントで当ててきたのか」


 長田はニヤリと笑ってコーラを飲む。


「まぁ、もう1枚『SUGARシュガー』も買ったみてぇだけど」


 湖上はふぅ、と息を吐いて手に持っていたビールをテーブルに置いた。


「なぁ、聞くだけじゃわからんよな?」

「まぁ~、でもいまはパソコンっつー便利なもんがあるからなぁ。でも、あの鈍感野郎のことだから、『歌ってるアキもすげぇなぁ~』なんつって終わるんじゃねぇの?」

「……だよな。普通、たかだかCD聞いてわざわざ元ネタを調べたりしねぇよな」


 ははは、と言って再度ビールに口をつけた。


「でも、別に隠すことでもねぇだろ。調べりゃすぐにわかることだし」

「まぁ……そうなんだけどな。そこからいろいろ派生して突かれんじゃねぇかって」

「いろいろって何だよ」

「いろいろはいろいろだよ」


 湖上は口を尖らせ顔を背ける。


「お前が皐月さんに惚れてたこととかな」


 長田はニヤニヤと笑いながらテーブルの上にある一口チョコレートを取った。


「……過去形じゃねぇよ。いまでも惚れっぱなしだ」


 赤い顔をして残っていたビールを一気に呷る。


「あんなイイ女に出会ったら、もう次はねぇんだよ」

「確かに、皐月さんはイイ女だよなぁ……。アキは皐月さんに生き写しだよな、見た目も、音楽の才能もさ」

「社交性とかそういうのはぜーんぶかおるの方に持ってかれちまったけどな」


 湖上は長田の方へ顔を向け、ニッと笑った。


「ま、そうでもしないと不公平だろ。ただ、もうちょっと均等に分配されりゃ良かったんだけど……」

「あの姉妹は極端なんだよなぁ……」

「でも最近アキの方もちょっと女っぽくなってきただろ」

「そこは章灯サマサマだろうな。どんな調教してんだか知らねぇけど」


 湖上はビールを飲もうとして缶を持ちあげ、すっかり空になっていることに気付き、そのまま力を入れて軽くへこませた。


「調教って……、お前なぁ……」


 長田は苦笑しながら立ち上がり、冷蔵庫へ向かう。湖上用のビールを取り出し、リビングへ戻る。


「スランプも上手いこと抜け出せたみたいだし、あとデビューまでは何も起こらんだろ」


 そう言いながら差し出されたビールを受け取り、すぐに口を開けた。


「……なぁ、コガ、今回のお前の『策』は何だったんだよ」

「――ん? 策ってほどでもねぇよ。章灯にお前が邪魔だから一旦出てけって言っただけだ」

「そんだけか?」

「アキには、男の我慢はお前がギターを100日我慢するのに匹敵するんだぞって言っただけだ」

「そんだけか?」

「そんだけ。あー、あと、どっちにも実行に移すのは金曜にしろって言ったかな」

「そんだけで何で上手いこといくんだよ」

「まぁ、あのアホたれが詳細を教えないから本当のところはわからんけどなぁ、パターン1はさ、アキの方が先に仕掛けた場合……」

「アキが先に……。『章灯さん! 我慢させちゃってごめんなさい! 抱いて!』ってことか」

「そうそう。その場合は、ショック療法的な感じで、イケると思ったわけ」

「そんな」


 呆れ顔の長田とは対照的に湖上は得意気である。


「で、パターン2、章灯が『アタシ、実家に帰らせていただきます!』な」

「アイツの実家、秋田だぞ」

「いやいや、例えよ。丁度アイツまだ前の部屋解約してなかったしさ。で、その場合はだな、おそらくアキのことだから、章灯が出て行くまでに意地で何とかする」


 そう言って湖上は右手を強く握りしめた。


「確かに、策でも何でもねぇな。ショック療法と意地って」

「まぁ、そうなんだけどよ。でも結果的に上手くいったわけだから、俺の策にハマったってことなんだよ」

「しかし……、どっちだったんだろうな」

「どっちにしろ、最終的にはヤッてると思うんだけどなぁ」


 湖上は新しいビールに口をつけると、ごくりと音を立てて飲んだ。




「――血、止まったか?」


 途中までは、まぁ、良い感じだったと思う。

 それなりに良い雰囲気だったし、晶は緊張と弛緩を繰り返しながらではあったが、それもまだ許容範囲だった。


「すみません……。まさかこんなことになるとは」


 晶は自分の血で汚してしまったシーツを見て、すまなそうな顔をしている。


「いやぁ、俺もこのレベルの出血は久し振りに見たというか……。良かったな、俺が血とか平気なタイプで」


 とりあえずあまり動かすのはまずいだろうということで、晶は章灯のシャツを羽織り、さらに毛布を纏ってベッドの上に座っている。


「シーツは気にすんな。まぁ、こうなるんだろうし」

「えっ……!」


 晶は鼻の詰め物を両手で隠しながら息を飲んだ。


「何驚いてんだ。知らなかったのか? 人にもよるらしいけど、初めての時って血ィ出るんだぞ」


 新しいティッシュを勧めながら意地悪く笑うと、晶は顔をしかめた。


「頑張ります」

「まぁ、無理すんな。今日はほら、また1段上がったってことでな。薄暗かったけど、お前の裸も拝めたし」


 わざとらしく顔の前で両手を合わせ、ありがたやありがたやと言うと、晶は顔を赤らめて下を向いた。


「最後までするしないは別としてさ、たまには一緒のベッドで寝ようぜ」


 俯いている晶の頭を優しく撫でながら言う。


「あとは、アレだな、少しは俺の裸にも慣れんとな。お前、『親父』のは見たことあんだろ?」

「そりゃありますけど。章灯さんは……、自分の母親の裸を見たりしますか?」


 晶は少しだけ顔を上げて上目づかいで章灯をにらむ。


「そう言われると……。うん、そうだな。確かに母親の裸見て興奮するわけねぇわ。ていうかしたくねぇ。すまん」


 そう言って章灯は大きく頷いた。晶は依然、気まずそうな、泣きそうな顔で章灯を見つめている。



 薄暗かったとはいえ、裸を拝んだのは何も章灯の方だけではない。晶も、しっかりと、章灯の裸体を拝んで――、


 そして、鼻から大量に出血したのだった。


 それに気付いて、必死に彼の肩を叩いて止めさせようとしたのだが、それはどうやら彼女の可愛らしい抵抗だと思われたようで軽くいなされてしまった。しかしさらに強く叩かれ、どうしたと顔を上げてみれば、薄暗さの中でもはっきりとわかるほどの異変に章灯は飛び上がった。慌てて電気を点けてみると、晶の顔を中心に辺りは血まみれだったというわけである。

 

「もしかして、あの『入浴剤』ってのも、必要なアイテムだったのかもな」


 晶を床に座らせシーツをはがす。


「今度一緒に風呂入るか」


 そう言いながら後ろを向くと、晶はまた顔を赤らめ、新しいティッシュを鼻にあてがった。


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