♪71 謝るようなことをしたんですか?

「アキ、ちょっと休め。ほら、コーヒー」


 3時に追加の毛布とコーヒーを持って章灯しょうとが地下室に入ると、あきらはギターを弾く手を止めた。


 すみません、と青白い顔でそう言いながら、淹れたてのコーヒーをゆっくりと啜る。


「あと必要なものないか? 甘いものとか、どうだ?」

「甘い物……。チョコ以外なら食べたいです」


 チョコ以外、という言葉で、そういえばバレンタインのチョコがまだ残っているんだった、と思い出す。さすがの晶もしばらくは見たくないのだろう。


「チョコ以外の甘い物かぁ……。そうなると、クッキー、マシュマロ、飴、キャラメル、和菓子……」


 章灯は思いつく限りの甘い物を羅列し、ちらりと晶の飲んでいるコーヒーを見る。


 それも、充分甘いはずだが。

 頭脳活動には糖分が不可欠だというし、きっと大量に必要なのだろう。


「……和菓子が食べたいです」

「和菓子か。わかった。和菓子なら何でも良いのか?」

「何でも良いです」

「よし、そしたら、5時に和菓子とあっついお茶持って来るからな」

「ありがとうございます」

「無理しなくて良いんだからな。今生の別れでもあるまいし」


 そう言って晶の頭に手を乗せる。


「別に、章灯さんのためではありません」

「そうか」


 ウソつけ。昨日、あんな必死な顔してたくせに。お前の「別に」なんてバレバレだっつーの。


 そう言いたいのをぐっとこらえる。


「料理を食べてもらう相手がいないのがつまらないだけです」

「コガさんがいるじゃねぇか」


 コイツは本当に素直じゃねぇな、と思うものの、それはたぶんお互い様だろうとも思う。


「コガさんは後片付けが下手ですし」

「成る程、俺は片付け要員だったのか」


 違うとわかっているが、意地悪く言ってみる。


「章灯さんの方が、美味しそうにたくさん食べてくれますし」

「まぁ、俺の方が若いしな」


 さぁ、どう返す。


 晶は次の言葉を探しているようだったが、なかなか浮かばないのだろう、カップを持って下を向いたまま黙っている。これ以上いじめるのはさすがに可哀想だ。


「俺だって、アキの飯を毎日食いたいさ。需要と供給のバランス、ばっちりだな。じゃ、『お互い』のために頑張ってくれ」


 そう言って、軽く頭を撫でてから地下室を出た。



 5時きっかりに和菓子と熱いお茶を持って地下室への扉を開ける。晶の歌う声が聞こえ、声をかけずにそぅっと階段を下りた。

 階段を下り切っても晶は章灯に気付いていないようだった。せっかくの歌を止めるのがもったいなくて、階段に腰掛け、耳を傾ける。


 これは、良いんじゃないか。


 シンプルなフレーズの繰り返しなのに、強く耳に残る。湖上こがみに聞かせてもらった曲のような妖艶さがない。大人になりかけている少女のような印象だった。

 歌い終わると、譜面に何やら書き込み、それが終わるとまたギターを構える。


 完全に声をかけるタイミングを失い、さてどうしたものかと悩んだ末、わざとらしく咳払いをすると、晶は驚いたのかびくんと身体を震わせ、ゆっくりと振り向いた。


「いたんですか。驚かさないでください」

「いや、驚かすつもりはなかったんだけど」


 章灯は気まずそうに手に持っていた紙袋を差し出した。


「――和菓子。休憩しろ」

「もう5時ですか」


 晶は章灯から紙袋を受け取り、中を覗くと、目を輝かせた。


「すごいですね。きれい」

「すごいだろ。和菓子って芸術だよなぁ」

「芸術すぎて、食べちゃうのがもったいないですね」


 そう言って顔を上げ、にこりと笑った。久し振りの笑顔に心臓がドクンと跳ねる。


「ほら、お茶も。アキの歌に聞き入っちゃって、ちょっと冷めちまったけど」

「聞き入っ……て? いつからいたんですか?」

「いや、そんな前でもないけどさ。良い曲だったな」


 章灯は立てかけてあった折り畳み椅子を運んで隣に座った。


 晶は小さく「ありがとうございます」と呟いて温くなったお茶に口をつけた。


「どんな印象でしたか」


 湯呑に口を付けた状態でおそるおそる問いかけてくる。


「何か、さなぎが蝶になる途中みたいな」

「――え?」

「少女から、大人へ脱皮する感じっつーのかな。でも、やらしい感じはなかったなぁ。なんか爽やかな感じっつーかさ」

「そうですか」


 そう言うと、桜の形の練りきりの表面を優しく撫でてからぱくりとかぶりついた。


「どうなんだ?」

「……及第点、ですね」

「いまの俺のが?」

「いえ私が、です。まだ油断は出来ませんが」


 晶はそう言って残りの和菓子を一口で食べると、お茶を一気に飲んだ。一気に飲めてしまうほどぬるくなっていたようだ。


「お代わり、持ってくるか? あっつい方が良いだろ?」


 章灯は空になった湯呑を指差して言った。和菓子はまだ残っている。お茶なしで食べるのはさすがに甘すぎるだろう。


「はい。でも、上行きます。あとはどうにかなりそうなので。御馳走さまでした」


 晶は湯呑を章灯に手渡すと、椅子から立ち上がった。それを見届けてから章灯も立ち上がる。

 若干危なげな足取りの晶の肩を抱き、慎重に階段を上る。リビングのソファに座らせると、キッチンに向かって湯を沸かした。


 まだ手に残る肩の感触を反芻しながら、本当に間に合わせてくるとは、と章灯は思った。


 これがプロってやつなのか。はたまたアイツがすごいのか。

 

 そんな思いでコンロに立ち、ちらりとリビングを見ると、晶はソファにごろりと横になっている。


 このまま寝るなら沸かしても意味ないのでは。


 火を止めてリビングへ向かう。晶の顔を覗き込むと、案の定すぅすぅと寝息を立てていた。

 小走りで地下室から毛布を回収し、晶にかけてやる。

 床に胡坐をかき、寝顔を見つめた。

 


 不愛想で、不器用で、繊細で、頑固で、

 何も知らない少女の顔もあり、自分にも他人にも厳しいプロの顔もあり、

 素直じゃないくせに態度に出やすくて、

 強いようで弱く、弱いようで強い。


 こんなすげぇ女、見たことねぇ。



 章灯は眠っている晶の唇にそぅっと自分の唇を重ねた。一度触れると、もっとしたくなる。これくらいなら、起きないよな、と内心びくつきつつ。


 晶を起こさないよう慎重に触れる程度のキスをした。

 これで最後にしようと思いつつも、やっぱりもう1回だけ、とつい身体が動いてしまう。

 本当にそろそろ止めないと、と身体を起こした時、晶の目がゆっくりと開いた。


「章灯さん……?」

「――え? あ、いや……、その……、寝顔があんまり可愛くて、つい。いや……その、ごめん!」


 両手を顔の前で合わせて必死に謝罪する。と。


「謝るようなことをしたんですか?」


 聞き覚えのある台詞にハッとして顔を上げると、晶は困った顔をして笑っていた。


「寝込みを襲うのは……さすがに……悪いことをしたと……思って」

「……実は途中から狸寝入りだったと言ったら、どうします?」

「おま……っ!」


 ニヤリと笑う晶に、顔を赤くしている章灯。いつもと立場が逆転している。


「少しだけ寝かせてください。続きは夕飯の後です」


 そう言って、背もたれの方に寝返りを打ち、毛布をかぶる。


「――へ? 続きって……? ちょ、アキ?」


 章灯は顔を赤らめたまま、晶の背中を揺すったが、何も反応はなかった。まさかこの一瞬で寝たとは考えられないが、こちらを向けない『理由』があるのだろう。


 何だよ、脱皮したのはお前だったのかよ。




 章灯から『スランプ、脱出出来たっぽいです』というメールを受信した湖上は、その画面を長田おさだに見せると、ニヤリと笑った。


「――な? 上手くいったろ?」

「ほんと、お前はアキの性格を良くわかってるっつーか……」

「今回は上手いこと章灯も動かせたと思うぜ、俺?」


 湖上は得意気な顔をしてわざとらしく胸を叩いた。


「お前は策士だよ、マジで……」


 長田は頬杖をついて苦笑した。

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