♪64 HEART BEAT

章灯しょうとさん……、苦しいです」


 あきらは苦しそうに顔を上げて息継ぎをした。


「……そりゃそうだろ。そんなに押し付けりゃ」


 真っ赤な顔を向けた晶をやや呆れた顔で見つめる。晶はその視線に気付くと慌ててまた胸に顔を埋めた。


「おい、だから、そうやってるとまた苦しくなるぞ。ちゃんと息継ぎしろよ」


 章灯は晶の背中をとんとんと優しく叩きながら言う。


「……章灯さん、苦しいです」

「いや、だから、いちいち報告しなくて良いから、息継ぎしろって」


 眉をしかめて上を向いた晶に苦笑する。しかし、晶は眉をしかめて目を瞑ったまま首を振った。


「息じゃないんです、苦しいの」

「――は?」


 息も絶え絶えといった、ただ事ではない様子に章灯は飛び起きた。


「どっ、どこだ?! どこが苦しい?!」


 背中を丸め、顔を覗き込むようにして慌てている章灯を見て、晶もゆっくりと身体を起こした。

「良い、良い。寝てろ、アキは。苦しいのはどこだ? 擦るか?」

 章灯に促され、再び身体を横たえる。

「……良いです。あの、胸なので……」

 晶は胸を擦りながら苦しそうに答えた。

「さすがにそこはな……。ていうか、お前もしかしてまださらし巻いてんのか?」

「……あれから家では巻いてません……」

「じゃ、ブラジャーのサイズが合ってない……とか……?」

「……体重も変動していません」

「じゃあもうこれは救急車呼ぶレベルなんじゃ……。アキ、苦しいってのはどんな感じだ? それ以外の症状とか……」

 章灯はポケットから携帯を取り出し、いまにも親指を『1』に固定している。返答次第ではすぐにでも『1』『1』『9』と押しそうな勢いである。

「章灯さん、少し落ち着いてください……」

「落ち着けるか! お前の一大事だぞ!」

「たぶん、救急車ほどではないと思うんですが……。こう、きゅーっと締め付けられる感じがして、動悸が……」

「成る程。きゅーっと締め付けられて、動悸、だな……」

 章灯は自分に置き換えるように、自分の胸を擦って考え込んだ。「締め付けられて、動悸……」

 うわ言のように呟いてから、胸を擦っていた手がぴたりと止まった。章灯は胸に手を当てたまま下を向いて固まっている。

「章灯さん……?」

 晶はその姿勢のままぴくりとも動かない章灯を心配そうに見つめた。

 章灯は自分にも身に覚えがある『病』を思い浮かべた。少し顔を上げて晶をじっと見つめる。

「アキ、いままでもこういうことあったか……?」

「――え? いいえ、ありません」

「今日が初めてか?」

「そう………ですね。あぁ、でも、ちくちくする感じは前からありました」

「それって……もしかして……1ヶ月くらい前からじゃねぇか?」

「1ヶ月……。そうですね……。いえ、お正月辺りだったかもしれません……」

「おま……っ、そんな前からだったのかよ……」

 章灯は自分の耳が熱くなるのを感じ、慌てて顔を背けた。

「どうしたんですか? 章灯さん」

 晶は身体を起こして、急にそっぽを向いた章灯の顔を覗き込んだ。

「章灯さん、顔が真っ赤です。熱でもあるんじゃないですか……?」

「ねぇよ! 誰のせいだ! まったく……」

「誰のせいって言われましても」

 晶は怪訝そうな顔をして尚も章灯の顔を覗き込んでいる。

「アキ、たぶんだけどな、その苦しいのはアレだ……。俗に言う……『恋の病』っつーやつだ」

 晶の視線を必死にかわしてそう言う。


 良い年して何が『恋の病』だ。言ってるこっちが恥ずかしいっつーの!

 でも、もっと恥ずかしいのはアキの方だろうけど。


 そう思っておそるおそる隣を見てみる。

 案の定、隣には先ほどの章灯など比べ物にならないほど真っ赤になった晶がいる。

 目を見開き、口をぽかんと開けていた。

「アキ? おーい、大丈夫か?」

 晶はその表情のまま、小さな声で「恋って……、誰が……誰に……」と呟いた。

「お前なぁ……。そりゃあ……アキが、俺に、っつーことなんじゃねぇのかよ」


 21で初恋ってなると、こんなんなっちまうもんなのか? お前はどれだけ恋愛から遠ざかってきたんだ。


「……自覚なかったんだな、その様子だと」

 章灯は胡座をかき、頬杖をついて首を傾げた。

 晶は章灯の言葉にゆっくりと頷く。

「……これは……いつ治るんでしょうか……」

「まぁ、俺も経験したことはあるけど……、だいたいは両想いになったら徐々に消えてくんだけどなぁ」

「りょ……」そう呟いて、晶は下を向いた。

「両想いなんじゃねぇのか、俺達は?」

 そう言って晶の頭の上に手を乗せて、ゆっくりと撫でた。小さい子どもをあやすように。

「結構はっきり告白したんだけどなぁ、俺。伝わってなかったか?」

「つ、伝わってます……。ちゃんと……」

「そうか? まぁ、通過儀礼みたいなもんだから仕方ねぇよ」

「何ですか……、それ」

「恋する乙女は皆そうなるんだよ。まぁ、男でもなるけど」

「そんな……」

 晶はそう言いながら顔を上げた。眉をしかめ、困った顔をしている。また俯いてしまわないようにすかさず頬を両手で挟むと、素早くキスをした。

「な……っ、何もしないって……」

 唇と手を離すと、一瞬の硬直の後、案の定晶は下を向いてしまったが、そのまま正面から包むように抱き締めた。

「慣れろ」

「え?」

「こういうのに慣れれば自然と治る。……たぶん」

「たぶんですか……」

「仕方ねぇだろ、俺はアキじゃねぇんだから。俺はそれで治ったんだ」

「……わかりました」

 晶は小さな声でそう呟くと少し肩の力を抜いた。

「じゃ、昨日の続き、するか?」

 晶の肩に顎を乗せ、ニヤリと笑って言う。

「つっ、続きって……!」

 晶は再び身体をこわばらせた。声が上ずっている。

「……ウソウソ。しねぇって」

 ははは、と笑ってから「昨日のだって覚えてねぇんだから、2段飛ばしになっちゃうからなぁ。お子様には刺激が強すぎんだろ」

「……子ども扱いしないでください」

 章灯の胸をぐいぐいと押して隙間を作り、顔を出すと、ぎゅっと目を瞑って唇を押し付けた。

「ちょ……っ!」

 唇を離した後、晶は目を開けた。

「お前は……、力加減というか……」

「……子どもじゃないです」

 真っ赤な顔で下を向き、震えた声で言う。

 章灯は両手で頬を優しく挟んでゆっくりと顔を上げさせると、少し潤んでいる晶の目を見つめた。晶はこれから何が起こるのか予想出来たようで、少し怯えたような目をしている。

「……子どもじゃねぇんだろ」

 ニィッと笑ってゆっくりと唇を重ねる。微妙に角度を変えながら何度か触れる程度のキスをするうち、晶の身体からすとんと力が抜けた。薄目を開けて晶が目を瞑っていることを確認してからそろりと舌を入れてみる。予想通り、晶はぴくりと身体を震わせ、目を開けた。昨日と同じだ。

「……目ェ瞑ってろ。これ以上のことはしねぇから」

 その言葉で晶はおとなしく目を閉じる。止めるか、とは聞かなかった。


 だって、子どもじゃねぇんだからな。


 息継ぎの度に漏れる声で何度も理性が吹っ飛びそうになる。


 ――ダメだ。さすがにまだ早い。


 はぁ、と息を吐いて唇を離し、そのまま抱き締めると、晶は脱力してもたれかかってきた。


「これが、1段目だからな」

「……何だか悪化したような気がするんですが」

「慣れろ。今日はもう無理だけど、またするから」

「……何で今日はもう無理なんですか」

「さすがの俺でも我慢の限界っつーもんがあるんでな。それでも良いならするけど」

「……遠慮しておきます」

「賢明な判断だ」

「……このまま一緒にいるのは問題ないんですか」

「……仕方ねぇだろ」

「……何が仕方ないんですか」

「だって……、あんなの見た後だし……」


 まだ引きずっているのか……。


 あんなに大人の雰囲気を出した後で、また子どものようなことを言う。

「……子どもじゃないんですよね?」

「うっ……。そ、それとこれとは話が別なんだよ。良いから、寝るぞ、もう」

 痛いところを突かれ、顔が赤くなる。それを隠すようにそそくさと部屋の電気を消すと、晶の手をつかんだままごろりと横になり、布団をかぶった。

「子どもみたいですね、章灯さん」

 呆れた声でそう呟くと、繋いだ手をぐいと引っ張られ、頭からばさりと布団を被せられた。

「うるさい」

 悔し紛れにそう言ってみる。そして章灯は暗闇の中、手探りで晶の頭を探し当て、強めにキスをしてから彼女を抱き寄せた。

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