第35話 打ち明け話
祐司の周辺で、非常識な出来事が立て続けに発生していた週の水曜日。
綾乃は眞紀子の自宅マンションに仕事帰りに立ち寄り、相談を持ちかけていた。
「それで? 綾乃ちゃんは例の高木さんが、あなたが返事を渋っている間に他の女性に乗り換え、かつ、綾乃ちゃんに気を使ってそれを言い出せなくて困っているだろうから、自分から改めてお断りしようと思っているんだけど、交際を申し込まれた事もお断りした事も無いために何をどうすれば分からなくなって、混乱しまくって私に相談しにきたわけだ」
「すみません、眞紀子さん……。お仕事も忙しそうなのに、こんなプライベートな事で……」
一緒に夕食を済ませ、込み入った話ができるようにと自宅に連れて来た綾乃の顔をじっくりと眺めてから、眞紀子はお茶を啜った。そしてこれまで聞いた話を頭の中で纏めて、困惑しきった声を出す。
「うん、それはまあ、良いのよ? 今日は早番だったし。急患があったら呼び出しがかかるかもしれないけどね。ただ……」
「何ですか?」
要領を得ないといった顔付きで小首を傾げた眞紀子は、慎重に綾乃に確認を入れた。
「綾乃ちゃんの話を疑うわけじゃ無いけど、今聞いた話は本当なの? あの高木さんって人、確かに最初の携帯電話の事から考えると、確かに感情的になる事はあると思うけど、あの遠藤って奴みたいに軽いタイプじゃ無いと思うのよね。綾乃ちゃんにお詫びに食べさせたお好み焼きだって、相当練習したみたいだし」
「うっ……、そ、それはそうかもしれませんが……。生真面目な性格だから尚の事、他の女性とお付き合いを始めましたって、私に言いづらくなっているのかもしれないです……」
「それはまあ、一理あるかもねぇ……」
「そうですよね!?」
生返事をした眞紀子に綾乃が力強く頷いたが、ここで何を思ったか眞紀子は自身の携帯電話を取り出して何やら操作しつつ、綾乃に声をかけた。
「綾乃ちゃん。因みに、土曜日に高木さんと一緒にマンションに消えて行った女性の容姿って、どんな感じか教えてくれる?」
別な何かをしながら人の話を聞くなど、何事にもきちんとしている眞紀子には珍しいと思ったものの、綾乃は(やっぱり何か用事がある、忙しい時に押しかけちゃったのかな?)と恐縮しつつ、土曜日に見た光景を思い出しながら答えた。
「どんな感じと言われても……、美人でしたよ? これぞ大人の女性って感じで」
その綾乃の素朴な感想を聞いた眞紀子は、何故か額を押さえた。
「『美人』な『大人の女性』ねぇ……。じゃあ聞き方を変えるわ。その彼女って、大体何歳位に見えた?」
「えっと……、三十代前半でしょうか? 半ば位かもしれませんが、二十代や四十代じゃ無いと思います」
「まあ、そんなところよね。身長は分かる?」
「遠目でしたけど、百八十弱って言ってた高木さんの、顔の半分位まではありましたから、百六十センチ台後半ですか? スラッとして、スタイルは良かったように見えました」
「髪型と髪の色は分かるわよね?」
「明るい栗色で、緩くウェーブがかかった肩甲骨位までの髪を、後ろで一つに束ねていました」
「そうでしょうね。食材を抱えて入って行ったなら、それからすぐお料理に取りかかったでしょうし」
考え考え口にした内容について、眞紀子がディスプレイを見下ろしながら納得したように頷いたのを見て、ここで綾乃が不思議そうに尋ねた。
「眞紀子さん。それがどうかしたんですか?」
その問いかけに、眞紀子はどこか疲れた様に綾乃に画面を見せた。
「綾乃ちゃんが見たその女性って……、ひょっとしてこの人じゃない?」
そのディスプレイに映し出されていた女性を見て、思わず綾乃が上げる。
「え? ああぁっ!? はい、この人です! 眞紀子さん、お知り合いだったんですか?」
「直接の知り合いじゃないけど……、ここのブログのタイトルを見て頂戴」
驚いた表情で問われた眞紀子は、そのトップ画面を表示させた。それを綾乃が横から覗き込む。
「え? これってブログに掲載されている写真だったんですか? えっと……、《宇田川貴子の美味しい生活》ですね。この人、宇田川貴子さんってお名前なんですか。それがどうかしましたか?」
きょとんとしながらまだ事情が呑み込めていない綾乃に、眞紀子は自身の忍耐力をフル稼働させながら説明を続けた。
「あのね……、私が綾乃ちゃんに付き添って、お好み焼き屋に行った時の会話を覚えてる?」
「あの……、どんな会話だったでしょうか?」
どんな内容を指しているのか咄嗟に判断できなかった綾乃が困惑して尋ね返すと、眞紀子が淡々と指摘した。
「『弟が失礼したって電話で謝った女性が高木と名乗らなかったけど、どうして姉弟で名字が違うのか』って話したわよね?」
「ああ、はい。言ってましたね。それで注文を待っている間に高木さんにその事を質問したら、お母さんがお姉さんを産んだ後に離婚して、婚家にお姉さんを残した後、お母さんが再婚して産まれたのが自分だから、お姉さんと苗字が違うんだって説明を……」
(あれ? ちょっと待って。それでお姉さんの苗字、何だって言ってたんだっけ? ううん、苗字どころか……、そう言えば確か、最初に電話で、「宇田川貴子」って名乗ってた!!)
そこで自分の顔から血の気が引くのを自覚しつつ、頭の片隅に引っかかった内容を綾乃が口にする前に、眞紀子が容赦なくそれを指摘した。
「その時、お姉さんの苗字、確か『宇田川』って言ってたわよね。それで高木さんにお好み焼きをご馳走になった時、料理研究家のお姉さんにお好み焼きの焼き方をレクチャーして貰ったって言ってたし。多分この料理研究家の宇田川貴子さんって、高木さんのお姉さんで間違いないわ。時々一人暮らしの弟が心配で、食事を作りに来てあげてるんじゃない? 姉弟仲は良い方だって、あの時に言ってたし」
「…………」
その指摘に、綾乃はディスプレイを見下ろしながら、無言で固まった。そのまま数十秒経過してから、眞紀子が綾乃の目の前で、軽く手を振りながら声をかける。
「お~い、綾乃ちゃ~ん。戻って来なさ~い」
「眞紀子さん……」
「うん、何?」
「私、とんでもない誤解をしてました?」
ゆっくりと顔を上げ、恐る恐るお伺いを立ててきた綾乃を見て、当初笑い飛ばしたかった眞紀子だったが、幾分気の毒になって曖昧に言葉を濁した。
「……まあ、滅多に無いかもしれないけど、有り得ないという程では無いわよね」
「どうしましょう?」
「何が?」
「携帯電話の高木さんの番号とメルアド、土曜日から着信拒否のままなんです」
続けて途方に暮れた表情で綾乃が打ち明けてきた内容に、流石の眞紀子も顔を引き攣らせた。
「綾乃ちゃん? 今すぐ解除して、高木さんに謝りましょうね?」
「あ、あのっ!? でも今更、どんな顔で連絡すれば良いんですか!?」
「電話でもメールでも、直に顔は合わせないから、どんな顔をしていても構わないわよ」
眞紀子は至極真っ当なアドバイスをしたが、それが契機になったらしく、綾乃は狼狽の極みに達した。
「駄目です無理です! 色々申し訳ないし情け無いし馬鹿馬鹿し過ぎて、今度という今度は、自分自身に愛想が尽きましたぁぁっ!!」
「自分への愛想なんて幾らでも尽かして良いから、さっさと電話しなさい!! 絶対高木さん、精神的ダメージを受けてるわよ!?」
本格的に頭痛を覚え始めた眞紀子が綾乃を本気で叱り付けたが、綾乃の動揺は少ししても一向に収まらず、眞紀子は「仕方ないわね」と愚痴りつつ、とある電話番号を選択して、電話をかけ始めた。
偶々同じ時間帯。自分に関しての不穏な噂を小耳に挟んだ弘樹と幸恵に会社帰りを急襲された祐司は、連れ込まれた居酒屋の個室で二人相手に管を巻いていた。
「だから、月曜から本当に変な事ばかりなんだ。車道から水はかけられたのを皮切りに、休工中の工事現場の足場から、何故か砂が大量に降ってくるわ、強盗追跡用のペイント球でどこからか狙い撃ちにされるわ、職場に俺宛に届いた箱の中から大量の虫が飛び出してくるわ。俺が疲弊している理由が分かったか? 言っておくがまだまだあるぞ、洗いざらい全部聞きたいか!?」
最初は不機嫌そうに押し黙っていた裕司だったが、よほど鬱憤が溜まっていたらしく、中ジョッキ一杯で舌が滑らかになり出した。しかしとても愉快とは思えない内容の話に、弘樹と幸恵は思わず顔を顰めて相手を凝視する。
「落ち着け祐司……。分かった。もう十分だから」
「一体何をやったのよ? どう考えても、誰かの恨みを買っているとしか思えないけど」
「人聞きの悪い事を言うな! 俺に全然心当たりは無いぞ!」
祐司が座卓にジョッキを乱暴に置きつつ、憤慨した叫び声を上げると、幸恵は困った顔で、傍らの上司に視線を向けた。
「そうは言っても……。どう思います?」
そこで問いかけられた弘樹は、部下の推理を肯定した上、それを更に発展させた。
「絶対、何か恨みを買ってるよな。お前、綾乃ちゃんの他にもちょっかいを出してる女とかいないのか?」
「ちょっと祐司。まさか本当にそんな事をしてるの?」
「してるわけ無いだろう! そっちはそっちで土曜日から着信拒否されてるっていうのに、本当にもう何がなんだか……。本当に勘弁してくれ」
思わず声を荒げた幸恵に怒鳴ってから、祐司は文字通り頭を抱えて座卓に突っ伏した。そんな風に弱り切っている祐司を労わる事無く、弘樹がやや冷たい目を友人に向ける。
「はぁ? 着信拒否って……。お前、綾乃ちゃんに一体何をした?」
「何もして無い!」
「そうよね。土曜日は体調が良くなかったから、結局行かなかったって言ってたし」
「何だ、それは」
「おい、どういう事だ?」
「……えっと」
思わず口を滑らせてしまった内容に、男二人から揃って突っ込みを入れられ、一瞬誤魔化そうとした幸恵だったが、そんな雰囲気ではなかった為、愛想笑いをしながら事情を説明した。
「実はその……。あの子から放置しっぱなしのお返事をしたいけど、今更何て言ったら良いか分かりませんって、相談を受けて……」
「それで?」
「つい……、『部屋に行って手料理でも作ってあげれば気持ちは伝わるし、すぐ機嫌は直るから大丈夫よ』って勧めたの」
それを聞いた男二人は唖然とし、特に弘樹は眉を寄せながら幸恵を窘めた。
「お前、何て事をあの綾乃ちゃんに吹き込んでるんだ。そもそも一人暮らしの男の部屋に、女を一人で送り込むなよ」
「あら、祐司は紳士だと信用しているからこそですよ。そうよね? いきなり襲ったりしないわよね?」
「……まあな」
笑顔で念を押した自分から、祐司が僅かに視線を逸らしつつ、しかも返事が若干遅れた事に対して、幸恵は(怪しい)と思ったが、今問題にしている所はそこでは無かったので、あっさりスルーする事にした。
「それで先週の土曜日に行く事にしてたんだけど、当日具合が悪かったから結局行かなかったって、月曜の朝に会った時に言ってたのよ。だから何もしてませんし」
「確かに来なかったな」
二人はそこで納得して頷いたが、そこで弘樹が何かに気付いたように片眉を上げた。
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