第24話 お局様の暴露
「それから一応教えてあげるけど、この子は君島代議士のコネで入社したりはしていないわよ? 第一、この子がコネ入社なら、あなたも同類じゃない」
「何ですって!? 幾ら先輩だからって、人を誹謗中傷するにも程がありますよ?」
淡々と告げられた内容に幸恵は怒りを露わにしたが、公子は全く怯まなかった。
「あら、先に根拠の無い言い掛かりを付けたのは、あなたでしょう? それに私は根拠の無い事は口にしないわ」
「はぁ? じゃあその根拠とやらを、聞かせて頂きましょうか!!」
「あのっ! 笹木さん! 幸恵さんも止めて下さい!」
「最初は傍観していたけど、そうも言っていられなくなったものね。私の根拠はこれよ」
今にも殴りかかりそうな幸恵の手を引っ張りながら、綾乃は宥めようとしたが、その前で公子は悠然と自分のハンドバッグから一枚の写真を取り出し、幸恵に向かって翳して見せた。そして気になった綾乃も反射的に身を乗り出して、公子の手元にある物を確認してみる。
「何ですか? その写真」
「え? それ? ひょっとして……」
幸恵は怪訝な顔になったが、綾乃は心当たりがあった為それを凝視した。すると公子が微笑みながら、綾乃に声をかける。
「ええ、君島さんのお母さんが大学時代の写真よ。荒川さんはこの頃のお母さんにそっくりでしょう?」
「そうですね、私よりよほど母娘みたいです。私は父方の祖母系統の顔立ちみたいで」
「何を惚けてるのよ。あんたが持って来たんでしょう!?」
「いえ、私は別に」
幸恵に噛み付かれて慌てて綾乃が否定すると、公子が写真を軽く揺らしながら意味有り気に言い出した。
「これは社長のアルバムの中に貼ってある物を、頼んで借りて来たのよ。本当にそっくりよねえ? 社長の初恋の人、旧姓、荒川夢乃さんの姪ごさんの、荒川幸恵さん?」
「……何が言いたいんですか?」
相変わらず周囲が静まり返っている中、幸恵が両目を眇めて公子を睨みつけたが、相手はびくともせずに話を続けた。
「あら、だって本当の事でしょう? あなたと君島さんが従姉妹同士って事は。君島さんの親子関係が明らかになっているのに、どうしてそっちの関係が広がっていないのか、少し不思議だったのよ」
「あの人は、叔母でもなんでも無いわ! 死にかけている実の母親を見捨てるような女なのよ!?」
思わずかっとなって幸恵が怒鳴りつけたが、公子の落ち着き払った態度は、微塵も揺るがなかった。
「そんな家庭の事情なんて、他人の私が知るわけないでしょう。第三者の私が知っているのは、社長の初恋の人が、あなたに酷似したあなたの父方の叔母の君島夢乃さんで、社長と恋敵の君島代議士とは犬猿の仲で、二人の間では今でも交流が無いって事実だけよ。どこか間違っているかしら? それなら指摘して頂戴。だけど間違った事で無ければ、何を公言しても良いんでしょう? あなたがさっきまで主張していた事よ」
「…………っ!」
思わず幸恵がぎりっと歯軋りをして黙り込んだが、それとほぼ同時に会場内のあちこちでざわめきが生じた。
「え? 何? それじゃあ、あの子が君島代議士のコネで入社したって違うんじゃない?」
「そうよね。社長とその代議士が犬猿の仲って言ってたし」
「でも母親のコネなんじゃないの? 社長の初恋の人の娘なんでしょう?」
「だけどそれを言ったら、荒川さんってどうなのよ?」
「そうだよね……。ここからだとどんな写真なのか良く見えないけど、その女性と随分似てるみたいだし」
「今、叔母ってちゃんと言ったよな? じゃあやっぱりあの子とは、従姉妹同士だって事だろ?」
「それなのに、それをわざと隠してたって事はさぁ……。何か疾しい事でもあるんじゃない?」
「やだ、ひょっとして自分はその初恋の人の姪って事でうちに入れて貰ったのに、それを棚上げしてあの子の事を言いふらしてたとか?」
「荒川の奴、結構性格キツイと思ってたが、根性まで曲がっていたらしいな」
「うっわ、最低」
そんな囁き声が伝わってきて、幸恵は怒りに震えながら公子に向かって絶叫した。
「ごちゃごちゃ五月蠅いわよ! 一体、何様のつもり!? 大体あんたこそ社長の愛人のくせに、他人の事情に口を挟んで、偉そうな事言ってるんじゃないわよ!?」
「幸恵さん、何て事を言うんですか! 止めて下さい!」
「五月蠅いわね! あんたもいい加減に、その手を離しなさい!!」
その叫びを耳にした会場中の人間は、殆どが真っ青になって固まったが、何故か公子は面白そうな笑顔になって言い返した。
「あらあら、それこそ誹謗中傷の類だと思うんだけど。何を根拠にそんな事を言うのかしら?」
「事実婚だなんて言って、未婚の母で社内に居座ってるのが、何よりの証拠でしょう? 皆言ってるわよ。それにその写真! どうして社長のアルバムから持って来るなんて事ができるのよ!? 社長の愛人だって証拠じゃない!」
「幸恵さん、笹木さんは関係ありませんし、愛人呼ばわりなんて駄目ですよ!」
「あんたは引っ込んでなさい!」
焦って幸恵を止めようとした綾乃だったが、激高した幸恵が素直に従う筈もなく、掴まれている手を乱暴に振り払おうとした。すると緊迫しきったその場に不似合いな、押し殺した笑い声が響く。
「……っ、くっ、こ、ここまで墓穴掘りだなんてね」
見ると公子が口元を押さえて笑いを堪えているのが分かって、綾乃は訳が分からなくなったが、幸恵は盛大に噛みついた。
「何がおかしいのよ!」
「ちょっと待っててくれる?」
そして何を思ったか、公子はバッグから携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。
「もしもし? 私。…………そうだけど、迎えに来てくれる? ……ええ、空気が悪くてね。ああ、それから……、ちょっと気が変わったから、二十分以内に来てくれたら入籍してあげるわ。それじゃあ、事故らない程度に頑張ってね」
そして公子は通話を終えてバッグに携帯をしまい込みながら、苦笑いして綾乃を見やった。
「社長が以前、君島代議士夫妻の事を『虎と豹』と評していたけど、それは正しかったみたいね。娘は見た目小動物系でも、噛み付く歯は持っていたみたいだし」
「はい?」
「離す気無いでしょう? その手」
「え、ええっと……」
綾乃が首を傾げたが、公子が未だに幸恵と祐司の手を掴んでいる綾乃の手を指し示すと、綾乃は幾分気まずそうに俯いた。そして直前のやり取りを呆然と見ていた裕司が、公子に向かって疑わしげな視線を向ける。
「あなたは一体、何者なんですか? 社長の愛人じゃないって言うなら、どうしてそんな内情まで知ってるんですか?」
その問いかけは、参加者の殆どが疑問に思ったものだったが、公子は苦笑いして、回答をある人物に委ねた。
「弘樹君、いつまでも笑ってないで。私が言っても信憑性に欠けるから、説明宜しくね」
「はいはい。ご指名を受けちゃったし、せっかく公子さんがその気になってくれたみたいなのに、ここで機嫌を損ねて気が変わったりしたら、親父に怒鳴られるだけじゃすまないしね」
そんな軽口を叩きながら、弘樹が椅子からゆっくりと立ち上がり、まっすぐ綾乃達の方に歩み寄った。そして未だ床に座ったままの幸恵の前に立ち、疲れた様に彼女を見下ろしながら、溜め息を零す。
「さっきお前、公子さんが親父の愛人とか何とか言ってたけどさ、あれ誤解だから。思っててもそんな事を口に出すなよ。下手を踏むにも程がある。フォローのしようが無いじゃないか」
「あんたにフォローして貰う必要なんか無いわ! 一体何だって言うのよ!?」
その叫びを無視して床の三人の横を通り過ぎ、弘樹は座っている公子の椅子の後ろに回り込んで、その両肩に手を置いてから三人に向かって、衝撃の事実を告げた。
「公子さんは俺のじいさん、つまり前社長と事実婚している、義理のばあさん。そして社長である親父の義理の母親で、俺の十八歳年下の叔母さんの母親。だからじいさんと親父経由で、色々聞いてるんだよね」
「…………は?」
ピキッと周囲の空気が凍る中、綾乃が一言間抜けな声を上げたが、その顔がおかしくて堪らなかったように失笑しながら、弘樹は公子の顔を覗き込むようにしながら同意を求めた。
「ね? 公子おばあちゃん?」
そんな冷やかす様な口調に、公子は肩に置かれた弘樹の片方の手をペシッと叩きながら、苦笑いで応じる。
「おねえさんと呼ぶまでは、お小遣いはお預けね」
「そんな殺生な。可愛い孫に愛の手を~」
「……は? え? えぇぇぇぇっ!?」
そこで一瞬遅れて綾乃の驚愕の叫びが響き渡り、目を限界一杯まで見開いたが、それでも幸恵と祐司の手をしっかり握って離さないのを見た公子が、感心しながら口にする。
「凄いわね、そこまで驚いても離さないなんて」
「そうですね。肉食獣って言うよりは、寧ろスッポンかな?」
「そうね。あれは噛みついたら離さないって言うし」
「あ、そうだ公子さん、今度親父たちと一緒に、スッポン鍋を食べに行かない? 良い店を見つけたんだ。勿論、良子ちゃんが美味しく食べられる物もあるから」
「そう? じゃあ行きましょうか」
そんな一見ほのぼのとした家族の会話を聞きながら、周囲の者達は未だ衝撃が冷めやらぬまま固まっていた。
「えっと……、遠藤さんの義理のお祖母さんが、笹木さん?」
「そうだよ。それで知る人ぞ知る、陰の人事部査定係長。ね? 公子さん?」
「今後は『陰』じゃなくなるでしょうけどね」
「あの、それは一体どういう事ですか?」
戸惑いながらも、その場全員の疑問を代表したかのごとく綾乃が声を絞り出すと、弘樹は陽気に、公子は若干憂鬱そうに話し出した。
「公子さんは総務部一本で来たけど、妙に鼻が利く人でね。主任になって新人教育に携わるようになってから、能力の良し悪しを量るのが絶妙だと認められたんだ。この二十年近く、初期研修で公子さんに伸びると判断された人材は、どの部署でもほぼ例外なく主任・係長クラスになってる」
「本当ですか?」
「偶々よ」
素っ気なく答えた公子を面白そうに見やってから、弘樹が尚も続けた。
「人事部から課長待遇で来てくれと、毎年熱烈な誘いを受けてるけど、公子さんは真面目だから総務部から動かなくてね。せめてもの妥協案として、毎年初期研修の講師役を引き受けて貰ってるんだ。その時の笹木評定表は、その後の出世コースを暗示してると言っても過言ではない代物だよ。勿論仕事と割り切って、どんな不愉快な話を耳にしても、一切私情は入れないし」
「仕事だから当然でしょう?」
「そんな真面目な公子さんにしてみれば、ちょっと腹に据えかねてたわけ。今回の騒動は。お局様からの意見を、黙って聞いて頭を下げときゃ一言注意されただけで済む物を、どうして騒ぎにするんだお前は。らしくないぞ、荒川」
「お局は余計よ」
僅かに顔を顰めつつ公子が突っ込んだ所で、衝撃から立ち直った幸恵が再度吠えた。
「そうですか、会長夫人でしたか。それはどうも失礼いたしました、申し訳ありません。心からお詫び申し上げます!!」
「お前……、それで謝っているつもりか?」
どう見ても喧嘩腰のそれに、思わず頭を抱えて窘めた祐司に向き直り、幸恵が声を張り上げた。
「仕事ならともかく、これはプライベートなんだから文句を言われる筋合いは無いわ!! 家族中で絶縁している家の人間に纏わりつかれて、不快な思いをしているのに、どうして跳ね除けるのを咎められなければいけないの!? 向こうが実家にした事を考えれば、職場で爪弾きにされる位、何て事無いわよ! 大体この人でなし一家が」
「やっぱり美人は、険しい顔をしても美人だな」
「いや、俺だったらドン引きなんだが……」
「正敏さん、女性の笑顔が魅力的なのは当然。他にも価値を見出そうか」
「俺には無理。お前に任せる」
静まり返った店内に、幸恵の声だけが響き渡っていると思いきや、いつの間にか入口の方から男性二人連れがのんびりとした口調で話しながら、店内を横切って幸恵達が固まっているテーブルの方にやって来た。そして如何にも呆れ果てた感じで、彼らが声をかけてくる。
「俺達の知らない所で、随分な騒ぎになっていたようだな」
「幸恵……。お前、職場で騒ぎ立てるのも。程々にしろよ?」
そこで幸恵と綾乃が視線を向けた先に、自分の身内の姿を認め、二人は揃って狼狽した声を上げた。
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