第一章十九話 隠密の気配

 劇はクライマックスシーンへと移っていた。観客の反応は上々であり、劇団としては十分過ぎる働きといえるだろう。

「ふぅ、引き受けた時はどうなるかと思ったが、なんとか穏便に終われそうだな」

 ほっと安堵を漏らした初老の男性は劇団のオーナーである。劇団の知名度を上げる為の大仕事だったが、予想以上の成果に表情を綻ばせていた。

「さて、後は最後の場面だけだな。……あれ? どこに行ったんだ?」

 主演の男優と女優の姿が見えない。それどころか、衣装や道具のスタッフまでも見当たらなかった。つい今しがたまで忙しなく動き回っていたはずなのに。

「おいおい、皆気を緩めるにはまだ早いぞ。ん、なんだこれ?」

 通路の真ん中に大きな黒い箱が置かれていた。小道具の一種かと思ったが、明らかに見覚えのない物だ。

「こんなの置いてなかったはずだが。何が入っ……てっ!?」

 箱を開き、中身を見、直後に閉じた。

 本能が中身を認識することを拒否したのだ。

「な、何だ? 赤黒い、いやそれより、人?」

 頭が演算能力を失ったようだ。あり得ないことではあるが、箱の中に人間が入っていた。否、それは人間なのか、人間だったものなのか……。

「お、落ち着け。単なる小道具だろう。そうに違いない!」

 震えた手で、再び蓋を開ける。

 恐る恐る眼を開くと……。

「か、空っぽ? はぁ~、きっと疲れているんだな。今晩はゆっくり休もう」

「――それは名案ね。お姉さんが夢の世界に連れて行ってア・ゲ・ル」

 え? と後ろを確認する前に、視界が漆黒に覆われた。



 ミレアが女中達に指示を出し終えた頃、歌劇はクライマックスを迎えていた。

「時間ギリギリね。さっさと着替えないと」

 急ぎ変装の準備へ向かう。これだけは人目を避ける為専用の部屋を設けていた。難点は城を横断せねばならないことだ。

 念の為女中の眼を避けながら厨房を横切り裏の廊下へ出た時だった。

 一瞬――視界の端を人影が通り抜けたのだ。

「今のは……気配を消していた?」

 ミレアは隠密行動を主としてはいないが、武術を学ぶ過程でそうした訓練を受けたことがある。

 隠密者が何を感じ、何を考えるか。それを知ることで、相対した際も不意を突かれずに済むからだ。

 だが、隠密の歩法を知る者がなぜ今、城内にいるのか。

「……申し訳ありません、タナトス様。間を持たせて下さい」

 そう謝罪し、ミレアは人影を追った。

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