9回目:佐桐霧宗<心に燃ゆる昏き炎>

 佐桐さとう霧宗きりむねは見知らぬ街並みを前にして立ち尽くしていた。


「……なんだよこれ。まさか異世界転生ってやつじゃないだろうな……」


 まさかの異世界転生だ。そして私があなたを転生させた女神様なのである。


「……ああ、クソ女神ってのは本当にいるのか」


 は?

 いきなり、何を言い出すのか。


「せっかく死ねたと思ったのに。あれで全部終わったはずだったのに」


 霧宗きりむねは両腕を高く掲げ、暗く濁った瞳で天を仰ぎ見た。


「……みんな、みんな壊れてしまえばいい」


 どうやら危ない人物を転生させてしまったらしい。生前の彼は、寡黙で、真面目で、困難を前にしても諦めずに一歩ずつ前に進んでいく、そんな不屈の精神を兼ね備えていたはずなのに。


「は、ははは、は、は、はははは」


 感情のない乾いた笑いが、道行く人々の視線を集める。


「これが本当に異世界転生なら、今の俺には世界を救えるほどの力があるはずだ」


「おい、あんちゃん。大丈夫か?」


 様子のおかしい霧宗きりむねを見かねたのだろう。筋骨隆々な禿頭とくとうの男が霧宗きりむねの肩に手を置いて、心配そうに声をかけた。

 霧宗きりむねは笑い声を止めると、数秒の間を空けて、体の向きはそのままに男を睨みつける。


「おれに触るな。クソオヤジが」


 霧宗きりむねは自身に与えられた救済の力で目の前の男を粉々に吹き飛ばす、その意思を強く持って、右手に力をこめた。そして体を捻り、右腕を男に向かって突き出した。

 一撃が、風を切る。霧宗きりむねの腕が男に胸に突き立った。


 だが、男は微動だにしなかった。


「……あ?」


 先程とは打って変わって不機嫌そうな声を発した男の額に、血管がピクピクと浮き出ている。霧宗きりむねは男の様子を気にするよりも、自分の一撃で男が吹き飛ばなかったことに衝撃を受けた。


「な、何故だ。どうして生きている!?」


「ああ?こんなへなちょこなこぶしで誰を殺せるってんだ?」


 そう言うや否や、男のこぶし霧宗きりむねの顔を殴り飛ばした。


「ぐべぼぁっ!」


 霧宗きりむねは吹き飛び、舗装されていない地面に叩き付けられた。見れば、地面に白い歯が落ちている。霧宗きりむねの歯だ。

 殴られた頬を押さえながら霧宗きりむねが顔を上げると、指をバキバキと鳴らしながら、ゆっくりと近付いてくる男の姿が目に映った。


「えうぇえっ!いいあいあうぃうるんあ゛!!」


 何を言っているのか聞き取れない。赤く腫れ上がった頬が痛々しい。しかし、この程度は問題ない。ここからが霧宗きりむねに与えた女神の祝福の真骨頂だ。

 男は目を見張った。霧宗きりむねの頬の腫れが見る見るうちに引いていく。さらには、開いた口から、抜け落ちた歯が急速に生えてくる様子が見えた。

 その人間離れした回復力に、だが、男はひるまない。


「へえぇ。これなら何度殴っても問題ないってわけだ」


「……いや、待ってくれ。ここは、平和的に話し合おう」


「いいだろう。何か言うことは?」


 相手の聞く耳を持ってくれそうな雰囲気に霧宗きりむねは胸を撫で下ろす。そして、深呼吸を二度、三度と繰り返した。


「さっきは悪かった。あれは何かの間違いなんだ」


 そう言いつつ、ゆっくりと男に近付いていく。


「おれは異世界転生者だ。おれに不可能はない。おれに壊せないものなどないんだ」


 男は霧宗きりむねの言葉に不穏な空気を感じ取る。直後、霧宗きりむねは男に飛びかかった。


「だから、今度こそ……我がうちに眠りし力よ!我が敵を打ち滅ぼせ!!」


 霧宗きりむねは両手を前に突き出し、自身の中に眠る力を放出しようとするかのようなイメージを思い浮かべて全身に力を込める。しかし、何も起こらない。


「はああああああ!!!」


「……」


「あああああぁぁ…………ぁぁぁ……」


「……」


「……いや、本当にすまな……ぶべぁっ!」


 またもや男に殴り飛ばされた霧宗きりむねの体は、見事な放物線を描いて宙を舞った。




 ――二日後。


「おい、キリムネ!ちんたらやってんじゃねえ!」


「はい、親方!」


 行く当てのない霧宗きりむねは男の下で働かせてもらうことになった。男は、壊れた家屋の修理を生業なりわいにしているようだ。朝から晩まで次から次へと舞い込んで来る依頼に、体力のない霧宗きりむねにはキツイ仕事のように思えたが、しかし、何故か霧宗きりむねの表情は明るく、楽しそうだ。


 霧宗きりむねが何故あんな行動を取ったのか。彼が心の中で何を抱えていたのかは知らないし、興味もない。

 とりあえず、今回の件ではっきりしたことがある。それは、再生能力だけ高くしても世界は救えそうにない、ということだ。

 この教訓は次回以降に生かそうと思う。


 それにしても、そろそろ一度くらい世界を救ってみたいものだ。

 そう考えて、私は軽いため息をついたのであった。


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