第17話 もう大人になったので
「(ですからー! とにかく良い人なんですよ藍沢ってお方は!)」
「(はいはい、分かってる分かってる。だからそう叫ぶな)」
一通りの買い物を済ませ(買い物というよりももはや散財と呼ぶにふさわしいバラ撒きだったが)何処に行くのかと思ったらカラオケだった。
「んじゃ! アニソンメドレー行っちゃいますかー!」
「おーっ!」
藍沢に引っ張り上げられるようにして飛び跳ねた柚乃は実に楽しそうでこの前の別れはなんだったのかと思わざる得ない。
アニソンを殆ど知らない上に、人前で歌うのが得意ではない(好きでもない)俺は相変わらず聞き役で、美味くもないドリンクバーのアイスコーヒーを啜りながらその様子を見守っていた。
「(歌も上手いし! まるで声優さんみたいですよね!?)」
「(なんで歌手じゃなくて中の人なんだ)」
「(えっ?)」
ボリュームを上げに上げた室内では声が届きづらい。こういう時にテレパシーというものを使うのかと変に納得してしまった。
「はいっ、柚乃ちゃん?」
「はいっ、お姉さま!」
なんなんだこいつら、初対面だとは思えない。
「ふーぅ」
いちいち立って歌う必要もないのだろうが無駄に広い部屋に通され、一段高くなった「ステージ」が設けられている以上、そこで歌わないと気が済まないらしい。
ソファーに戻ってきた藍沢は意味ありげに微笑むと歌い始めた柚乃に配慮してか耳打ちしてくる。
「仲直りできました?」
「はぁ……?」
にまにまと、まるで全てお見通しだとでも言いたげに見つめられ、居心地が悪くて視線を逸らす。
仲直りも何も、そもそも喧嘩などしていない。
そう弁明するのもなんだか意地になっているような気がして「そんなんじゃねーよ」適当にはぐらかした。
「そば粉うどんがジョシコーセーっての隠すためについた嘘だ。俺とあいつはただの共犯者だよ」
「共犯者ねぇ?」
言葉の距離が嫌に近い。
柚乃の様子をちらりと見ると本人は歌うのに没頭しているらしく、こちらは気にも止めていない。
そのことが妙な背徳感を生んでいた。
藍沢の言葉遣いが先輩後輩のそれで無くなる瞬間というものは未だに慣れない。人と人との距離感を取ることに長けているこいつが距離を詰めてくる時はどうしたって逃げられない。これは経験則だ。
「……やめろ」
「ぁぅ」
ぐいっとおでこを押し上げて引き剥がす。
扱い的には柚乃と同じだ。
「面倒ごとはごめんだ」
「面倒って割り切られちゃうんすか」
「まーな」
秋葉原の街を歩き回りながらもやはり俺はいなくていいんじゃないかと思っていた。
既にそば粉うどんと爆裂堕天使は打ち解けていたし、藍沢がそば粉うどんの正体を把握しているのであればこの先もうまく立ち回ってくれるだろう。それこそ妹を守る姉のように。
だからこれ以上俺が関わる必要性は一切なく、今度こそお役御免なのだ。
「やっぱ魔導騎士アストレアのオープニングはいいよねぇっ?」
「ですよね! あーっ、リアルタイムで見たかったぁ〜!」
戻ってきた柚乃にちゃんと話しかける藍沢。
マイクは2本あるのだから一人一本使えばいいものをわざわざ使い回ししている辺り、何だかムズムズする。
女の子同士のコミュニティって奴なのかもしれないが俺には理解できなかった。
すすすっと入れ替わるようにしてやってき柚乃は含み笑いを浮かべ、自分のポジションへ戻って行く。
何をしているんだこいつは……。
悪巧みを考えているかのように嬉しそうなのがとても嫌な感じだ。
「(良い感じじゃないですかっ)」
「(何がだ)」
「(わかってるくせに〜っ)」
「……はぁ……」
どうもこの年頃の女というものは惚れた腫れたの話が好みらしい。すぐにそっちに結びつける。
「(ただの後輩で、今の同僚だ)」
「(ほほーぅ?)」
ぐりぐりと超能力が目に見えるものであれば探りを入れられているのがありありと見て取れるような仕草でニマニマ笑みを浮かべやがる。
心底腹立たしいが相手にするだけ無駄か。
早々に諦めてドリンクバーに席を立った。
流石にそこまでついて来ようとはしないらしく、柚乃は相変わらずの笑みを浮かべるばかりだ。
ーー結局面倒なことになってるし……。
余計な真似はしないでくれると嬉しいのだがーー、……どうにもその願いは聞いてもらえられなかったらしい。
店を出て、帰るか食事をするかという話になっても柚乃はそそくさと俺たちを二人にしようとするし、藍沢は藍沢で柚乃と俺の間を取り持とうと変に気遣いする。
あーだこーだと遣り合いながら宙ぶらりんで俺は流されるがままに二人について行き、気がつけばもう夜も遅い。
流石に高校生の柚乃をこれ以上連れまわすのはいけないと帰路につき、ようやく腰を下ろしたのはいつもの折り返し始発電車だ。
「楽しかったですね!」
「あぁ……そうだな……?」
既に藍沢は別路線に乗り換え、ここにはいない。
別れ際、名残惜しそうに「私も柚乃ちゃん送りについて行こうかな」とか言われた時はドキっとしたが、よく良く考えれば柚乃よりもこちらが先に降りる。
もしもその言葉が「そういう意味」なのだとしたら、それはそれで気まづいだろう。
「さっさといけ」
いつも通り適当にあしらうと藍沢は苦笑を浮かべていた。
なんだかその表情がひどく胸に刺さったような気がした。
「でもよかったんですか? ほんとに」
土曜の夜ということもあってか車両には人はまばらだ。
それぞれ悠々と距離をとって腰掛け、なのにぴったりと隣に座った柚乃は俺を覗き込む。
「今日ってお兄さんとひとえ先輩とのデートだったのでは」
「デートって……連れまわされてたの間違いだろ」
正しくはデートなのだが。
あいつはそう言ったのだし。
ただし俺は別にそう思ってはいない。デートなどしてたまるものか。
「結局、お前がいようといまいとメイド喫茶にカラオケでゲーセンだよ。まるで学生だな」
「あーっ子供扱いしてますー?」
「そもそも子供だろうが」
一体いくつ歳が離れてると思ってんだ。
わざとらしく頬を膨らませて不満を表現するあたりも子供そのものだ。
恐れ多くも胸元がそれを否定しようとしているようだが、生憎、それも藍沢に比べれば些細なもの。
子供という他あるまい。
「(お兄さんのえっち)」
「(大人の余裕っていうんだよ、これは)」
幾分か、自分のペースというものを取り戻しつつあった。
いつまでもこいつ(柚乃)に振り回されているわけにもいるまい。
動き出した電車に身を預け、あくびをかみ殺すと急に眠気が込み上げてくる。
思えばあちこち出かけるというのも久しぶりだ。意識していなくとも体は疲れるらしく、なんというか、そういう「嫌なところ」で自分が歳をとったのを実感する。
こいつぐらいの時は一日中平然と動き回っていたような気もするがーー、
「(それは思い出補正というものなのでは。武勇伝は自分の中でスクスク育つと申しますし)」
「(うるせぇ)」
このまま眠ってしまっても良いのだろうが、また肩を借りるような真似はごめんだ。
いい大人が女子高生に頼ってどうする。
意地でも眠るものかと中吊りを睨みつけ、結局「ねむみぃー」と口に出してしまった。
「まるでお子様ですね」
クスクス笑う柚乃にムッとしつつも揶揄われたことで多少体温が上がった。
肩をすくめ視線が逃げる。
「お前は変に気を遣いすぎだ」
特に深い意味はなく、ただ言われっぱなしは癪に触るので言い返しただけだったのだが、案外それが核心をついているような気がしてそのまま視線を合わせられなかった。
「俺とあいつはお前が思っているような関係じゃない。……だから余計な真似はするな」
「余計ですかー……」
「余計だ」
何を思っているのか、俺に超能力はなく、こいつの考えている事は読めないが余計なことをしようとしているのは分かる。
というか、今日一日だけでもいらない気遣いを散々していた。俺と藍沢をくっつけようとする意味がわからない。
「なんてゆーか、おにーさんってほんとわっかんないですよねー」
「何がだよ」
「もっと正直に生きません? ってまぁ、それがお兄さんらしいといえばお兄さんらしいんですけど」
「何言ってんだか」
不服なのかそうでもないのかよくわからない反応だった。
ブラブラと足を弄びつつ、鼻歌交じりにつり革を眺める。
よくよく聞けばカラオケで藍沢が歌っていた歌だ。
「なんで名前で呼んであげないんです?」
唐突すぎる問いかけには聞こえないふりをした。
だが、柚乃はそれを良しとはせず重ねて尋ねてくる。
「ひとえさんはお兄さんのこと、名前で呼んで欲しいって思ってますよ?」
「……知ったような口をきくな」
「もー。どっちが子供なんだかわかんないですねーっ?」
知っている。
わかっている。
だが、それとこれとは別だ。
「そう単純じゃねーんだよ、大人はな」
「ふーん……」
頭の中を読もうとしているのか、それともこいつなりに何か考えているのか。
いまいち反応は鈍かった。
そうこうとめどない会話をしているうちに最寄駅へと電車は付き、なんて事はなく、自然な流れで俺は腰をあげる。柚乃もこれと言って俺を止めようとはしなかった。
しかし俺が扉から外に降りる間際、
「(だったら、私は子供のままでいいですね)」
柚乃がそんなことを言ったような気がした。
「…………」
言ったような気がしただけなので聞こえないふりで扉が閉まり切るのを見送る。
ゆっくりと動き出した車両には柚乃の苦笑いが見て取れた。
「子供のままでねぇ……?」
思ったより大人になんてなれていないものだと、遠ざかっていく電車を見送り、俺は思った。
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