第10話 こりゃあ、噂されますなぁ? 地元で。
「いやはや、まさか爆裂堕天使さんが女性だったとは……驚きですなぁー」
俺の隣に腰掛けた藍沢を眺めてメガネが言う。肉団子は激しく頷くだけだ。
「まぁ隠してますからね。女だってバレると面倒なことも多いですし、ーーぁ、ですから今日のことはオフレコですよっ? 秘密にしてくださいねっ?」
「勿論ですッ! 堕天使さんの秘密は我々で守ります!」
「ありがとでっす」
「うっす!」
なんと言うか暑苦しいぞ肉団子。……じゃなかった、肉丸屋。
木枯らしも落ち着かないのか先ほどからメガネをくいくいせわしない。確かに女に免疫なさそうな二人ではあるけど……、
「んっ? 何スか?」
「いんや……」
仕方ないか、藍沢だもんな。
隣で首をかしげる様子は昔のままで特に変わったようには思えない。
長い黒髪、大きな目は見るものを惹きつける不思議な力が昔からあった。
「先輩も変わんないっすねー」
「まーな」
藍沢ひとえ。
一言で言えば文芸部のアイドルだった。
なんだかんだと平たく言えば学生時代の甘酸っぱい思い出って奴で、今となってはただの後輩だ。
まさかこっちで会うことになるとは思わなかったがな……。
俺が3年の時にこいつは1年で、卒業すると同時に連絡も取らなくなっていた。何処の大学に進んだかも聞いていなかったし、聞こうとも思わなかったしで正直驚いた。
「お二人はお知り合いだったのですな」
木枯らしが遠慮気味に探りを入れて来る。正確には俺とは知り合いだがそば粉うどんとは全くだ。
さてどうしたもんかと頭を悩ませていると、
「初恋のひとっすよ」
実に嬉しそうに藍沢が言った。
「はっ……初恋ですか……!!」
何をどう受け止めた結果そうなったのか鼻息荒く肉丸屋が乗り出す。
「ではお二人は……?!」
「一時期お付き合いしてましたけど、フラれちゃいましたっ」
てへっと「様になる」茶目っ気を魅せつけ、何故かホッと肩を下ろす木枯らし。
ぁー、めんどくせェなぁ……このかんじ……。
藍沢は悪い奴ではない。そのことは学生時代の付き合いで思い知らされた。
ただ素直で、嘘がつけないだけだ。
誰にでも分け隔てなく接し、差別もしなければ贔屓もしない。
そういった平等に降り注ぐ日差しのようなところが日陰でジメジメとのサボっていた文芸部連中には心地よく、また、俺も面白い奴だと可愛がっていた。
そう、悪い奴ではないのだ。全く。
「でもまさか先輩だったとは思わなかったですよ。いつのまに絵描きに転向したんスかっ? 昔は読む専門だったのに」
「色々あってな、話すと面倒だ」
「了解っす、聞かないでおきまーッス」
かんぱーっいと店員さんが持ってきたビールを掲げ、和気藹々といった様子で空気を盛り纏める藍沢。
最初はぎこちなかった木枯らしと肉丸屋も親しげに接しられて悪い気はしないのだろう。
若干の下心を感じる動作ではあるものの話に花を咲かせていた。
「私の予想では女の子だと思ってたんですよ、そば粉うどん先生は。だってみょーに女心が分かってるって言うか、結構精神的に追い詰めていく感じあるじゃないですか? だからまさかあの先輩が描いてたなんて驚天動地です」
「それは俺も思ってた。なんか色っぽいって言うか、もしかして女なんじゃっ?! って。なぁ、木枯らし氏?」
「そうですねぇ、そば粉さんは女性だと思っていてまさかの男性で、爆裂堕天使さんは間違いなくこちら側の男性だと思っていたのにこのような可愛らしいお方だったとは……なかなか同人界隈も謎が多いですなぁ」
「あはは……」
おおよそ3人の予想は的中していて乾いた笑いしか出てこない。
「お会いできてこーえーでっす、そば粉うどん先生?」
「そりゃどーも……爆裂堕天使さん?」
「へへっ」
そもそもなんなんだ、爆裂堕天使って……。
それから暫くは俺にもわかるような話題が幾つか続いた。
おそらくは藍沢が気を利かせてそういう風に誘導していたのかもしれない。妙なところで気が回る奴だから俺が分かっていないと思われる話は手短にまとめて、共通の話題で場を盛り上げる。
器用だなぁ、と変わらない様子に言葉なく呆れる。
ほんと、昔から何も変わってない。
土曜だからか暫くすると店も混んできて、二軒目と言う流れにはならずにそのまま駅前で解散となった。
名残惜しそうな木枯らしと肉丸屋を改札で見送り、自然と二人だけにされている現状にただただ息をまく。
「相変わらずだな、お前は」
「そうかなぁ……?」
二人きりになった途端、態度が変わるのもあの頃のままだ。
「どうかな。このまま二人で飲みません?」
「飲みません。なんだ酔ってんのか?」
「酔ってないよ〜、分かってるくせにぃ」
「…………」
どちらが素でどちらが芝居という訳でもない。ただ単純に俺といるときは「こういうノリ」なだけだ。
そのことを忘れないように強く自分に言い聞かせる。もう、特別な感情は抱いていないのだから。
「こっちに出てきてるなんて知らなかった。いま何してるんだ?」
「派遣社員ですねー。今日で契約終わって、週明けから新しいとこ行く予定ですけど」
「そうか」
目の前を行き交う人の波を眺めながらとめどない事ばかり浮かんでは消えて行く。
何か言わなければいけない気もするが、何も言わない方が良いような気もする。
そもそも酒が入ったことですっかり忘れていたが本物のそば粉うどん先生こと、篠崎の姿が一向に見えない。オフ会が終わったらまたここで落ち合う予定だったのにどうしたんだ……?
いつも先回りして俺を待っていただけあって、何かあったんじゃないかと勘ぐってしまう。もう10時も回ってるし、補導されてなきゃいいけど。
こちらから連絡の取り様もなく、そういえば連絡先も聞いていなかったと今更気付かされる始末だ。超能力って便利だったんだなーなんてあいつ任せの関係だったことにも。
「元気してた?」
一向に帰る気配を感じさせない藍沢に仕方なく俺も付き合う。
「それなりにな」
「連絡全然くれないんだもん。まー先輩だもんね」
「分かってんじゃん」
梅雨入り前の夜風は若干ひんやりとしていて、そんな冷たさが酒の入った体には逆に心地よい。
人通りの多い駅前ではベンチなども見当たらず、縁石に適当にもたれかかって空を見上げる。
繁華街は明るすぎて星なんて見えもしない。終電など気にせず既に酒の入った若い連中が雑踏の中へと紛れていった。
ナンパとかされてねーだろうな……。
そもそもの出会いが痴漢だ。変な力使うくせに妙なところで気が弱い。
女子高生なんてそんなもんか、とも思うがならばなおの事心配にはなる。
いざとなればテレポートやらなんやら脱出方法はあるんだろうが。
「何考えてんの?」
「傍迷惑な女子高生の事だ」
「おやおや、先輩はそういう趣味にお目覚めで? っていうか、そば粉うどん先生だったもんね。そりゃそうか」
「どういうこった」
「先輩の出す同人誌、女子高生レイプものばっかじゃん」
「…………」
これはひどい。
とんでもなく実害を被ってしまった。
「なぁ、分かってると思うけどこのことは……」
「当然っ、私だって同人活動のことはリアルで伏せてるし、先輩も内緒にしてくださいよー?」
「俺は話すような相手もいねーけどな」
藍沢はともかく、俺はあの頃の面々とは一切連絡を取っていない。ましてやこいつとここで会ったことを話すような相手もいなかった。
人を騙してどうこうするようなやつでもないから「言わない」といえば「言わない」し、地元で良からぬ噂が流れることもないだろうが……なんとも不思議なことになったもんだと古傷が痛んだ。
とうの昔においてきたはずの出来事が今更になって追いかけてきたようなもんだ。どう受け止めればいいのか未だに判断しかねる自分もまた情けない。
「連絡先、教えてくれる?」
無邪気な、あの頃と変わらない笑顔でスマフォを掲げられ、
「ああ……わかったよ」
と、渋々了解した。
ここで断ればツイッターのダイレクトメッセージを恐らくこいつは使って連絡してくるだろう。
そうなれば俺とこいつの間にあの女子高生を通すことになる。
それだけは避けたかった。
「けどあんなに毛嫌いしてたのにどうして?」
「ん……?」
唐突に、全部の文脈を無視したように覗き込まれて思わず首をかしげた。
なんのことを言っているのかはちゃんと分かってる。
ただ、認めたくなかっただけだ。
「部室でアニメとか漫画の話してると露骨に機嫌枠なってたでしょ? なのになんでかなーって」
「さーな、人は変わるってことじゃないか?」
「わーっ、はぐらかしたぁ〜っ」
「だまれ」
別に、アニメや漫画が嫌いだったわけじゃない。オタクに対して偏見があったわけでも、嫌悪感があったわけでもなく、ただ俺は単純に、……いや、あの頃の俺はただ、嫉妬していただけなんだ。
「んっ?」
「……なんでもない」
「えー?」
こいつが他の「オタク仲間」とわからない話で盛り上がっている姿を見て、……ただ妬いてたんだ。
こんなこと、あいつの前では脳が焼き切れても考えたくもないけどな。とつくづく音信不通になってくれていて助かったと思った。
夜の街並みの喧騒、走り抜けていく車と売れないバンドマンの歌声。
このまま黙って見つめあっていると余計なことまで考えてしまいそうで自分から空気を遮った。
「帰るか」
「帰りますかっ」
妙に甘い香りを振り払うかのようにしてお互いに違う改札口へと向かい、それ以上特に何も語ることなく別れた。
何かが始まるわけでもない。
何かを取り戻すわけでも。
ただ、思い出しただけ、感じ取ってしまっただけだ。
あの頃の、想いを。
「ーーっとにもー、何処行ってたんですかぁー!」
そうして本物のそば粉うどん先生こと、エロ同人作家・篠崎柚乃と再会したのはいつも通りの電車に乗り込んでからだった。
「今夜のこと、ちゃんっと、説明してもらいますからね!」
見るからに拗ねに拗ねまくった柚乃は言った。
そんな様子を「やっぱガキだな」と俺は思った。
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