中編
大天使が羽根を犠牲に残したレプリカは、鈴の鳴るような声で悪魔の兄弟の名前を呼び、慕い、後を鳥の雛のようについてきます。悪魔の末っ子は、このレプリカをまるで本当のガールフレンドのように可愛がりました。ただそのやり方は、トカゲを見せたり、頬をつねったりと、苛めている様な行動でもありました。悪魔の求愛行動というのは、そんなものなのです。けれどレプリカの天使は、それを怖がりながらも一生懸命悪魔の末っ子の後をおいかけ、笑顔を向けるのでした。
そのうち、末っ子は少しずつレプリカを大事にすることを覚えました。大事にするというのは、【悪魔のやり方】ではありません。そうではなくて、人と人として、大切にするやり方を覚えたのです。たとえば、悪魔が触れてしまえばたちまち枯れてしまうような花をどうにかしてレプリカに渡そうとしてみたり、頬をつねるのもじゃれ合うように優しい手つきだったり、トカゲとの遊び方を教えたり、抱っこして地獄なりに景色のいい場所に連れて行ったり。
それは、悪魔らしくない行為でした。だから悪魔の末っ子は、次第に力が弱まっていきました。その異変に最初に気付いたのはおそらく長男だったのですが、先に口にしたのは次男でした。悪魔の末っ子の黒い翼が、どんどん小さくなって、穴ほげになっていたのです。
「悪魔らしくないことをするからだよ」
次男は冷たくそう言って、末っ子を軽く蹴飛ばしました。その言葉に傷ついたように末っ子は目をきゅうと瞑り、もう少しで息絶えそうなレプリカを抱き寄せるのでした。
「レプリカが死ぬ頃、あいつも死ぬかもね」
長男は笑いました。そう言って長男が笑うのを、次男は怪訝な顔で見つめるのでした。
「弟なのに、兄さんは冷たいね」
「悪魔だからね、そういうもんだろ?」
「そうだけど……」
長男は、本当はこうなることを予測していました。最初から。末っ子が天使に興味を持ったその時から。
だって末っ子は、まだ悪魔としては未熟で、生まれたての赤ん坊のようなものだったのです。無邪気で残酷で、良識を覚える前の人の幼子と何ら変わりはありませんでした。なのに末っ子は、たまたま地上に落ちてきた綺麗な純白を持つ天使の幼子に惹かれました。そんなの、生を否定するようなものです。
「あいつが死ぬのが先か、俺がもう一組レプリカ天使をもらってくるのが先か、どっちかなあ」
そう呟きながら、長男は麻薬の葉巻に火を点け、煙をくゆらせます。その横顔を静かに見つめながら、次男は言いました。
「またもらってくるの」
「当然。だって、お前ら欲しがってるだろ?」
欲しがることは悪いことじゃないよぉ、と長男は笑います。欲深いことは悪魔の大事な性質です。そうやってケラケラと笑いながら、長男は次男の目の色が不安と困惑で揺れたことを見逃しませんでした。
「……そう。まあ、好きにすれば」
次男はそう言って、尻尾を優雅に一振りし、崖の上で転び落ちそうになっている自分のレプリカを摘みに行きました。
悪魔の次男は、もう悪魔としては立派な強欲と狡猾さと薄情さを兼ね備えていたはずでした。ですから体は、人間の青年と変わらないなりをしていました。次男がレプリカのことを可愛がったことは一度もありませんでした。次男のやりかたはこうです。危ない場所に連れて行って、一人きりにして、レプリカの天使が心細さに泣いたり、怪我をしたりするのを林檎の木の枝に座って高みの見物。何をされても、放っておかれてもめげない、後を必死でついてくる小さな天使は、次男にとって面白いおもちゃでしかありませんでした。
けれど次男は、弱っていく弟を見て、恐怖を覚えてしまったのでした。それは、自分が消えたくないという恐怖でした。次男は、今までわざとほったらかしにしていたレプリカの天使を、手放すことにしました。殺してやろうと思って、川に流しました。けれど天使は、溺れかけても必死で泣きながら陸に上がり、よたよたと走って追いかけてくるのです。次男の体に縋りつくのです。やめてほしいと次男は思いました。消えたくない。怖い。こいつがいなかったらいいのに。なんでこんなに冷たくしているのに、こんなに近づいてくるの。わからない。こいつのことがわからない。わからないことが怖い。
なんで僕に追いすがるのと尋ねれば、レプリカは天使のお決まりの文句を言うのでした。それは、「だってあなたは私の救うべき存在だから」と、こうです。それを言われる度、次男は心に銀のナイフが刺さって、心の臓が肉のようにさくりさくりと切り分けられていくような、鮮烈な痛みを覚えるのでした。次男は泣きました。末っ子ですら流さなかった涙を流しました。二番目のレプリカが死んだとき、次男は長男がまた祈りに行くのを止められませんでした。また会いたいと思ってしまっている自分に気がつきました。三番目のレプリカが来たとき、次男は顔をくしゃりとこれ以上ないくらいにゆがめて涙をこらえ、自分にあてがわれた小さな天使の小さな躰を、その骨が折れそうなほどに強く抱きしめました。そうして、そのまま地獄の業火に落として、殺しました。次男はそれから三日三晩泣き続けました。赤々と燃えたぎる、火山の火口の傍で。
三番目の天使に看取られて、末っ子は死に、炭の塊になりました。それを長男は笑いながら蹴り飛ばしました。すると塊はぼろぼろと崩れながら、地底のマグマの中に落ちて、跡形もなくなってしまいました。これが悪魔の葬送でしたが、レプリカの天使はそれにひどく青ざめ、泣きはらしました。そうして、まだ生まれて間もなく、末っ子に出会って間もない小さな天使は、末っ子だったものの落ちたマグマの中に飛び込みました。当然、レプリカは一瞬で消えてなくなりました。燃えるのが先だったのか、蒸発するのが先だったのか、もうわかりません。それは、池に落ちる雨粒のように、あいまいで不確かなものでした。
ふと、長男は天使の三姉妹の末っ子は、どうしているのだろうと思いました。悪魔の末っ子が一目ぼれしたのはあの末の娘でしたが、あてがわれたのは長女の羽根にすぎません。そんなまがい物で、悪魔の末っ子は悪魔らしくもなく、幸せに逝けたのでした。
そうして七日目、悪魔の長男は、次男の姿が地下にも地上にも見えないことに気が付きました。けれど気にもしませんでした。だって長男は悪魔だからです。レプリカごときに心を乱されて、何かをするため空へ向かった次男を、気にしてやる必要なんてありません。
長男は、三番目の小さな天使の頭を時々撫でて、好きに後ろを歩かせ、食事は一緒にとり、隣で眠らせました。悪魔の長男は、最初のレプリカを手に入れた時から、ずっとそうしてきました。それは一見、優しさにも見える行為でした。末っ子も次男も、そんな体でいる長男を――そしてレプリカが死ねば教会に赴き大天使におねだりをする長男を、奇人だと思っていました。
けれど悪魔の次男も末っ子も、最後まで知ることはありませんでした。それは優しさではないのです。長男は兄弟のうちで誰よりも悪魔らしい悪魔でした。悪魔らしいことを、悪魔らしくやっていただけのことでした。とうとう悪魔の次男は、八日目の日も、それからも帰っては来ませんでした。生き残った悪魔の長男は、三番目のレプリカが死んだあと、末っ子にそうしたようにその亡骸をマグマの中へ蹴り入れました。
そうして、口を歪め、楽しそうな笑みを浮かべて、教会へと足を向けたのです。
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