第72話:上昇が下降であった話

 物語の定義や構造、母型、祖型については、様々な研究があり詳細までは書きつくせない。


 シンプルな例としては「どこかへ行って帰ってくる」という形がある。「往きて還りし物語」というと急にファンタジー風になるが、私の場合は小松左京の「SFセミナー」で知った。「原始的な人類が遠くに行って、戻ってから仲間に見たことや聞いたことを話して伝える」という行為が始まりであるという説である(確か、話す段階で誇張や身ぶりが入るうちにフィクションとしての形が整うという、発生史のような説明がついていた)。


 村上龍はもっとシンプルに「穴に落ちた主人公がそこを出るか、出られないか(あるいはそのままか)」といった区分をしていた。


 私の場合は、上昇や下降のイメージで物語を把握することがあり、これはとりわけ大雑把な枠組みなので、多くの物語の構造に当てはまる。たとえば「のび太がドラえもんに与えられた道具で調子こいて(上昇)→やがて失敗する(下降)→おわり」といったものである。ここに権力やら組織やら何やらが関わると、もう少し複雑な型が考えられて興味深い。


 映画でいうと「サンセット大通り」「ラストキング・オブ・スコットランド」「法律事務所」の主人公は、いずれも上記の野比のび太と同様に、最初は調子よく物事が進む。うまく権力者に取り入って、集団の中で厚遇される。


 ところが、順調なまま進みはせず、ある時それが破綻したり、順調な上昇のように見えたものが実際には絶え間のない下降であったことが判明したりする(例:小さな企業で社長に気に入られて順調に出世したはずが、実は社長が闇の犯罪集団と通じていた)。


 あるいは、気まぐれな権力者が暴走したり狂ったりすることで、主人公はやはり大きな危機を迎える。その結果「サンセット大通り」では主人公が最終的に**する。冒頭に**することがはっきり提示してある。「~スコットランド」は**することになる。「法律事務所」は、*****(略)。


 こういった構成の話に自分はやけに激しく惹かれる。さらに、裏切り、拷問、権力や価値観の崩壊、暗殺、敵地での決死の逃避行、脱出劇といった要素が絡むともちろん良い。最近だと映画「ゲット・アウト」がこの好例なので推薦したい。


 この手の話の形は「塔に幽閉された姫君を助けに行く騎士」とか「洞窟の奥にいる悪い龍を倒しに行く騎士」などにもルーツを求めらるように思う。この型の話に「お姫様だと思ったら、正体は悪い龍や魔女だった!」という捻りを加えると、たとえば「サンセット大通り」になる。


 谷崎潤一郎の「春琴抄」の場合は、春琴が最初から「お姫様」「悪い龍」「魔女」「権力者」の全てを兼ねた人物として登場する。これにマゾヒズムの要素が加わると、結末は単なる脱出劇で終了にはならない。最終的には外部でも内部でもない、上昇なのか下降なのかすら判別できかねる、別の次元に行っちゃったような観があるので、分類上は巨大な存在感を持つ例外、とでもしておきたい。



*例として挙げている映画を観たことがない、という人にはシンプルな「ゲット・アウト」がお勧めで、次は「ラストキング・オブ・スコットランド」がお勧めです。「サンセット大通り」は昔の白黒映画ですが、今でもほとんど色あせていない有名作品です。文中に挙げていないものでは「イースタン・プロミス」も同じ構造の作品、かつ予備知識なしで観ることをお勧めしたい作品です。邦画では白石和彌監督の「日本で一番悪い奴ら」(2016)が上昇から下降へと至る振り幅が大きいのでお勧めです。

  

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