第48話:前置きの「が」を多用した文章
いま私の中では松浦理英子ブームが起きていて、この「創作論のメモ」の第一回目で取り上げた「最愛の子ども」や「犬身」を読んでいる最中である。
いろいろな点を褒めたいと思う一方で、あえて欠点を探すとするとどこかなという意地悪な視点からも見てみると、文章の中に「~だけれども~」が多いと気づいた。
おそらくこれは、文中の「が」を減らすための工夫の一種ではないかと思う。実は自分も「が」をかなり意識して文章を書いているからで、確か伊坂幸太郎も、何も考えずに文章を書くと「が」が増えてしまうと発言していたように記憶する。
といっても何の話かわからない人もいるかと思われるので解説すると、主語を示す平凡な格助詞の「が」以外に、接続助詞の「が」が2種類あって、それは逆説の「が」と、ほとんど意味のない、前置きの「が」である。この2種類を意識して読み書きしている人は、どのくらいいるのだろうか。
逆説の「が」は、例文を出すまでもなくご存知だろう。一応、書いてみると次のようなものである。
・僕は全力で走った「が」、結局は予定の時刻に間に合わなかった。
・一生懸命に勉強した「が」、結果は平均点以下だった。
上記のように、予想される結果に対して「が」の後が逆の意味になっている。
続いて、前置きの「が」というのはどんなものかというと、
・先日の会議の結果です「が」、あの件はゴーサインが出ました。
・次に集合時間です「が」、これはいつもと同じです。
このように、逆の意味や打消しでもなく、何となくつないでいるだけの「が」というものが存在するのである。
そして、意識しないでいるといつの間にか後者の「が」も前者の「が」も、文中にやたらと多く入り込みがちなのだ。以前、この点に気づいて寒気がした。自分の文章には「が」が多すぎて、いつも「~だが、~」という型になっていたのである。
思い出すだけで恐ろしい。「が」ばかりだとどのような文章になるか、気づかない人もいるかもしれないので、試しに今回の文の冒頭から例文の前までを書き換えて「が」だらけにして強調してみる。読み終わったら、次はあなた自身の書いた文章を読み返していただきたい。
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いま私の中では松浦理英子ブームが起きていているのだが、ちょうどこの「創作論のメモ」の第一回目で取り上げた「最愛の子ども」や「犬身」を読んでいる最中である。
いろいろな点を褒めたいと思う一方で、あえて欠点を探すとするとどこかなという意地悪な視点からも見てみるのだが、文章の中に「~だけれども~」が多いと気づいた。
おそらくだが、これは文中の「が」を減らすための工夫の一種ではないかと思う。実は自分も「が」をかなり意識して文章を書いているから気づいたのだと考えるのだが、確か伊坂幸太郎も、何も考えずに文章を書くと「が」が増えてしまうと発言していたように記憶する。
といっても何の話かわからない人もいるかと思うのだが、ちょっと解説すると、主語を示す平凡な格助詞の「が」以外に、接続助詞の「が」が2種類あるのだが、それは逆説の「が」と、ほとんど意味のない、前置きの「が」である。この2種類を意識して読み書きしている人なのだが、カクヨムの中にどのくらいいるのだろうか。カクヨムの外にも少ないかもしれない。
逆説の「が」は、例文を出すまでもなく皆さんご存知だろうと思うのだが、一応、書いてみると次のようなものである。
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