第10話:理屈と心情
「バタリアン」はゾンビ映画の始祖とされる「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の変則的な続編になっている。
通常、ゾンビは「頭を吹っ飛ばすと死ぬ」「会話が成立しない」「噛まれるとゾンビになってしまう」などの基本ルールが存在するのだが、本作はこの時点ですでにルールを書き換えていて、ゾンビと会話する場面がある。
「なぜ、お前たちは人間の脳みそを求めるのか?」
という問いに対して、
1.死者は、死んでいることの痛みを全身で感じている
2.生者の脳みそを食べると、その痛みがやわらぐ
という返答があるのだが、理屈にはまるで合っていない。
しかし心情的には「死者の痛み」という概念は納得できるので、「脳みそを食べると痛みがやわらぐ」も、すんなり受け止めることができる。
たとえば「空を飛ぶ」という力や「逆転満塁ホームランを打つ」といった確率的にありえないような事件も、心情が理屈を越えていれば十分に成立するものだ。
有名な例を挙げるなら「ジョーズ」の結末は偶然、あれとこれがあったから上手くいったようなもので、客観的に見るとかなり絶望的な状況である。
しかしあの終わり方は「やったー!」であって「こんな都合のいい偶然があるか!」と怒る人はいない(公開当時は映画館で拍手喝采だったという)。それは主人公の心情や状況に感情移入しているためだ。
創作においては「何よりもキャラクターが大切」であるとか「ストーリーの作法を学ぼう」的なガイドが多いのだが、上記のような「心情が理屈を越える」といった核が出発点にあれば、多少辻褄が合っていなくても優れた作品は生まれるのではないだろうか。「たとえ偶然に頼った勝利であっても、感情移入させてしまえば作劇上の障害にはならない。むしろ成立する」と考えた方がいいかもしれない。
逆に言うと、キャラクターが魅力的でストーリーが整っていても、心情が少しも動かされないままであれば、些細な傷が致命傷になってすべてが崩壊してしまう。
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