3-2

「……あー、もう、これだから」

 何のきっかけもなく、ただ自然に目が開いた。

 ほとんど光の無い部屋の中、月と星、それに街灯のわずかな明かりだけでも室内の様子がはっきりとわかるくらいに目が冴えている。

 ほぼ完全に目の疲れが取れたのはいいが、考え事をしながら眠り込んでしまった事に対しては反省しかない。

「時間は……なんとか間に合うか」

 枕元の時計を見ると、十一時を少し回ったところ。幸い、軽く身支度をしてから学校に向かっても、まだ少し時間に余裕はある。

「また、無駄に心配させたかな」

 俺のベッドのすぐ隣には、床に布団を敷いた上に椿が寝ている。

 一向に目覚めない俺の様子を見るためなのだろう。流石にこんな状況では情欲の一つも湧きはしない、とまでは言わないが、やはり申し訳無いという気持ちが先に来る。せめて起こさないように、音を殺して部屋を出る。

「椿、優奈か……」

 半ば無意識の自分の声を耳にすると、何か致命的な失敗を犯した気分になった。

「勇奈」

 上書きするようにもう一度、明確に幼馴染の少女の顔を思い浮かべて呟く。

「勇奈……」

 もう一度。

 毎日のようにその名を呼んでいた日は遠く、だが、今でもその名はごく自然に滑らかに響く。そしてそれと同時に、勇奈の、桐原勇奈の顔が脳裏に鮮明に浮かんだ。

 茶色がかった短い髪、栗色の丸い目、やや丸い鼻、小さな耳にこれもまた小さな口。

「っ……」

 写真のように思い出せる小動物のような容貌は、俺が最後に目にした十一歳当時のもの。勇奈がそれ以上成長した姿を俺に見せてくれる事は、今後も絶対にない。

 その名に『勇』の字を持つ事から、四人の遊びの中で俺を差し置いて勇者と呼ばれていた少女。俺と由実、謳歌にとっての親友。そして、魔王事件の被害者の内の一人。桐原勇奈は、俺達の幼馴染はあの日、この世界から姿を消した。

 彼女が、勇奈が今も生きてくれていたのなら、俺達四人は今もただ一緒にいられただろう。あの日まで俺達は四人だったのだから。三人でも、二人と二人でもなく四人だった。

 もっと昔は、二人と二人だった。俺が物心付く前に謳歌と出会い、また由実と勇奈も同じく出会っていた、記憶もまともに残っていないほどの昔。それから二人が二人に出会うまでの期間は確かに存在して、ほんの少しだけ記憶にも残っている。

 そして、今は三人になってしまった。関係性や在り方を度外視して、ただ人数として三人。もはや二人と一人、あるいは一人ずつになってしまったとすら言えるこの状況を生んだのは、紛れもなく残りの一人、勇奈の喪失が原因なのだから。

「……っ」

 脳に伝わる不快な摩擦音に、奥歯を強く噛み締めていた事を自覚させられる。

 勇奈がもうこの世界にいない事を思う時、脳裏にまず浮かぶのは彼女の笑顔。

 考えてみれば、それはおかしな事かも知れない。俺は確かに勇奈の消えた瞬間を目にしていて、その光景は今でもはっきりと思い出せるのだから。

 ただ、あの瞬間の俺にはまだその光景が、謳歌と勇奈が中にいた病院が跡形も無く消え去り、謳歌一人だけがその跡に残っていた意味が理解できなかった。

 だからだろうか、今となっても、魔王事件と呼ばれるあの事件については、その名の通り勇奈よりも謳歌の事件という印象が強い。

 それも全て、結局は俺が勇奈の世界から消え去る瞬間の表情を知らないがためなのだろう。その点で俺は、あの日あの場所に来られなかった、来ないで済んだ由実と同じ。ただ違う点があるとすれば、病院跡に一人立ち尽くす謳歌の姿を見たかどうかだけだ。

「誤解なんだ、って言えるほど簡単な話なら良かったんだけどな」

 俺も由実も、あの事件がどのような経緯で起きたのかをはっきりとは知らない。もしかしたら、謳歌すら知らないのかもしれない。

 そんな中で由実が謳歌を憎んでしまったのは、事件についての全てを他でもない謳歌によって聞かされ、そしてあの時の由実がそれを真実だと信じ込んだから。そして多分、謳歌が口にした事は紛れもなく事実でもあったのだろう。

「勇奈……」

 更にもう一度、呟いた名前に、無性に勇奈に会いたくなる。

 由実にとってだけでなく、俺に、そして謳歌にとっても勇奈の喪失は大きすぎた。解決手段の無い問題は、今もどうしようもなく俺達の中に残り続けている。

「お前なら、由実になんて言うんだろうな」

 きっと、気にしないでと言うだろう。それから、謳歌と宗耶と仲良くね、なんて言うかもしれない。幼い頃から優しく、そして敏感だった勇奈の事だ。今の俺達三人の在り方を見たら、さぞ悲しむ事だろう。

 そうしたら……そうだとしても、やはり由実は謳歌を許す事はできないのだと思う。だとすれば、俺から何を伝えれば由実を説得できるというのだろうか。

「…………」

 沈んだ気分で、一人家を出る。

 できれば、こんな事は考えたくない。だから逃げるように寝てしまった、というのは言いわけにもならないだろうが、あれから五年が過ぎた今となっても、勇奈の死について考えるのは辛い。

「……まぁ、とりあえず行きますか」

 気付けば、もう奥光学園の校舎が目の前というところまで来ていた。声だけでもできる限り明るく、自分に言い聞かせるように呟く。

 仕方ない。元々あまり先の事を考えるのは得意ではないし、この便利な目を手に入れてからは尚更だ。もう一度直接由実を視てからどうするかを決める事にしよう。

 心を決め、まばたきと共に校内に一歩踏み入れる。

 瞬間、俺の頭部を目掛けて一閃の光が放たれた。すでに知っていたそれを首の一振りで躱すと、続く第二射を避けるため一旦敷地外に出て壁に隠れる。

「いや、ちょっと、これ普通に死ぬんだけど!」

 近所迷惑とかは考えずに大声で叫ぶ。一気に暗い気分までどこかに吹き飛んだ。

「大丈夫だ、その程度の威力なら死にはしない。お前まで殺す気は無いからな」

 由実の声は遙か遠く、屋上から聞こえる。

「いや、そういう問題じゃなくって。これじゃあ俺がどうとか関係無いじゃん!」

「ああ、そうだ。お前がいくら葛藤し、そしてどのような答えを出そうとも、私は謳歌を殺す。それを止めたいのならば、宗耶が力づくで私を殺すしかない」

 つまり、由実が俺に言った天秤とは、由実と謳歌の命を秤にかけるという事。謳歌を殺させないためには由実を殺すしかないという、非常に簡単で頭の悪い天秤を由実はこの場に作り上げようとしていた。

「いや、殺すしかないって、そもそもそれが無理なんだけども」

 ただ、何よりの俺の誤算は、由実は全く俺に選択権を委ねてはいなかったという事。

 あの由実が無防備に俺の言う事を聞いてくれるなどとは思っていなかったが、それでもこの状況ではそもそも戦いにすらならない。

「……まずは校舎に入らないとどうしようもないな」

 校門から校舎までの距離など大したものではない。まっすぐに駆ければ数秒で辿り着くのだろうが、その数秒は遮蔽物の無い完全な平地に体を晒す事になる。由実の矢が俺を貫くには十分すぎる隙だった。

「なら、裏から入るか」

 弓使いのジョブによるものか、それとも生来のものか、由実は狙撃のための正確な遠視力と人並み以上の視力を兼ね備えている。

 だが、所詮は人の目。暗闇では機能は鈍り、そうでなくても360°全方位が見えるはずもない。敷地内への侵入への発見が遅れれば、それだけ距離を縮める事ができる。

 塀に隠れつつ裏門へ回り、木に隠れるようにして校内に侵入。とりあえず一番手近にある体育館へと駆ける。

 四歩ほど進んだ時点で、屋上からの一閃が俺の腹部へと射出。斜め右上方からのそれを右後方に一歩後退して避けると、続く二射目は左太股へ。これは下半身を捻ってどうにか躱すも、続く三、四の矢を避けるには大きく後ろへ下がるしかない。

「……そう上手くはいかない、か」

 由実のジョブ、弓使いに与えられた力は、光の矢の生成とその射出。物理法則に縛られずに飛ぶ光矢は由実のイメージ通り、寸分違わず狙った位置座標へと飛ぶ。

 だが、それは動く標的に対しての必中を意味しない。あくまで狙ったタイミングに狙った点に着弾するというだけで、標的がその点から外れていれば矢は当然当たらない。

 とは言え、前進を強いられた状況で選べるルートなどそう多くはなく、そのルートを正確に潰してくる定点狙撃は、この状況においてはむしろ自動追尾より厄介とも言えた。

「……これは無理だろうな」

 再びスタート地点、裏門の外の塀に隠れ、一人呟く。

 未来視があれば、由実の狙撃を躱すのはそれほど難しい事ではない。だが、それは体勢の整った状態で、それも一発だけなら、だ。前進を拒むべく放たれた光の矢を掻い潜りつつ、それでも前に進むには単純に速度が足りない。

「せめてもう少しマシな能力ならやりようもあるんだが」

 副会長にも言われた通り、俺は一対一ではかなり弱い。戦闘において主に最適解を導き出すための能力であるこの目は、すでに逃げる事が最適解だと導き出していた。

 そう、何もここで俺と由実が戦う必要など無い。俺が由実を倒せないのと同じ、いやそれ以上に由実に謳歌を殺す事などできないのだから。

 副会長も由実も、謳歌の力を把握していないがゆえに謳歌を殺せると思っているに過ぎない。俺の意志がどうであれ、そもそも殺すなんて事は不可能なのだ。

「とは言え、やっぱり逃げるわけにもいかないな」

 だが、いかに実現不可能なものであろうと、幼馴染が別の幼馴染に対して殺意を抱いている状況は喜ばしいとは思えない。俺の目的はできるだけ最高の形で『ゲーム』を終わらせる事であり、そのためには今、由実を説得しないわけにはいかない。

「……やるか」

 副会長とは違い、由実は俺の性能をほとんど正確に把握している。催眠までは知らなかったかもしれないが、それも副会長に使った事で漏れた。その上で、最も勝率の高い策として屋上からの狙撃を選んだのだ。

 だが、俺の事を正確に把握していると思い込んでいるからこそ、付け入る隙もある。

 まばたきを一度、そしてポケットから手鏡を取り出し、見つめる。更にもう一度まばたきをして、鏡を元のポケットにしまう。

「……多分、よし」

 正門よりは裏門からの方が由実の死角になる中継地点、体育館の壁までの距離は短い。よって、裏門そばの塀を乗り越えて侵入する事にする。ここからなら、体育館の壁までは数歩で辿り着く。

 俺の動きを読んでいたのか、第一射は先程よりも幾分早く、塀を越えたのとほぼ同時に着弾。塀を蹴り、前に飛んで回避すると、それだけで半分ほどの距離が詰まる。

 幾分か遅れた第二射は、これも前に跳んで回避。俺の速度に合わせて修正された三、四の矢は、前進しながらの身の捻りと手に持った黒棒の迎撃で避けきる。

「……っ」

 そして、五、六、七、八の矢はほとんど同時に放たれる。その内二発は俺を狙ったもので、そしてもう二発は俺の前方を塞ぐための矢だった。

 結果的に、俺が右肩と右脛に喰らった矢は、前方へと放たれた二発。光の矢を体に受けた俺は、だがそのまま体育館の影に隠れ込む事に成功する。後は体育館に入り校舎の中を通って行けば、由実の射線に入る事なく屋上へと向かう事ができるはずだ。

「痛っ……くもないな」

 肩には若干の違和感があり、腕や足も擦り剥いてはいるが痛くない。

 これが由実の誤算。俺の身体能力が壁を蹴って飛んだり、狙撃を『前に』躱すような人間離れした行動を可能にするものではないとの思い込み。

 だが、俺には自己催眠があった。あってくれた。

 正直言って今この瞬間まで、副会長との戦いで用いたと思っていた自己催眠が本当に存在するのか、半信半疑ではあった。だからこそ、本当は使いたくはなかったのだ。

 この場で自己催眠が発動しないなんて事になれば、俺が副会長に勝てたのは火事場の馬鹿力、精神論での勝利だという事になってしまう。結果的に成功し、そうではないと確信が持てた今では、むしろ試してみて良かったと思いすらするが。

「とはいえ、あんまり乱用するのもやばそうだな」

 本来の運動に加え、催眠による支配を上乗せした肉体は、常時のリミッターを外れた動きを可能にしている。痛みを感じられないのも、脳内のアドレナリンを異常発生させたから以外には思いつかない。

 だが、由実からの二撃を喰らったのは事実であり、それに加えて体には無理な動きをしたダメージもあるはずだ。一時的に無視している分、痛みが戻った時の事を考えるのは怖い。その前に白岡に治療してもらえればいいのだが。

「さて、これからどう来るか」

 おそらく、由実は俺が校舎内に入る前に撃墜されるか諦めて帰るかのどちらかだと予想していただろう。しかし、だからといって由実が今の状況を想定していないほど甘い女だと想定するほどには、俺もまた甘い男ではなかった。

 とは言え、由実のこれからの行動が読めるかと言うと、そこまで今の由実の考えている事、そしてこの戦いの目的がわかるとも言えない。

 謳歌を殺す障害になる俺の動きを止めるためなら、俺の寝込みを襲う方が楽だったはずであり、話し合いがしたいなら接近を許さないような狙撃などしないだろう。

 ならば力の差を見せつけて諦めさせるためか、それとも心のどこかで俺に止めてほしがっているのだろうか。どのようにも考えられ、そのどれもが違う気がする。

「学校、ってとこに意味があったりするのかねぇ」

 深夜の学校。ありとあらゆる物語の舞台になったであろうシチュエーションは、俺にとってはやはりホラーの印象が強い。ついつい独り言で恐怖を紛らわしてしまう。

「……ッ!」

 しかし、それは失敗だった。

 てっきり屋上にいるものだと思い込んでいた由実は、曲がり角で俺を待ち伏せして狙撃に備えていた。独り言から一早く俺の接近に気付いた由実が放った矢、それをどうにか俺が躱せたのは、単純な幸運と、光の矢という暗闇では目立つ力の性質ゆえ。

「……だから無理だろ、これ」

 まばたきをした時には、すでに由実は階段を駆け上り逃走していた。ヒット&アウェイは戦術としては基本だが、身体能力ですら劣る俺が単純にその背を追っても追い付けない以上、その基本の戦術だけでほぼ詰まされている。

「そもそも使い辛いんだよ、これ」

 遠距離の攻撃手段も無ければ、近距離でも強いどころかむしろ弱い。そして何より、燃費が悪い。先程の不意打ちだって未来視を発動していれば難なく躱せただろうが、残念ながら常時未来視を展開などしようものなら、ものの数分で目が開かなくなる。いつ戦闘が始まるともしれないこの状況では、俺は少し目がいいだけの一般人として戦う事を余儀なくされていた。

「こらー、由実ー! 聞こえてんだろお前! 自分ばっかり有利な状況で戦ってずるいとか思わないのか!」

 階段を上りながら叫ぶ。俺のそもそもの目的は由実との対話なのだ。立てこもり犯への交渉も一方的にやるものだ、ここはそれにならって返事が無くても叫ぶことにしよう。

「やる気が無いなら俺は帰るぞ! それが嫌なら出て来い!」

 返事代わりに廊下の奥から一閃。位置関係からそこしか角度が無い事はわかっていたので、余裕とはいかないまでもなんとか避ける。

「くそっ、それなら俺は帰る! いいのか、本当に帰るからな!」

 そして、捨て台詞を吐いて逃げる。本気で逃げる。勝てないならば、残る道は負けるか逃げるかしか無いのだ。

 今さっき上ってきた階段を下り、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下に出て、そのまま学校を囲む塀の影に体を隠す。

「……やられたな」

 考えてみれば、この戦いは必ずしも俺が攻める必要は無い。

 たしかに由実の有効攻撃範囲は俺より圧倒的に広いが、それでも当たらない場所にいれば当たらないのはあちらも同じ。俺が勝つためにはこちらから接近する必要があるが、由実だって少なくとも俺を射撃できる位置にいなければ俺を倒す事はできない。

 そんな当たり前の事に今まで思い至らなかったのは、この戦闘の形が謳歌の提案した『ゲーム』と非常に酷似していたからだろう。いつの間にか俺は、学校での戦闘は襲撃者側と防衛側に別れるものだと思い込んでいた。

 俺自身でも気付いていなかったそんな思考まで読んだ上で、由実が舞台を学校に指定してきたのだとすれば、なるほど俺はその策に見事に嵌っていた事になる。それは幼馴染ゆえ、由実の中の俺が限りなく本当の俺と近いからこそ可能となった策か。

「なら、こうなった場合、由実はどうするんだ?」

 だとすれば、それは俺から由実への場合でも同じはず。由実が今何を考え、そしてどのような行動に出るのか、それを推測する事は決して不可能ではないはずなのだ。

 考えろ。由実が何を考えているかがわからないのなら、せめて由実がこの状況でどう動くのかを考えるのだ。

「……逃がさないか、由実なら」

 屋上から俺の背を見送る由実の姿を思い浮かべ、わずかな違和感を感じたから。きっと由実なら逃げた俺の後を追って来る、そう思えた。

「ぁ? ……ッ!」

 だが、その予測が甘かった事を、塀の影、由実からは死角であるはずの頭上24センチメートルの地点へと着弾した光矢の存在によって突き付けられる。

 まずい、音を出した。

 続いた第二の矢は、今度は寸分違わず一瞬先まで俺の胴体のあった座標を貫く。

「……それは反則だろっ」

 曰く、曲射。

 おそらく屋上から放たれたのであろう光の矢は、学校の塀を越えた時点で折り返し、その裏に潜んでいる俺へと進行方向を変えて飛んで来ていた。

 由実の光の矢は、質量を持たない。ゆえに物理的な法則に縛られず、由実の狙った座標へと完全な直線を描いて飛ぶ。少なくとも、これまではそうだった。

 だが、そもそも物理的な法則を無視する光の矢が直線でしか飛べないという保証はどこにも無い。現状から推測するに、あの光の矢は由実の狙った座標へ真っ直ぐ飛ぶのではなく、由実が頭の中で描いた軌道を寸分違わず辿って飛ぶのだ。

「本当に、厄介なっ」

 由実は俺が完全に逃げたわけではない事をわかっていた。そして、俺が由実を待ち伏せるべく塀の影に隠れる事も。だからこそ、逃げた俺を追う事もなく屋上へと向かい、そして目視する事も無く俺を狙撃したのだ。

 矢の雨に晒されたこの状況は、俺が由実に読み合いで完全敗北した事を示している。それはつまり、俺が由実を理解している以上に由実は俺を理解していたという事で。同じだけの時間お互いを見てきた俺達の間の差は、一体どこで生まれたというのか。

「こ、れは、本当に、無理だ、な」

 由実の狙撃は、今や正確さを犠牲にした圧倒的な数の矢の雨となっていた。足と体の捻りだけでは避けきれなくなり、体を軌道に捉えた光の矢だけを黒棒を使って何とか凌いではいるが、体力的にもそろそろ耐えきれない。

 本気で逃げたい状況だが、下手に学校から距離を取ればそれは由実の死角から出る事になり、今より正確性を増した狙撃の雨を受ける羽目になってしまう。

 それなら一か八か、再び校舎内に侵入する方がまだ活路があるかもしれない。あれだけの数の光の矢の生成と放射は、由実にも少なからず消耗を強いているはずだ。仕切り直せればまだ勝機はある。

「……あっ」

 由実と目が合った。

 それは、錯覚だったのかもしれない。

 しかし、塀の影から体を出した瞬間、俺は絶対の敗北を確信してしまった。屋上から一際強烈な閃光が走るよりも一瞬早く、その射線を視た俺は、だからこそ回避は不可能だと理解していた。

 七つの光。由実が同時に放った光矢は、その一つ一つが確実に俺の意識を刈り取るに足る威力を秘め、七つ合わさる事で俺の回避可能域を面で潰すそれはまさに必殺。


「――――っ?」


 だが、必殺の七閃は、その一つたりとも俺に触れる事すら無く消失した。

「……勇、奈?」

「っ! はいっ、優奈です、宗耶さん!」

 俺の未来視でも視えなかった、絶対にここにいるはずの無い少女は、俺へと振り向くとこの場には似つかわしくない満面の笑みを浮かべた。

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