1-6
私立奥光学園。
総生徒数が二千を越える大規模な高校であり、頭の出来も運動能力の程度も、それぞれ底辺から頂点近くまで取り揃えている節操のない場所だ。そして、その中でもこの奥光学園生徒会の連中は、学校の個性を象徴するかのようなメンバーだった。
「では、これより、今いる面子で臨時議会を始めようか」
生徒会長である王見幸也の音頭で始まりを告げた会議の議題は、当然謳歌に置き去りにされた少女について。書記と三年生の方の副会長が不在のため、今は会計の由実が代わりに書記を務めるらしい。
「じゃあ、まずは名前を教えてもらえないかな?」
会長の後に続けて口を開いたのは、俺達と同学年、二年生の方の副会長であり、『ゲーム』においては僧侶のジョブを持つ白岡春。会長はいつも通り音頭を取っただけで、これ以降の進行は主に白岡が担当するのだろう。
「は、はい。椿優奈といいます」
少女の名乗りに、議事録という名の大学ノートの上を走っていた由実のペンが止まる。
「……ゆうな?」
「優しい、に奈良の奈で優奈です」
「ああ、そうか。ありがとう」
何も無かったかのようにノートに向き直る由実は、名前の綴りを知りたかったわけではない。もっとも、それに気付けたのはこの場においては俺くらいだろうが。
「その制服って千雅のだよね?」
「はい、千雅高校の二年三組、らしいです」
千雅高校。
いつだか、謳歌が自らの所属する学校だと言っていた気がする。もっとも、俺は制服姿の謳歌を見た事はないため、今の今までその事を思い出しすらしていなかった。
「千雅って事は謳歌とは知り合いなのかな」
白岡の進行を遮り、訊ねる。
「えっと、謳歌さんというのがさっきの人の事なら、多分知り合いでは無いと思います」
椿の答えは、聞き直す手間を省いた効率のいいものだった。世間知らずのお嬢様に見える外見よりは頭が回るのかもしれない、なんて感想を抱いてしまう。
「で、優奈ちゃん、だっけ。君のジョブはどんな感じなの?」
続いた言葉も、乱入の質問。
会長の口にしたそれは、この場における最重要案件の一つだった。
「じょぶ、ですか?」
「そう。魔王さまがわざわざここに仲間として連れてきたくらいなんだからさ、変わった力の一つや二つあるんでしょ?」
偶然、というわけではないのだろうが、この生徒会の面子のほとんどは由実と同じような超常の力を持っている。だからこそ生徒会は『ゲーム』の盤面に立っており、そしてそこで各人の持つ力の方向性を、俺達は便宜上ジョブと呼んでいた。
由実なら弓使い。白岡は僧侶。唯一何の力もない会長は、その立ち位置と名字から王様を自称し、そして俺は昔の遊びの時の名をそのままに、遊び人の名を使っている。
「変わった力、ですか? 私は勉強とか運動とか得意な方では無いですけど……」
だが、そんな超常の力が当然として通っているのは、この生徒会の中を除けば謳歌くらいのものだ。椿の反応は、むしろごく一般的なものだと言えた。
「いや、そうじゃなくてね。さっきの戦闘で使ってたみたいな力の事だよ」
「戦闘、ですか? ……すいません、わからないです。自分でも変な事を言ってると思うんですけど、実はさっき校門のところで目を覚ますまでの事を覚えていなくて」
一度倒れた後、再び目を覚ましてからの椿の様子から見るに、今の彼女は記憶が一部抜け落ちている、もしくはそのように振舞っている。そしてその欠落した記憶の中には、戦闘と、その中で振るった自らの力についてのものも含まれているのだろう。
「わかんないかー、じゃあ仕方ないかな」
興味をなくしたように再び口を噤む会長は、そう見せているだけでなく本当に興味を失っていた。その証拠に、いつものように手元で解けもしない知恵の輪を弄り始めている。
「…………」
なんとなく場に漂う停滞は、会長の言葉によって進行に生じた乱れによるもの。
結果として、会長の意には添わなくともそれなりに有益な情報を得られたが、ペースを乱されると弱い白岡は上手く場を進行させられずにいる。
だからと言って、由実にこの状況で口を開かせるのもあまり良いとは思えない。そうなると、消去法で名義上生徒会に所属していないはずの俺が進行を取り次ぐ事になってしまうわけで。
「あー、じゃあ――」
だが、俺が質問を口にしようとした瞬間、扉の開く音に声は掻き消された。
「仕方ないとは言え、人を騙すような真似はあまり楽しくはないな」
「そうですか? 私はけっこう騙されてる人達を見てるのとか好きですけどね」
扉を開けて入って来たのは、この場を離れていた残りの生徒会役員二人。三年の方の副会長、魔法剣士の二階堂銀と、生徒会唯一の一年、書記であり魔法使いの藍沢雛姫だった。
会話の内容からして、二人はいわゆる後ろ暗い行動の帰りに違いない。
おそらくは俺と由実、そして椿の戦闘に生徒が巻き込まれないように下校を遅らせるための何か。しばしば危険を孕むゲームの性質上、度々行われてきた事であり、その際に根回しをする副会長と、直接騙す藍沢の二人がセットで動くのもいつもの事だった。
「まぁ、副会長様も帰ってきた事だし、後は生徒会に任せるか」
こちらの副会長様は白岡と違い、俺の助けなどなくても完璧に会議を進行してくれるはずだ。だとすれば、俺がこの気に入らない男と顔を突き合わせている理由は無い。
「ああ、じゃあ、俺もトイレ行ってきていいかな?」
俺が席を立つと、なぜか会長までもが立ち上がり後をついてくる。十中八九会議に飽きただけであり、おそらくはそのまま戻らないのだろう。
誰も止めようとすらしない事も示すように、会長は基本的にいてもいなくても変わりは無いのだが、自ら音頭を取った会議を途中で投げ出すのははたして如何なものか。
だが、俺もそんな事を指摘するよりは一刻も早く外に出たい。視線を狭めたままで一直線に扉を開き、そのままの勢いで生徒会室から出る。
「いやー、やっぱり銀がいなくても会議はだっるいなー」
後を付いてきた会長が、扉が閉まり切るよりも早く盛大に愚痴を零す。まだだるいと言うほど話してはいないはずだが、あえて指摘する気にはならない。
「しっかし、宗耶も相変わらず銀が嫌いだねー」
同学年の副会長の事を、会長は下の名で呼ぶ。
どこまでも自由で無能な会長と、どこか威圧感のある完璧な副会長。二人が異性ならその仲を深める過程で一つドラマでも出来そうだが、残念な事に二人とも男だ。
そもそも会長は基本的に誰の事でも下の名前で呼ぶので、その呼称が親密度を測る基準になるかも微妙なところではあった。
「やっぱり、そう見えますかね」
特に隠してはいないが、俺は生徒会副会長、二階堂銀の事が嫌いだった。
普通に考えれば、俺が彼を嫌う理由はない。嫌うほどの接点が無い、と言い代えてもいいだろう。副会長の規律に厳しい性格は面倒ではあるが、生徒会に所属しているわけでもない俺にそれを強要したりはしない。下らない侮蔑の言葉を吐かれたわけでも、彼女を寝取られたなんて事情があるわけでもない。
ただ、一つ言うのであれば、あの男も同様に、大した理由もなく俺を嫌っている。
だからといってそれが俺のあの男に対する嫌悪の理由と言うわけではなく、言ってみれば、俺達は互いに一目惚れならぬ一目嫌いに陥ったようなものなのだろう。
「そりゃあ、ね。だって隠す気無いでしょ」
「まぁ、隠したってどうせあの人にはわかりますから」
頭脳、身体能力、洞察力、そして超常の力。ほぼ全てにおいて副会長は相当に優れている。その能力への嫉妬が嫌悪の理由ではないと信じたいものだが。
「良くわかってるじゃん。それで嫌い合ってるんだから面白いよねー」
「わかるからこそ嫌なものもありますよ」
「ほー、例えば?」
会長が意外にも喰い付いてくる。
興味が湧いたものに対しての会長はなかなかに有能だ。だからこそ、断片的にしか彼を知らない人間は、彼を優秀な人間だと思い込みやすい。
「例えば、女性の乳首には細菌がうじゃうじゃいるらしいです」
「……それは、たしかにあんまり聞きたく無かったなぁ」
ただ、その興味が滅多な事では刺激されない事と、仮に興味が湧いたとしてもそれが持続される時間が極端に短い事から、会長は有能である時間より『能動性』が『無い』という意味での『無能』である時間の方が遙かに長い。今回に関しては、俺の話題が悪い気もしないでもないが。
「まぁ、俺は別に宗耶が銀の乳首が嫌いだろうが正直どうでもいいんだけど」
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいな感じですか」
「とりあえず、殺し合いだけは止めてよ。俺は宗耶も銀も両方好きなんだから」
ふと、浮かべかけていた笑いが消える。
冗談めいたやり取りの最中、
一瞬だけ、会長は純粋な好意、そして憂慮を言葉に乗せていた気がして。
「……ははっ、それはありえないですよ。殺すとしたら一方的に殺しますから」
そして、それを受け止める勇気の無い俺は、とっさに冗談に逃げていた。
「あー、それ銀に言っちゃおっかなー」
「やめて下さいよ、あんまり洒落にならないですから」
次に見た会長の顔は、やはりいつもの会長のそれだった。
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