結び、全て生命は土より来たりて土へ還る

 鬼天の言葉を聞いて、勇王山は心底可笑しそうに、大笑した。


「そうか、そうか仁! おまえもか」


 おまえも、この取組みを純粋な勝負にしたいか。鬼天の意図を正確に推測しきって、勇王山は喜びと共に柏手を打ち鳴らし、死切りを始める。合わせて鬼天も同様に掌を正面で合わせる。一拍で土俵の上を浄化し、二拍でそこを死霊と共存可能な空間へと変質させた。そこは半ば根の国であり、これは命を賭して取組みを行うという宣言でもある。

 蹲踞の姿勢ふた呼吸分が二礼、そして二拍手。かくして土俵上は神のましたもう社に等しくなる。理器士は、その身の死霊回路に神のことわりを宿す者。両者、立ち上がり、半歩前に出ながら脚を肩幅に開き、両手を膝に置いて広げ、腰を落とす。ふたりはともに、死呼を行う姿勢をとった。

 今の勇王山に死呼は必要ないはずである。彼は自我を保った半霊半人として、自身の魂に同化した死霊たちを体内で飼っているからだ。予言のたびに死霊ビットを補充する必要のある普通の理器士とは異なる。

 だが高々と掲げられた右足はふたつ。筋肉の凹凸も鮮やかな勇王山のそれと、細身のスーツの黒いスラックスで覆われた鬼天のもの。この取組みにおいて、予言するものがその結果そのものならば、死霊回路をも勝負の計算に費やすことができる。すなわち、全身全霊全死霊を尽くし切って、この一番を為すのだ。必要なしといえど、勇王山の死呼は、鬼天の提案に応えようという行為であろう。ふたりの死呼が同じく土俵を足裏で踏んだ。

 そのとき起きた現象は、大したことではない。ただ土俵のすぐ脇にあった小川が、当然ながら神の領域を畏れて、急激にその流れを天へと向けただけのことだ。神域たる土俵の傍から逃れるべく、滝を逆さにしたように水流を逆立てている。さながら昇天する小さな竜のごとく。

 二度目の死呼は左足である。それらが下ろされると、小竜はふたりから遠い方向へと倒れ込むように、どう、とその流れを変えた。ほぼ直角に曲がるようにして小川は、元とは全く違う方向へと流れてゆく。


「勇王山。あんたや師匠オヤジが死霊を同化しようとしている間、俺は、死霊の制御をより高い精度で行おうとしてきた。土俵を顕現させることができるのは、その成果のひとつだ。そして、理器士でありながら土俵上でも元の姿のままで居られるのも」


 鬼天の言葉に、勇王山はひとつ鼻先で嘲笑を返す。


「それに何の意味がある。前に、我輩が押し込んだ土俵際から、急激に押し返してきたときに、おまえの相撲は見抜いている。それに、理器士として土俵に相応しい姿にならねば、我輩とともに計算を行うに値する死霊力は得られまい」


 そうだな、と聞き流してから鬼天は、視界の中の勇王山と同じように、もう一度右足を上げて、その足裏で土俵を打ち鳴らして死霊を呼んだ。血液が逆流してくるような感覚で、脚を死霊たちが駆け上ってくる。鬼天はそれを死霊回路で受け止め、勇王山はそれを魂で喰らう。威勢を増した勇王山の手足がさらに太くしなやかに膨らみ、計算力である筋力の増強が相撲力を高めてゆく。一方の鬼天は変わらず、静かなままであった。

 まだ足りない。鬼天の死霊回路は、元ではあれど夜虚綱の名に相応しい夜の虚ろのごとく、底が見えないほどの大容量である。それを完全稼動させるに足るだけの死霊ビットは、まだ根の国から呼び込めてはいない。通常の取組みならば、それでも問題は無かった。理器士の技の掛け合いとは、すなわち死霊ビットの奪い合いである。死霊は、より強い計算力の持ち主へと移動してゆく。繰り返すまでもないだろうが、より強い計算力とは、より強い相撲力であり、その源は死霊である。そして勝負のつく瞬間、敗者の死霊回路は、途中まで計算していた死霊ビットを、勝者のそれへと移されて処理を終える。勝者は計算された全ての死霊ビットを持って、その計算結果たる予言を伝えることとなるのだ。

 しかし勇王山はそうではない。かの半霊半人は、死霊回路を経ずして魂と死霊を一体にしてしまっている。そこからは死霊ビットを得ることはできないだろう。逆に、こちらの死霊を食われるばかりであり、そうなれば一方的に勇王山を強くして自身を弱くするのみとなってしまう。

 もう一度、死呼が必要だ。だがそれに、地球は耐えられるだろうか。さきほどから空は暗くなり、雷鳴が響き始めている。風は生暖かく、周囲では気絶した鳥たちが次々と地に落下していた。当然であろう。今ここで行われようとしているのは、神の計算であるがゆえに。

 左足を上げるのは、これで二度目だ。そして、これが最後の死呼となるだろう。この一番においてはもちろん、鬼天か勇王山、どちらかの一生においても。ふたりの足が高く掲げられ、再び土俵を踏む。同時に、この神域を囲むように四隅で火柱が噴き上がった。やはり、地球の限界が近い。出血するがごとくにマグマを迸らせ、地中深くから地鳴りが苦しみに呻くように聞こえてくる。呼応するように雷鳴が響き、雷光が天から地へと渡る。

 死呼を終えたふたりは、立って、もう半歩前進する。これが断ち相の間合いとなる。断ち相はひとりでの土俵入りの場合とは異なり、両者が向き合い、構え、ふたつの拳を土俵に下ろすこととなる。その動きの中で呼吸を合わせることで、死霊ビットは初期状態を同期させられる。合計で四つの拳が土俵に付いた瞬間に、断ち相は成立し、計算が開始されるのだ。

 再び両者は膝を開きながら腰を落とし、今度は上体を前傾させて両腕を下ろす。鬼天は静かに両の拳を土俵に置いた。向かいで勇王山は左の拳だけを着けている。今、かの半霊半人の右の拳が、ふたりの計算処理を起動させるスイッチとなった。

 断ち相からぶつかり合うとき、いくつかのパターンが予想される。頭同士でぶつかる場合もあれば、手を出して張り差しや突きにいく場合もある。低くぶつかり、相手の下から投げに行く場合もある。ぶつからずに、左右にずれて相手の向かってくる動きをやり過ごすこともあるし、相手が低く当たってくるなら、その頭や肩を自分の下へと押し込むように、はたき込むこともある。相手が強くぶつかってくるなら、こちらも強く当たるか、相手を避けることになる。こちらが強くぶつかっても、相手がはたき込むなら、それで土俵に落とされないように足を運ばなければならない。勇王山がどうするのか、それは弟弟子には分かりきっている。当然、それは兄弟子にとっても――。

 淡雪の地に舞い降りるがごとくに、勇王山の右の拳が土俵に触れた。次の瞬間では遅すぎる。同じ瞬間に両者は土俵を蹴って正面から、互いの頭と頭を打ちつけ合った。脊椎を押し潰す衝撃が尾てい骨にまで響き渡り、それを背筋が支えてメキメキと隆起する。雷鳴が轟いた。鬼天のワイシャツは散り散りに破れ果て、その背に常人の十倍もあろうかという太い筋肉の躍動を見せた。雷光を直視したように明滅する視界の中に、互いに相手の右膝が見える。どちらもしっかりと踏み込んで、土俵の中央を己の領土に制覇せんとする。

 そして、ようやく訪れた次の瞬間において、ふたりは胸の前に構えていた両腕を相手に突き入れた。鬼天が勇王山の脇に腕を捻じ込んで下手したて廻しを引こうとするのに対して、兄弟子の動きは単純であった。鬼天の肩と二の腕の境に突きが右、そして左と間を置かずに次々と打ち込まれる。勇王山がひと呼吸する間に、彼の突きは十六を超える攻撃を当ててくる。しかもその一発ごとが巨岩に押し潰されるほどに重い。鬼天の身体を抜けた衝撃波が、背後で噴き出し続けるマグマを突き破り、灼熱に溶けた岩の粒を撒き散らした。

 廻しを狙って前方やや下へ向けていた鬼天の腕だが、こうも突き続けられては、距離が開いて届きようもない。まずは勇王山の突きを捌かなければならず、鬼天は相手の腕を下から跳ね上げるように自らの腕を突きのリズムに合わせて弾き上げる。だが、勇王山の突きはさらにその上を通り、顔を狙って前からも横からも、柔軟に張ってくる。いつの間にか、鬼天の両腕にも筋肉が盛り上がり、ワイシャツを破裂させていた。勇王山の押しに踏み堪えるために、両脚もまた、柱のごとく太い腿と丸々と隆起した脹脛が、ビリビリと震えて衝撃を受け止めている。


「ふははははは、仁よ、お前の強さは、本物だったぞ。この我輩も、師匠オヤジも、お前を化け物かと、畏れるほどに、なあっ!」


 突きの合間に勇王山が心底から楽しそうに躍動する声を掛けてくる。やや押されながらも、鬼天は眉間に皺を寄せて泣き顔のような苦笑を作って見せた。師匠である王鬼親方にも兄弟子である勇王山にも、強さは一目置かれていたとは思っていたが、畏れていたとまでは思っていなかった。それほどまでに自分は、彼らから拒絶されていたのだろうか。

 勇王山の突きに対して、踏み込んだ右足は少し下げたものの、その場から押されていかない鬼天に、焦りや妬みなどない純粋な力比べを試みる技が連発されている。それはすなわち、鬼天の死霊回路の中の死霊ビットが続々と、死霊の重ね合わせ状態を、勇王山の勝利確率の増大へと移行させられていることに他ならない。今はまだ、なんとか捌いているため、鬼天の死霊ビットが奪われていくことはないが、このままでは間もなくそうなるだろう。

 繰り返される突き技に、前傾姿勢であった鬼天の上半身は、徐々に起こされていく。それはすなわち、鬼天の腰が浮き、重心が高くなってバランスを背後や左右へ傾けやすくなることでもあり、同時に鬼天の廻しを勇王山に近づけることでもある。このまま相手の腕を跳ね上げ続けようとも、鬼天が勝つ見込みはない。勇王山にチャンスを与えるよりも先に、打開策を実行せねばならないのだ。

 二百発も破城鎚のような打撃を受け止めただろうか。その一瞬、鬼天は勇王山の腕がわずかにぶれたのを見逃さなかった。いや、実のところ、張り手のせいで視界はほとんど意味を為していない。それはむしろ、死霊回路によって見抜いていたというべきだろう。僅かになっていた鬼天の勝利確率が、その実現過程を予言してみせた。

 紙の一枚分ほどだった。勇王山の腕が、それまでの軌道からほんの少しだけ外側へとずれた空間を通ったのは。だが、そこに元の細さに戻した鬼天の指先を突き入れるには、十分すぎる広がりだった。手刀にした右手が下から上へと貫き抜ける。その直後に理器士の筋肉を纏う手に変化させて場所を取ると同時、親指を広げて勇王山の喉元を下から押し上げる。喉輪のどわである。半霊半人に酸素が必要であろうとなかろうと、技を繰り出すのに呼吸なしとはいかない。それは王鬼部屋時代に共に稽古したときから、身体に染み付いている、理器士の証だ。同じタイミングで鬼天は左腕を下げて勇王山の廻しに手を伸ばす。だが顎ごと押し上げられて視界にないとはいえ、勇王山は読んでいたように過たず鬼天の左の二の腕を掴んで、廻しを与えなかった。そのときには右の二の腕にも勇王山の手が掛かり、喉輪を緩めるべく押し下げてくる。


「昔からそうだ、勇王山。あんたの相撲にはムラがあるんだ」


 鬼天の精確無比さの前では、誰のものでも、その技はムラだらけだろう。言葉に乗って髪が爆発的に伸びてまとまり、鬼天の頭の上に大畏弔の魔解を形成する。勇王山をのけ反らせて伸びる腕から脇にかけての筋肉の躍動は雄大に揺れる外洋の波のようだ。

 鬼天仁太郎という夜虚綱は、筋肉量と重量、すなわち技の速さと重さにおいて優れたバランスをもつことが、姿形からも知れる理器士であった。今はそこから、少し痩せたようにも見える。けれど、その力強さは衰えることなく健在だ。さほど出ていないが十分な重さを湛えた腹に、全身をしっかりと支えながらも素早い動きに重荷とならない程度に発達した脚、そして雄々しく盛り上がった肩と腕の筋肉と分厚い胸筋。それらを統合する大黒柱のごとく克明に存在を主張する背筋も、呼吸に合わせて波打っている。


「所詮、小手先よ」


 喉元を押さえられた皺枯れ声で、勇王山は切れ切れに応じた。そこから骨の軋むギリギリという音が響き始め、鬼天の喉輪が剥がされていく。勇王山の腕は、元の十倍ほどにも膨れ上がり、筋肉の一本だけでも常人の腕ほどにまでなっていた。鬼天が喉の奥から絞り出した声が土俵という聖域に散る。


「計算力こそ、相撲力。計算力とは、筋力であろう、なあ仁よ!」


 すなわち、筋力が勝敗を決めるのだと勇王山は言いたいのだろう。事実、鬼天の全身に満ちた全死霊が激しく計算を実行しつつあるが、鬼天の勝利に傾きつつあった勝敗の確率は、今や逆転され始めている。掴まれた鬼天の右腕も、血流が阻害されて指先から青紫に変色しだしていた。喉輪でのけ反らせるのは、もう限界だろう。

 判断、即、行動。さもなくば敗者となる。勇王山の喉から親指を外し、そのまま右手は勇王山が掴んできている腕へと滑らせる。合わせて右足を半歩右へ開く。左肩を相手との間に捻じ込むようにしながら、左腕に取り付いた勇王山の腕を振りほどき、自由になった左手で太く膨れた相手の手首を掴む。鬼天の姿勢は、二の腕を掴み合った右腕を左肩に担ぎ、そこに下から左腕を添えたものとなった。ぐっと沈めながら入れた後ろ腰を伸ばしながら、その動きに勇王山の腰を乗せて、掴み合った腕の一本で引き落とそうとする。一本背負いいっぽんぜおいは、勇王山が上体ののけ反りを戻そうとする動きに乗じて、一分の隙も無く決まった、はずだった。

 力を込めた呻り声が、同時に両者の喉から漏れ出た。背を向けた鬼天の右の廻しを勇王山が背後からしっかりと掴み取っている。それで勇王山は鬼天に投げられずに済んでいた。しかも、その廻しを勇王山は引き付けて、鬼天が再び身体を向き直る隙間を与えないように密着している。そのうえ鬼天の右腕は勇王山に掴まれたままで左肩の上にあり、その窮屈な空間で左腕にできることもほとんど無かった。背後に付かれてしまっては、鬼天といえど勝てるものではない。踏ん張ろうにも、腰を後ろから、腹を打ち付けるようにして押したくられては、足腰を残す余地も無く、向き直ることも密着されては不可能であり、投げるには手掛かりが少ないばかりか相手のバランスを崩すのも難しい。このまま土俵の外にまで押し出されるしかない。ここにきて死霊ビットは、その予言の途中結果をほとんど勇王山の勝利と弾き出していた。確率でセブンナイン99.9999999%。小数点以下の九が留まることなく増加してゆく。

 じりじりと土俵際まで鬼天を押しながら、勇王山は教え諭すように言った。


「仁。我輩の修行の日々は、お前に見せるための日々だったと言っていいだろう。我輩と師匠オヤジの相撲を、な。お前がそれを修得することを、我輩たちは望んでいた」


 そこで言葉を切った勇王山は、攻め手を一旦停める。


「なあ、仁。お前に我輩は無意味だったのか。師匠オヤジは無意味だったのか。このまま我輩が勝つのなら、お前が我輩たちの力相撲とは異なる、技の相撲へと進んだことは、無駄となろう。それでも王鬼部屋はお前にとって無意味だったのか?」

「武兄さん……」


 昔の呼び名が、鬼天の口から思わず漏れた。もう勇王山武雄は、半ばこの世の者ではないというのに。兄弟子は、こんな形で鬼天に勝つことを望んではいないのだろうか。取組みを始めたときの楽しげな突き手と、今の虚無感さえ感じる声には、大きな落差がある。


「すまなかった」


 鬼天は過ちを認め、背後の勇王山へと謝った。確かにこれでは、わざわざ勝負結果の予言付きの一番を取る意味が無い。価値も無い。鬼天の相撲は無駄などではないと示し、王鬼師匠や勇王山との稽古が無意味などではないと、今ここで示さねばならないのは、生者である鬼天仁太郎の方だ。


「俺の、責任だったな」


 桜風親方が言っていた。残された者が、弔ってやらねばならぬ。王鬼孝之も、勇王山武雄も、そして鬼天仁太郎の相撲道も。全てに鎮魂の神事を捧げるのは、今をおいて他にない。


「そうかっ! 仁! いいぞ! ぶつかって来い! 我輩が受けて立とう!」


 激情の奔流が勇王山の肉体を突き破って迸る。すでに感覚の無い鬼天の右腕を掴む手にさらに力が込もり、弟弟子の腕は絞られる布のように縊れた。だが、笑みがある。鬼天の顔には、凄惨な笑みがあった。


「全ての生命を産んだ地の底、全ての死霊が還る根の国、往還路を今、ここに開こう!」


 鬼天の怒号とともに、土俵の中央に封じられたはずの、黄泉出したちが再び、噴き上がるように現れ、土俵の円の内側を地中へと深く掘り下げてゆく。地下へゆくほど広い円となるその壁面には、地上と同じく小俵が敷き詰められている。複数の土俵を並列化し、マルチコアとして稼動させるのだ。地の底へと沈んでゆく勇王山と鬼天が見上げる俵の天井は逆さの坂のようである。そう、これこそが鬼天仁太郎の奥義、黄泉津平坂ドヒョー・マルチコアだ。

 全開になったダムから、溜まった水の溢れ出すがごとく、死霊の急流が怒涛の勢いで鬼天の死霊回路へと流れ込む。死霊力は計算力だ。計算力は相撲力だ。それは筋力の形でも現れる。だが勇王山の腕が十倍であるのに対し、鬼天の腕は二倍程度の太さに留まった。それは鬼天が、この膨大な量の死霊ビットを精密に制御しきっていることを意味する。縊り千切らんばかりに勇王山が握りこんでいた腕は、もはや鋼鉄であるかのごとく、一ミクロンさえも兄弟子の指を沈めることはない。

 勇王山の拘束を計算力で振りほどいて、鬼天は向き直る。三角フラスコの中にいるように空間化した土俵で、再び兄弟は相撲の構えをとる。勇王山の身体も、死霊奔流の中から次々と死霊を喰らって、四メートルはあろうかという巨体となった。鬼天の身体も同じくスーパー死霊コンピュータに相応しい体躯を見せる。その両脇には黄泉津平坂を作り上げた死霊たちが控えて蹲踞した。鬼天の露祓いと立母地である。


「ぬん!」


 気合いの声は同時、その末尾が消えるよりも早く、両者がぶつかり合う音が黄泉津平坂の中に反響する。そのとき地上では、土俵を囲む地面が溢れてきたマグマによって溶かされ、まるで太陽の表面のように赤黒い炎を吹き上げる灼熱の泥に覆われた。黄泉津平坂が三角フラスコならば、それを地球が加熱して中の死霊たちに化学変化を起こそうとしているようでもある。間違いなく土俵は生命の実験場であり、そこには生と死の創造が溢れている。黄泉津平坂とは、そういう場所だ。

 二度目のぶつかり合いは、両者ともに手を出して相手を掴みにいった。互いに右腕が相手の脇に入り、廻しを掴む。左手は、しっかりと上手うわて廻しを握る。右四つガップリとなり胸を合わせて、鬼天の左肩に勇王山の顎が乗った。ミチミチと廻しの繊維が耐荷重を超えて裂断されてゆく。だが決定的に切れてしまうことなど、ありえない。なぜならそれは理器士の証であるからだ。死霊をその身に湛える以上は、廻しから逃れることなどできるものではない。


「オオオオオッ!」


 先に声を上げたのは勇王山だった。その身体の節々から、黒い泥が噴き出している。だが力を抜くどころか、彼はさらに力を込めるための雄叫びを発するのだ。それは何度も、そして長々と響き渡った。呼応するように勇王山の身体から噴き出す黒い泥は勢いを増していく。

 死、とは。


「なぜ、こうも」


 鬼天は呟いた。なぜこうも、何の変哲も無く訪れるのだろうか。せめて輝かしく彩られた花道として、彼の者の黄泉路を舗装してやれないものなのだろうか。どうして剥き出しの土に俵で縁取られた坂道を、産まれ来た国へと還らねばならぬのか。根の国は、あまりに現世に近い。

 勇王山の頭からも黒い泥が噴出し、鬼天の頬にも降り注ぐ。死とは平凡だ。

 鬼天は左の上手うわてを放すと同時、腰から回転をかけて右下手したて投げを撃つ。


「ぐう!」


 なおも相撲を諦めることなく、勇王山は右下手したてを抜き、左上手うわて投げで対抗する。互いの投げを打ち合い、両者同時に、自分が落ちるであろう土俵を目にした。そこに向けて相手を落とすべく、踏みしめる脚、捻る腰、廻しを掴み上げる腕の全てを一瞬に注ぎ込む。

 勝負は、それで決着した。


「仁よ」


 身体の止まらない泥化によって、半ば地面と同化しながら、勇王山は、ふたつの脚の上にある弟弟子を見上げようともがいた。しかし、彼にはもう、腕も無い。


「我輩たちの、相撲は……確かに、お前の、相撲にも……根付いて、いた――」


 最後は満足げな吐息となって、勇王山武雄は根の国へと旅立って行った。弟弟子の作った黄泉津平坂を通って。

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