第十二話『二重詠唱』

「悪い、遅くなった!」


 実技試験場に駆け込むシドウ。既にユキナとアリシアは試験会場に到着していた。

 試験会場となるコロシアムの周りにある観覧席の一角で小さな包みを開け、昼食をとっていたところだ。

 シドウはユキナの隣りに腰を下ろすと急いで昼食に手を付ける。



 その姿をジッと半眼で見ていたユキナが眉を吊り上げて言った。


「遅いじゃない。どこで何をしていたのよ?」

「だから悪いって言っただろ? ちょっと野暮用があったんだよ」

「お陰で私達、まだ試験会場の下見も出来ていないんだけど?」

「だから急いでいるんだろ?」


 アリシアとユキナの二人には試験会場を一緒に下見する約束をしていた。

 別に個々人で見ても問題ないが、シドウの考えた作戦上、一緒に見た方がいいのだ。

 


 すでに試験会場には昼食を終えた受験生が集まり、素振りなどの自主訓練に精を出している。

 あまり人が密集すると動きづらくなる。シドウは腕を休めることなく食事を胃にかき込んでいく。


 

 アリシアは苦笑を浮かべながらハンカチをシドウに渡す。


「口元にソースがついてるよ」

「ん? 悪い」

「せっかく寮母さんが作ってくれたサンドイッチなんだからちゃんと味あわないと……」


 受験生が持参した食事は寮で用意されたものだ。

 ベルナール騎士学院の寮には食堂があり、生徒は安い代金で栄養価のある食事をとる事が出来る。頼めばキッチンの貸し出しもあるので、生徒が料理する事も出来るのだ。

 ちなみに今、シドウ達が食べているのは肉厚のカツが挟まれたカツサンド。

 召喚者の影響で科学面でも飛躍的な発展を遂げたアーチスでは高温の熱に耐える鍋や植物や動物から抽出される油を使った揚げ物など、これまでアーチスにはなかった食文化がもたらされている。


 その中でもカツは験担ぎとしてアーチスでも有名で、今日の試験の為に受験生はこぞってカツを買い占めていた。シドウ達もその一人だ。


「けどこの味、やっぱり懐かしいわね」


 既にサンドイッチを食べ終えたユキナがシドウの食事を眺めながらそんな事を言った。

 ユキナの元いた世界――日本では定番の料理でもアーチスでは珍しいのだ。いかに異世界からもたらされた食文化があるとはいえ、それがアーチス全土に浸透しているわけではない。


 ベルナールのような異世界技術を研究する都市や、帝都などの大都市では食べる事が出来ても、カザナリやカルーソなどにはほとんどなく、滅多に食べられる物じゃない。そもそも高温に耐えられる鍋も油も稀少だ。

 


「……ユキナはカツサンドを食べた事があるの?」

「え?」


 アリシアがシドウとユキナに水筒から水をコップに注ぎ、渡してくる。本当に気の利く女の子だ。シドウは有り難くコップを受け取りながら口の中のカツを胃に注ぎ込む。


 ユキナは一瞬、「しまった」という表情を浮かべ、曖昧な表情を浮かべ、シドウに助けを求める視線を向けた。


 アリシアには正体を隠す建前として、ユキナの過去を記憶喪失として曖昧にぼかしている。

 ユキナがアリシアに対し、嘘を付けばいい話なのだが、ユキナはアリシアと対等な関係でいたいのか、嘘を言うことに抵抗があるみたいだ。

 シドウというクッションを使って、曖昧にぼかす――それがユキナの精一杯の妥協点らしい。

 

 サンドイッチを食べ終えたシドウは一息つきながらジト目でユキナを睨んだ。可愛らしく舌を出しても許す気はない。


(この女……本当に現状を分かっているのか?)


 ユキナは召喚者。この世界では生きる事すら許されない存在だ。正体がバレればアウト。感づかれるだけでも危険だ。

 なのに、ユキナには危機意識が足りない。しかもアリシアに対してはその意識が紙切れ同然だった。いつ正体がバレるか気が気でない。


 今度、キツいお灸を据えてやろうと心に決めながらシドウは口を開く。


「たぶん、体が覚えているんだろう」

「それってユキナがこういった物を食べられる立場にいたって事だよね? それ、凄い情報だよ!?」

「え? そうなの?」

「うん! だって、異世界の食べ物なんて食べるのは王族とか貴族――階級の高い人達だけだからね。簡単な料理なら一般の人でも食べられるけど、これほど凝った料理ならまず間違いないよ!」


 アリシアは心底嬉しそうにユキナに詰め寄る。ユキナは若干引き気味だ。


「そ、そうなの……?」

「うん! もしかしたらユキナの記憶……ううん、ご家族が見つかるのはもっと早いかもしれないね! よかったね、ユキナ!」

「う、うん……ありがとう、アリア」


 元の世界に戻る術が見つかっていない今、アリシアの言葉はユキナの心に突き刺さる。影のある笑みを浮かべ、必死に笑顔を浮かべるユキナを見ながら、シドウは歪な二人の関係を見守るのだった。



 ◆



「さて」


 食事を終え、実技試験も後十分ほどで始まる。シドウ達はコロシアムの中央に集まっていた。

 時間もない。さっさと準備を始めるか。


「ユキナ、頼む」

「はいはい。《無音なる世界よ》【サウンド・ウォール】」


 E級魔術【サウンド・ウオール】――術者を起点に半径数メートルに結界を貼り、音を遮断出来る魔術だ。姿が消えるわけじゃないから、読唇が使える人間には会話の内容はバレるし、結界も音を遮断するだけで、術者以外の侵入を拒む魔術じゃない。結界内に入れば会話を聞き取る事も出来る。あまり使い道のない魔術だ。


 シドウは結界の構築が完了すると、マナを魔力回路を通して魔力に変換する。

 魔力を魔術へと変換する為に詠唱を開始した。


「《荒れ狂う風の嵐よ――」


 シドウが詠唱を開始した横で、特にやる事がなかったアリシアがユキナに話しかける。


「それにしてもユキナって凄いね」

「そ、そう?」

「うん! カルーソでも思ったけど、魔術をここまで短縮出来るなんて凄いよ!」

「それはアリアも一緒でしょ? アリアの治癒魔術の詠唱だって短いじゃない」

「う、うん。だけど、私はそれだけしかないから……ユキナは前は風――そして今日は無属性の短縮詠唱をしたじゃない。それって凄い事だよ」

「あ~そうみたいね」


 ユキナはその辺りの感覚が鈍いのか曖昧な受け答えをしていた。

 魔術には相性があり、それによって、魔術系統に隔たりが出来るのだ。

 例えば、テイルなら、火属性との魔術と相性がいいので、火属性の魔術なら少し訓練するだけで詠唱を短くカットする事が出来る。いわゆる短縮詠唱というヤツだ。

 詠唱を切り詰める技術は高等技術に分類され、護身用の魔術にカテゴリーされるF級、E級であろうと中々出来るものじゃない。


 けれど、ユキナはC級魔術までなら全属性の魔術を短縮詠唱で発動出来る。

 これは、異常だ。普通の人間ならまず出来ない。魔術のエキスパートであるエルフだって全属性の詠唱を短縮する事は出来ないだろう。これはユキナが召喚者だからこそ出来るのだ。恐らく、ユキナはこの世界に召喚された時、全属性の適正を身に付けたのだろう。

 まったくもってのチートぶりだ。

 その事実を隠す為に、ユキナはF級、E級の魔術だけを短縮詠唱し、D級以上は完全詠唱するようにしている。F級、E級までなら訓練次第で全属性を短縮詠唱出来るからだ。


 

「一年間の努力の賜物かしら?」

「へ、へぇ~」


 アリシアが引き攣った表情を浮かべ、シドウを見やった。まるで鬼畜をみるような視線にシドウは冷や汗を浮かべる。

 確かにたった一年で短縮詠唱を身に付けさせるなら、地獄より過酷な特訓が本来必要だろう。それこそ、人格や性格が崩壊するほどの血反吐をみるような訓練が――


 だが、ユキナはそんな過酷な訓練をしてない。サンドバッグにはなっていたが、人格までは崩壊してない。まだ、良心的だ。そう信じたい。


 それに反論したくても、今は大切な魔術詠唱の途中だ。失敗するわけにはいかないので、詠唱を止める事が出来ない。


 シドウはアリシアからの冷たい視線を受け、針のむしろに座りながらなんとか詠唱を完成させる。


「【マーキング・ポイント】」


 シドウの唱えた魔術名を聞いたアリシアがキョトンとした表情を浮かべた。


「え? 【マーキング・ポイント】?」


 散々長い詠唱を唱えた後、シドウが発動した魔術はもっとも簡単なF級魔術に分類される【マーキング・ポイント】だ。

 アリシアが不思議がるのも無理はない。


「【マーキング・ポイント】って確か《別つ枝木、選び進んだ軌跡、ここに刻む》って詠唱だったような……?」

「そうよ」

「で、でも、詠唱がまったく違うよね?」

「そりゃあそうだろ」


 詠唱を終えたシドウは僅かばかり汗を滲ませていた。

 F級魔術ではまずそこまでの疲労は出ない。シドウがここまで体力を消費したのには理由がある。


「俺は今、二つの魔術を同時に使ったからな」

「え? 二つの魔術?」

「つまり、二重詠唱よ」

「うそ……それって」

「そうだ。詠唱の短縮より高度な技術だ」


 魔術の多重詠唱。一つの詠唱で複数の魔術を同時に発動する事が出来る詠唱方法。魔術理論を深く学び、さらに詠唱技術を高めれば技術的に不可能じゃない。

 魔術理論とは魔術を使う際に使う数式などの公式だ。魔術は一見すると不可思議な力だが、その力には文法や魔術数式などの公式が存在するのだ。それが魔力を分解、魔術として再構築。さらには詠唱した魔術を世界に認識させる概念を生みだしている。

 魔術の中には同じ魔術公式を使用している魔術が複数存在する。理論上では同じ公式を使えばその複数の魔術を同時に使うことは出来るのだ。

 だが、話はそれ程簡単なものではなく、魔術は詠唱をしなければ発動出来ない。そして詠唱には複数の公式が散りばめられている。

 魔術詠唱に散りばめられた公式を全て理解し、さらに類似する公式を利用しない限り、魔術の同時発動は不可能だ。

 シドウは魔術理論と詠唱技術を徹底的に鍛え上げ、F級とE級ならなんとか二重詠唱が出来る。

 だが、当然短縮詠唱など出来るわけがなく、二つの魔術を組み合わせたせいで従来の詠唱よりも余計に長くなり、魔術の発動に時間がかかってしまう。しかも非殺傷系のF、E級の魔術を同時に発動したところで大した威力にもならない。実践には極めて不向きと言える。

 魔力も大量に消費するので連発も出来ない。まったく不便な魔術だ。

 だが、メリットもある。


「多重詠唱の強みは、魔術の複合だ」

「魔術の複合?」

「ああ。多重詠唱と言えば、誰もが二つの魔術を同時に発動するものと思っているだろ?」

「うん。だってその為の多重詠唱でしょ?」

「確かにその強みもある。たった一つの詠唱で複数の魔術を同時に発動出来るのは一つの強みだ。D級以上の魔術なら凄い威力になるだろう。だが、あいにく、俺にはそれだけの技術がない。俺はまだF級とE級しか二重詠唱出来ないからな」


 これはシドウの『分解』の特性が影響している。魔術を複合する為にどうしても魔力を魔術として再構築するのに時間がかかってしまう。ただでさえ普通の詠唱でも魔術の再構築に影響を与える『分解』を持つシドウではF級とE級しか魔術を組み合わせる事が出来なかった。それ以上の魔術では魔術として再構築する前に生みだした魔力が全て分解され、魔力が霧散してしまう。無駄に魔力を浪費してしまうだけだ。


「え? そっれてあまり意味がないよね?」

「まあ、そうだな」


 殺傷力を持つD級以上を同時に発動出来るなら、威力は段違いだ。多少詠唱が長くなっても、その負担を支えてくれる仲間が入れば使わない手はない。

 だが、護身用のF級、E級を同時に発動したところでさほど意味がない。F級とE級を複数放っても、D級魔術の一発で全て相殺されてしまう。それ程までにD級とE級の差は大きい。

 シドウだって実践で使う気はさらさらない。そもそも向いていない。

 だが、このバトルロイヤルでは強い味方になってくれるはずだ。


「言っただろ? 二重詠唱の強みは魔術の複合だって。気付かなかったか? 俺が【マーキング・ポイント】しか使っていない事を?」

「あ……そういえばそうだね」

「俺はあの詠唱に【マーキング・ポイント】と【エア・ショット】を組み合わせていた。だが、実際に唱えたのは【マーキング・ポイント】だけ。なら【エア・ショット】はどこに消えたと思う?」

「え? えーっと……」


 アリシアは難しい顔を浮かべ、首を傾げる。

 流石に一発で分かる問題じゃないか。

 シドウは苦笑しながら答えを言おうとしたが、それよりも先にユキナが答えた。


「それが魔術の複合よ」

「ユキナ……?」

「シドウが言う多重詠唱の強みは先に唱えた魔術に他の魔術の特性を付与出来るっていう強みの事なのよ」

「ゴメン……よくわからない」

「つまり、今のシドウの【ポイント】には【エア・ショット】の衝撃も備わっているの。ポイントに体が触れれば【エア・ショット】の衝撃が伝わるわけ」

「そんな事が出来るの?」

「ええ。それがこの詠唱の強みなの。確かに二つの魔術名を言えば二つの魔術を同時に発動出来るわ。けど、一つの魔術名だけだと他の魔術の効力が全て一つの魔術に組み合わさるのよ。例えば、もしシドウが【マーキング・ポイント】じゃなく【エア・ショット】を先に唱えていれば【エア・ショット】に【マーキング・ポイント】の能力が付与されるってわけ」

「…………ゴメン。さっぱりわからないよ」


 ユキナは苦笑しながらもっとわかりやすい例を出す。


「例えば、炎と雷の魔術があるでしょ? 二重詠唱で炎と雷を同時に出す事が出来るわ。その魔術は別々に発射される。ここまでは大丈夫?」

「うん。なんとか……」

「それで、魔術の融合っていうのが、炎の魔術だけ発動すると、その炎には雷が纏わり付くの。要するに炎と雷の合体ね。炎の力もあるし、雷の力も持ったまったく新しい魔術になる――それが魔術の複合なの」

「うーん。なんとなくわかるような……?」


 つまり、魔術のハイブリット化だ。

 これは一年前、ユキナと一緒に受けたドラゴンの迷子捜しでも使った方法。

 あの時、シドウは【アクア・ショット】と【マーキング・ポイント】の二重詠唱を行っていた。シドウは【アクア・ショット】に魔力探知可能な【マーキング・ポイント】を複合させることで、本来、目の前にしか展開出来ない【マーキング・ポイント】を【アクア・ショット】に乗せ、シンクに【ポイント】を付ける事に成功していた。

 今回は手元に魔力の痕跡を残す【マーキング・ポイント】に【エア・ショット】の衝撃力を複合していた。

 これにより本来発射されるはずの【エア・ショット】は【マーキング・ポイント】の能力で固定され続け、【ポイント】が消えるまで消滅する事はない。

 要するに不可視の爆弾だ。無色なので触れるまで気付く事も出来ない。触れても【ポイント】の能力で存在し続ける。この実技試験が終わるまでは消える事はないだろう。


「まあ、細かい事はまた今度教えてやるよ。今日はとりあえず俺が【ポイント】した場所を忘れるな。俺は【ポイント】の魔力探知で設置した場所はわかるけど、お前らにはそれが出来ないだろ?」

「う、うん……でも覚えられるかな?」


 設置出来るとしても後、時間的にも三つが限界だ。【ポイント】を隠蔽するのにも魔術を使う必要があるから、残り時間を有効に使わないといけない。


「まあ、ユキナと一緒なら大丈夫だろう。ユキナ、悪いが【ポイント】の隠蔽を頼む」

「はいはい……」


 ユキナは【ポイント】周辺に手をかざし、魔術を発動。人払いの魔術を【ポイント】周辺に展開。これなら試験が始まるまで人が近づく事はないだろう。


「さて、次の爆弾を設置しにいくか!」



 ◆



 シドウは意気揚々と次ぎの設置場所に歩き出す。

 アリシアは【サウンド・ウォール】を解除するユキナにこっそりと耳打ちした。


「ねえ、ユキナ?」

「ん? なに、アリア?」

「ユキナも出来るの? あの……」

「二重詠唱?」

「うん……」

「出来ないわ」

「え……?」


 ユキナは全属性の魔術を使うことが出来る。

 だが、多重詠唱は出来ない。

 その理由はひどく簡単だ。


「私はシドウから魔力操作、魔術詠唱、魔術名しか教わっていないのよ」

「それって……公式とかは全然わからないの?」

「恥ずかしい話だけどね。私はシドウに魔術を発動する為の答えしか教わっていないの。だから、公式とか全部飛ばして、最初に答えを出すことしか出来ないわ。答えだけを丸覚えした詰め込み式の典型ね」

「どっちにしても凄い事だよ……」




 魔術の発動には魔術理論を覚える必要がある。その理解の深さと魔術適正により使える魔術の種類は増えていく。

 それを全部すっ飛ばしてC級の魔術を使えるユキナの異常性をこの時、ユキナはまだ正しく認識していなかった――。

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