第3話:彼女
いつもの日常。退屈な日常が、今日も訪れるとそう思って居た。日常が退屈だと感じるのは、僕が何も感じないからだ。いや、感じとれない。日々移り行く小さな変化など、僕にとっては、些細な事であり、どうでもいい事。そう、僕自身になんら影響を与える事のない小さな変化を感じとる事ができない。今日と言う日がいつもと少し違って居たのは、工藤麻美がヘラヘラと笑みを浮かべて僕の前に存在している事だ。
昼休みの教室。丁度、昼食を食べ終わった時、工藤麻美は、僕の前にやって来て、こう口を開いた。
「大槻君、ちょっとお願いがあるんだけど。ねぇ、屋上まで来てくれないかな?」
ヘラヘラと笑みを浮かべながら工藤麻美は、とても楽しそうに言ってのけたのだ。何かを企んでいるのは、明白だった。しかし、僕には、工藤麻美の誘いを断る理由が無かった。何かを企んでいるにしろ、おそらくきっとたいした事ではない。僕と言う人間の心が傷つく事は、あり得ない。どんな事が僕の前で起こっても僕は、動じない。
そう、僕は……。
「ねぇ? 聞いてる?」
「えっ? ああ、屋上へ行けばいいの?」
「そそ、とても大事な相談があるのです」
工藤麻美が少しおどけた調子で言ってのけた。
校舎の屋上で、僕は、工藤を待って居た。工藤麻美が僕に「相談があるから屋上に来てほしい」と、頼まれたからだ。てっきり、僕は、工藤も一緒に屋上に来るのだと思っていた。しかし、工藤は、準備があるからと言って、先に屋上で待っているようにと言った。工藤は、相談があると言ってたのに何の準備があると言うのだろうか。相談ですむ話なら、準備など必要がないはずだ。何かを企んでいると最初に感じていたが、僕の予想の遥かに超える事になりそうである。屋上の扉付近で、五分ぐらい待っていると、ようやく工藤麻美がやってきた。それも工藤だけではなく、もう一人……工藤の後ろに隠れるように見知らぬ女生徒がやって来た。
「えっと、まずは、紹介だよね。この子は、萩原美咲ちゃん」
工藤は、見知らぬ女生徒を僕の前に突き出すように彼女の背を軽く押した。
「美咲の方は、大槻君の事よく知ってるから、別に良いよね?」
工藤のその言葉に萩原美咲は、コクリと頷いた。
「あの、これは……いったい」
僕が少し戸惑いがちに言うと工藤は、二コリと笑みを浮かべた。
「フフッ、相変わらず鈍感だね。大槻君? ここまで来れば、大体想像できると思ってたんだけど」
「あのさ」
「まあ、単刀直入に言うとね。この子、大槻君の事……好きなんだって」
工藤は、とても信じられない事をサラリと言ってのけた。僕の目前で顔を赤らめて恥ずかしそうに佇む萩原美咲。
この子が……僕の事が好きだって?
もしかして、僕は、この二人にからかわれているのではないか。僕自身、それはとても信じられない事だった。感情が理解でない人形の僕が……人を愛する事もできない僕が見知らぬ女生徒に好きだと告白される。これは、なんというひにくなのだろうか。
「意味が解らない。会った事もない。学友として、友達として、交流した事のない人間がどうして……」
「まあまあ。それは、これからしていけばいいじゃない? まずは、友達として、それで何も問題なければ、つきあえばいいじゃない?」
「それは……そうかもしれないけど」
僕の声は、頼りない。僕は、不安だったのかしれない。人形の僕が……ただでさえ学園生活が僕にとって綱渡りのような感覚なのに、そのうえ……。
「なら、決まり! まあ、そういう事でよろしくね」
工藤は、そう強引に言って、萩原美咲の右手と僕の右手を持ち握手させた。
放課後の事だ。教室で帰る為に鞄に教科書を詰めていると同級生の桂木祐二が僕に声を掛けてきた。
「なあ、大槻? 急いだ方が良いんじゃないか?」
「どうして?」
僕は、顔を桂木の方へ向けずに声だけを返した。桂木は、苦笑すると、僕の右肩を叩きながら、教室の入り口付近を指す。
僕は、桂木の指につられるように顔を入り口に向けた。
……」
教室の入り口には、一人の女生徒が立っていた。僕が知っている人物。いや、今日初めて、その存在を認識した萩原美咲がそこに存在していたのである。萩原美咲は、僕と目が合うと、その場で軽く会釈をするのだった。
僕の通う学校は、広い高台の上に建っている。ゆえに学校の校門を出れば、すぐに坂道があって、その傾斜は、とても酷いものだ。校舎の建物だけは、立派に見える為、何も知らない郊外の人がホテルと間違えて、自動車で坂道を駆け上がって来る人も居るらしい。健全な学び舎と……学校の教師達は、言う。しかし、その学び舎をホテルと間違えて、自動車で入り込む人が居ると言う皮肉は、教師達を嘲笑っているようでもある。学校の校門を出た所で、僕は、萩原美咲に質問を投げかけた。屋上で彼女と出会った時から、僕の中で渦巻いていた疑問を解明しておきたかった。
「あのさ、どうして、僕の事……好きって? 未だに信じられないし、それが本当なのか疑問に思っている。できれば、理由……教えてほしい」
萩原美咲は、僕のその問いかけにニコリと微笑んだ。校門を萩原美咲と二人で出て坂道を下りながら、おそらく初めての彼女の声に耳を傾けた。
「こんな事、言うと、大槻君……怒るかもしれないけど……。勘、女の勘。初めは、大槻君を見た時、私には、この人しか居ない。この人が私の恋人になるんだって思った。
それから、よく大槻君の事観察するようになったの。そうしたら、やっぱり、好きになっていた」
「君は、常識や理論よりも……自身の感情や勘を信じる方?」
「うん。たぶん、そうかもしれない」
萩原美咲は、そう答えて、再び僕にニコリと微笑みかけた。この時の僕は、まだ萩原美咲の危うさや異常さを気づけずにいた。僕の無機質な質問に何の戸惑いも見せずに答える萩原美咲の危うさを。
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