第35話

 


  その夜はまんじりともせず……とでも言うべき所なんだろうが、真実さんから貰った告白の言葉と手作りチョコレートのおかげで、甘いヴェールに包まれたようにぐっすりとよく眠る事が出来た。


  何しろ、朝になったら宅配便の伝票に記載されてある真実さんの住所まで行くんだ。


  都合良く会えるとは考えにくいが、もし会えたとして、如何におれが美男子でイケメンであろうとも寝不足の情けない顔を真実さんに晒す訳にはいかないのだ。


  それにしてもおれは、そんなに「何を考えているのか分からない」顔してるかな。

  確かに無表情でいる事が多いかもしれないが。

 

  真実さんは不思議な子だから、目鼻立ちや表情がどうとかではなくもっと深い所でおれの『内面から滲み出る物』を観察しているのかもしれない。


  1番気に入っている、おれの魅力? を引き立たせてくれる服を来て準備万端、玄関で靴を履いていると、バカ妹がワンコのタロくんを連れて騒がしく走って来た。


  廊下は走るな。


  「お兄ちゃん、朝からどっか行くの!?」


  「ああ。今日しばらくは帰って来ないかもしれないから父さんと母さんによろしくな」


  妹は、ふーん、と呟いてから、如何にも義理といった風なラッピングの安そうな箱を差し出し、


  「はい、チョコ。昨日渡すの忘れてたから」


  「いくら義理と言っても日にちくらいは覚えておけよ」


  おれは妹から受け取った義理チョコをバッグの中に突っ込み、冬の風吹くドアの外へと踏み出した。


  真実さんの住んでいる場所から最寄りの駅への電車の乗り継ぎは昨日調べた。

  徒歩を含めて1時間くらいかかる。


  しかし、電車に揺られている内に、おれはにわかにドキドキしてきた。


  いきなり行って迷惑にならないだろうか。

  昨日の今日で訪問したおれの行動力をどう感じるだろうか。

  ストーカー扱いされたら?


  昨夜の間、頭の中が完全に「ハッピーセット」だったおれは、その反動のように不安感に支配されてしまった。


  大丈夫、「本当に彼氏だったらどんなにいいでしょう」みたいな事を書いてきてくれた真実さんだ。


  彼女の場合、いや、普通の女の子の場合でも「今はお洒落してないから!」とか言うような理由で逃げ出してしまうかもしれないが、おれは真実さんの普段着も見たい。ノーメイクも見たい。


  どんな真実さんでも、見たい。


  そうやって自分を期待させ鼓舞させながら乗り継ぎ駅のホームで電車を待っていると、スマホの着信音が鳴った。


  マナーモードにするのを忘れていたみたいだ。

  画面を見ると、『渡ツネオ』とあった。


  勿論おれはスマホの電源を切ろうとしたのだが、何か引っかかる物があって通話ボタンを押してやる事にした。


  渡は開口一番に言う。


  「よう、亜流タイル、書籍化成功してるみたいじゃねーかよ!」


  「ああ、どうもな。そっちこそアニメの評判が順調なようで」


  本当は渡原作のアニメ『青い幽霊美少女がおれに取り憑いた!』(やっと正式名称を覚えた)の評判が順調なのかどうか等まったく知らないのだが、一応褒め言葉で返してやる。


  渡は言う。


  「それでな、お前の本が売れてる祝いをしてやりたいんだが、その……」


  「また飲み会か」


  コイツの栄美への執着心も大したもんだ。


  「そそそ、そうなんだ。お前の本の事でも良いし、おれ氏のアニメが最終話を迎えたらその打ち上げでも良いし」


  打ち上げねえ。

  コイツとは何だかんだでよく飲みに行ってるよな。お茶も入れたら4回も飲んでる。


  適当に相槌を打っていると、既に乗るはずの電車が来てしまい、おれの目の前でドアが閉まって、発車してしまった。


  「……ところで亜流、昨日のツイッターの内容はありゃ何だ」


  「えっ」


  電車の事を心配しつつ、おれはドキッとした。


  いくら真実さんにメッセージを伝える為とは言え、バレンタインデーに「贈り物を頂いた」というツイートは分かりやす過ぎだと気にしてはいたのだ。


  「『え』じゃないだろ。掲示板のお前のトピック、ファンの女の子が荒れに荒れてるぞ。

  他の読者さんも『自慢かよ(ニヤニヤ♪)』とか言ってるし」


  「……今、出先なんだよ。急用じゃないんだったらまた後でな」


  おれは通話ボタンを切り、次の電車を待つ事にした。

  あと10分か。

  急いでいないとは言え、とんだ時間のロスであった。


  まあおかげさんで、人と話している内に緊張と不安は若干和らいだ。掲示板の事は気になるけど。






  しかしそうこうしている内に、真実さんの住むマンションの最寄り駅に着いてしまった。

 

  宅配便の伝票に従ってスマホの地図を広げながら、商店街と並木道が融合した閑静な駅前を通り抜けると、これまた閑静な住宅街が広がっていた。


  この中の1軒に、真実さんが住んでいる。


  そう思うと、おれは心臓がバクバクいってきた。

  このまま帰ろうかとも思った。


  だけど真実さんは、今のおれと同じくらいに思い悩んで手紙をしたためてくれたに違いない。

  男で、年上であるおれが緊張している場合ではない。

 

  おれは宅配便の伝票を握りしめ、真実さんの住所へと歩を進める。

  そして、着いてしまった。



  ベージュ色の外観で、まだ出来たばかりと思われる新しいマンション。

  4階建てと小作りだがエントランスは広く綺麗で、オートロックである。


  そこの、201号室に真実さんは、住んでいる。


  オートロックのボタンを押そうか、迷った。


  何て言えばいい?


  「亜流タイルです。来ちゃいました!」


  間抜け過ぎる。


  「亜流タイルです。昨日頂いたチョコレートのお礼に伺いました」


  どちらにせよ怪しい。

 

  と、ここでおれは重大な物を忘れていた事に気が付いた。


  手土産、持ってきてない。


  なんてこった、花束の1つも持って来ないで何が告白だ。

  今からでも商店街に引き返して花屋を探すか、と思いあぐねていると。



  エントランスから、白いヒラヒラのワンピースに紺色の上着を着た、若い女の子が出てきた。

  そのコーディネートはどこか女性看護士さんを連想させる色合いだが、洒落たデザインの服だと思う。


  その彼女の、ふっくらとした透明感のある頬っぺたがおれの姿を見た驚きで固まり、大きな瞳がおれの顔を凝視している。


  おれは、彼女のその姿を見て、茶髪ながら日本風のお姫様みたいな雰囲気だな、と思った。強いて言うなら、かぐや姫。

  それが第一印象だった。


  ヒラヒラのスカート。

  ゆるふわにカールした、長く黒に近い控え目な薄さの茶髪。

  背は高過ぎず低過ぎずの丁度良い細い身体。

  あの、夏の日に居酒屋で見た真実さんの後ろ姿とシルエットが一致している。



  間違いない。真実さんだ。



  電車を1本、乗り過ごしたせいで、丁度外出する予定だった真実さんにすぐに会えたのだ。


  これももう、渡ツネオに感謝だ。

  あっちは全然そんな気無かっただろうが。

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