うごめく悪意

42話:資格審査

 絶好の天気日和――というには、いささか語弊が生じるのが、ここ狭間の世界である。

 人の手が介入した天候は、もはや天気という概念はない。そこに青空が広がる。その事実だけが唯一の真実として、そこに存在する。

 恵みの雨も計画的に組まれ、人々はそれに合わせて生活する。もちろん一部例外もあるにはあるが、全ては国際魔導機関の元、アンダーコントロールされている。


 気温は二十℃と比較的過ごしやすく、真っ白な雲が日差しを遮れば、その眩しさすら忘れてしまう。夏の汗ばむ不快感も、冬の乾燥肌の手入れもここでは一切心配することはない。

 そんなわずらわしさから解放され、贅沢の粋を満喫する男女が束の間の平和を謳歌していた。


 水面に映った影が大きくなり、わずかな水しぶきを上げてキサが飛び込んだ。

 飛び込み台を個人で所有するキサは、十メートルもの高さからのダイブを日課としていた。

 プールサイドに座り、足だけを中に漬からせていたショウは、その綺麗な入水角度に感嘆する。さすがにA級大魔導士ともなると、基本はしっかりできている。

 キサが水中から顔を出すと、首を左右に振って水滴を飛ばす。

 水を掻き分けながらショウの元へと泳いできたところで、反転して壁に寄りかかった。


「うまいな」

「ありがと。ま、基本だし、これくらいわね」


 鮮やかな空をイメージしたサーフパンツを履いたショウの隣で、キサは見上げるようにして視線を送る。


「だいぶ苦戦してるみたいね」

「あー、やっぱり顔に出てる?」


 簡単に見抜いてくるキサに、ショウは困ったように乾いた笑いで返す。


「あんたって要領いいのか悪いのか微妙なところがあるわよね—―っと」


 体の向きを変え手をつくと、勢いを利用してプールから上がる。すると、それまで水中に隠されていた花柄模様の桃色水着が姿を現す。腰のくびれを魅せつける上下に分かれたタイプで、年相応の小ぶりな双丘が顔を覗かせる。

 世間はまだ春休み真っただ中なこともあり、月曜日の昼間からこうしてキサの家で身体を動かしていた。


「昨日は一日家に籠って解読してたんだけど、全然わかんないんだよな」


 お手上げとばかりに、ショウは足はそのままにプールサイドに大の字になって寝転がる。


「全く進んでないの?」


「んー、頻繁に出てくる文字はあらかた抽出できたから、そこを重点的に法則性がないか思案中。おかげで、いくつかは速記できるくらいには覚えたよ」


「それで、気分転換がてら私に連絡してきたと。あんたから誘ってくるなんて珍しいと思ったわよ」


 片膝を抱きかかえるようにして立て、濡れた髪を添わせる。ショウを見下ろすキサの表情は悪戯っぽく、それでいて少し機嫌が良さそうだった。


「キサは随分長いこと基礎トレしてるみたいだけど、いつもこんなにやってんの?」


 後ろ手に地面を押し、上半身を起こすと、ショウはキサと目線の高さを合わせる。

 飛び込み一辺倒ではないものの、水中での訓練はかれこれ一時間は優に超えていた。あくまで魔法使いにとっての基礎であり、ここまで長時間続ける人も珍しい。


「まさか、いつもはもっと短いわよ。あんだけハッキリと基礎能力の差を見せつけられたら意識するなって方が無理よ」


「理事長か。確かにあれは尋常じゃなかったもんな」


 強化三種だけであの実力だ。当然、あれが理事長の実力の全てだと勘違いする二人ではない。本来のスタイルは、強化三種攻撃二種スリーェンツー、あるいは強化三種攻撃三種スリーェンスリーと考えるのが自然だろう。

 決して基礎を疎かにしていたわけではないが、遥かな高みを知ってしまえば、初心に立ち返るのも無理からぬことだ。


「でもさ、三次元訓練なら模擬戦モードでもいけるんじゃないか?」


 そこで、ショウは素朴な疑問をぶつけた。

 水中訓練は三次元移動の修練として重宝されている。特に初心者が三次元的な動きの感覚を養うための入口として活用され、現在カナもこの水中訓練の真っただ中だ。更に、近接戦闘が基本戦術であることもあり、肺活量を鍛え、水の抵抗を利用した動きの最適化という意味合いでも、これ以上ない優れたものなのだ。

 ただし、それは一般的な話であり、キサほど卓越した人間なら、実際に魔法を行使した方が怪我の面からしても利するというものだ。


「ちょっとスタイルを変更しようと思ってるのよ。その感覚訓練。あと、水中訓練ならカナちゃんも一緒に来るかなって思ったんだけど、何か用事だったの?」


「なんか魔法使いの友達が出来たんだって。その子もゲーマーらしくて、昨日から二人で遊んでるっぽい。今日はその子を家に誘ってたから、ごめんってさ」


「そっか、それなら仕方ないわね。んー、春休みももうちょっとで終わるから、遊べる期間なさそうかな」


 組んだ両手を天に突き上げ身体を伸ばすと、食い込んだパンツを直しながら立ち上がる。


「キサはまだいいよ。僕なんて実質明後日で春休み終わりだけど……」

「あんたは木曜日から付与エンチャントしていって、そのまま土曜日は作戦決行もんね」

「うへぇ、考えただけで吐きそうなスケジュール。僕の春休みの予定が一気に狂ったんだけど……」


 苦虫を潰したような表情を浮かべるショウを見て、キサは控えめに笑う。


「さて、これからどうしようかな。ショウはこれから何か予定あるの?」

「帰って続きって思ってるけど、キサがこのあと時間あるなら、魔法文字ルーン教えようか?」

「そういう話してたわね。うーん、どうしようかな」

「何か予定?」

「予定ってほどじゃないけど、これの使い方をもうちょっと試しときたいのよ」


 人差し指を立てるキサに、ショウは例の目覚めた新しい力のことだと察する。


「そっか、じゃあ、今日はここまでかな」

「ありがとうね。魔法文字ルーンは学校始まってから教えてもらうわ」


 ショウも立ち上がり、解散の空気が流れたところで、キサの嵌めていた指輪が反応を示した。

 来客を知らせるダイアログだ。

 思い当たる節のなかったキサは、誰だろうと玄関に取り付けているカメラの映像を中空に投射し、接続した。


「繋がったみたいですわね。おはよう御座いますです。あれ、お昼だと、こんにちはで御座います? とりあえず、浅輝さん開けて下さいますですか? グランチェット王国が第一王女、レディス=ニコルヌで御座いますです」


 予想だにしない来客の訪問に、キサとショウは互いに顔を見合わせる。そこに映っていたのは、紛れもなく本物の王女殿下であった。




 * * *




「やあやあ、息子君、二日ぶりだな」


 プールサイドに招いての開口一番は、右手を大きく上げ自己主張する魔女っ娘アイドルの愛称で慕われるドロシーだった。


「ドロシーはマジで関係ないっスよね!?  なんで普通にいるんスか」


 理解が追いつかず呆けるショウとキサに変わって、軽鎧とはいえ個人宅に訪問するには仰々しい装備のラティがツッコミを入れた。


「偶然行先が被ってバッタリ会ったからさ。これも運命というやつだな」

「まあまあラティ、同郷なんですから目くじらを立てるものではありませんのよ」

「そうだぞラティ君。こうして十四年ぶりに三人揃ったんだ、仲良くしようじゃあないか!」

「なんで、オレが責められる感じになってんスか!?」


 途端に賑やかになったキサ邸宅のプール。水着の中学生男女に、動きの派手な魔女っ娘と金ぴか近衛騎士だ。喧騒という意味でも見た目という意味でも、実に喧しい。

 そこへ来て、この中では一番小さい一五三センチメートルの女性。

 背丈の低さと、子供のような甲高い声音は、見る者に幼いイメージを抱かせる。打って変わって、身なりに派手さはなく落ち着いた装いではあるが、それこそが最大の場違い感を周囲に与える。

 貴金属こそないものの、そのまま舞踏会へ参加できそうな正装姿。ラティと同じ金色の髪に飾り気はなく、これぞ正統派であると体現する様は、素材の高さあってのもの。御年二十八ではあるが、後天性魔力異常持ちも相まって、十五歳前後の若々しさだ。

 何より王女としての自覚の表れか、佇まいが一般人のそれと明確に違う。

 一つ、レディスはニコリと微笑むと、スカートの裾を両手で摘まみ一礼する。


「改めて、お初にお目にかかります。グランチェット王国第一王女レディス=ニコルヌで御座いますです」


 笑顔を絶やさないレディスに、ショウとキサはどう反応を返していいのか困惑する。


「レディス困ってるぞ」


 言い難いことをズバリと言うドロシーに、レディスは口元に手を当て上品に驚く。


「これは、うっかりしていまして。本日こうして足を運んだのは、こちらの件で御座いますです。ラティ、あれを」

「はい、姫様」


 ラティが前に出ると、ショウとキサに見えるよう一枚の羊皮紙を広げた。

 中身に目を通し、ようやくレディスたちが訪れた理由を察する。


「先日提出された風間翔さんの魔石講師の資格審査で御座いますです。僭越せんえつながら、このレディス=ニコルヌが見て差し上げますですの」


 胸に手を当て、自信満々に鼻を鳴らすレディスだったが、これまたショウとキサは顔を見合わせた。


「あの、ちょっといいですか?」

「はい、なんで御座いましょう」

「審査員って普通魔導士くらいの階級の人がやるもんだと思うんですけど……」


 キサが隣で同意する。

 任務の難易度としては、有資格者であれば誰でも受託できる階級のものだ。高額報酬の任務を選べる立場である賢者、それも王女自ら進んで受けるようなものではない。

 これに対してレディスは手を打ち、微笑む。


「この時期は忙しいんですの。来期の魔導試験受講者の登録、選挙活動、ノルマ未達者の任務受託増で緊急度の低いものは後回しにされますです。公務員はその処理に追われますですから、こうしてワタクシがかすめ取ってきたのですわ」


 さらりと爆弾発言をぶち込んでくる。

 したり顔のレディスに、毎度のことなのかラティが額を押さえつつ嘆息し、ドロシーが腹を抱えて爆笑する。

 この空気感に置いてけぼりを食らう二人は、言葉を発する元気も失せるというものだ。


「――というのは建前でして、本当は議会で噂になっていたので、どんな人なのかなと興味本位ついでにあれを届けに来たのですの。ほらラティ出すのです」

「ほんと姫様は人使いが荒いっス」


 ラティは再び文句を垂れながらも律儀に従い、手にしていた漆黒のケースを地面に置いた。途轍もない重量があるのか、ずしりと音を立てる。色合いからしても、これが最硬石アダマンタイト製であることは明白であり、鍵までついた厳重っぷりかも重苦しさを与える。

 片膝をつき鍵を開けると、ショウから見えるようにケースを回した。


「早速用意しましたの。ご注文の神聖水と浄化業炎で御座いますです」


 黒いクッションの上に鎮座していたのは、一般に流通していない二つの超極大魔石だった。その大きさはソフトボールほどもあり、卓球ボールサイズの極大魔石と比べれば差は歴然だ。

 一方が海のように深い青色をしていれば、もう一方は対極の燃えるような深紅色をしている。

 準禁魔具に指定される神聖水と浄化業炎だけあって、扱いは厳重なものだ。特にレディス本人が神聖水の使い手だけあって、護衛までつくほどである。最もレディスに関しては、それだけが理由ではない。


「ほほう、浄化業炎まであるのか、さすがは一国の姫だな」


 部外者であるドロシーだが、なぜか覗き込んで話に混ざる。


「フレアちゃんに話したら、ちゃちゃっと用意して頂けましたの」

「あの人の忙しさは尋常ではないんだが、それをちゃちゃっとか」

「私とフレアちゃんの仲ですのん」


 えっへんと控えめな胸を張る。


「忙しいとは聞いてるけど、そんなになの?」


 グランベレル帝国に所属するキサからすれば、フレア女王が統治するライゼル国の内情に疎い。それでもクエスト発注量などから噂として他国へ流れているのだ。

 主に所属国が決まっていない学生がメインとなって、ライゼル国のクエストを受注する。レディスの説明にもあったように、特にこの時期はノルマ達成のため、多くの人がライゼルに詰めかけるのは、ここ二年ほどの変化だろう。


「うちが後援しているからさ。そうでなければ建国三年で他国と渡り合えるようにはならないってもんだ」


 ケースの横で胡坐をかくラティがドロシーを見上げる。


「前から思ってたっスけど、国家運営に切り替えなかったマジックギルドがよく後援する気になったっスよね」

「あの人は元々ギルマスのお気に入りだからだよラティ君」

「そうなんスか?」

「ちっちっちっ、聖戦でフレア女王を倒したのは、うちのギルマスだというのを忘れてもらっては困るな。あの人は強い人間には目がないんだ。私がスカウトされた時だって、ラティ君も誘われたろ? 断れたって地味に落ち込んでたんだからな、あれ」

「勘弁して欲しいっス。オレあの人苦手なんスよ」


 本気で嫌そうに顔を歪めるラティ。


「キサは会ったことある?」


 受け取ったケースを閉じつつ、ショウが訊ねる。


「チラッと見たことある程度よ。運営系のクエストやってるとそういう機会はたまにあるし」

「ぜひ会って欲しいのです。フレアちゃんはすごい人ですよ。虜になるのです」


 他国の女王のことなのに、誇らしげに鼻を鳴らすレディス。


「そのカリスマを利用しているのが、氷室君だがな」

「そうなの?」

「マジックギルドの運営は全て氷室君が握っているんだぞ。フレア女王は広告塔として申し分なし。とくれば、あの氷室君が利用しないはずがないではないか」

「ああ、ムロはそんな感じっスね」


 受け渡しが終わり、ラティとショウが揃って立ち上がる。


「つーか、オレたちの用事はほぼ終わりっスけど、ドロシーは何しに来たんスか?」

「おお、そうであった。ちょっと待っておれ」


 そう言って、ゴソゴソとポケットの中を漁る。目的の物を掴んだのか、握ったままショウへ手渡した。

 手のひらの上に置かれたそれは、歪な形をした紫色の極大魔石だった。一般的な魔石は球形をしているが、尻尾が生えたように一部分が弧を描きながら伸びる。


「えと、これってもしかして月詠之勾玉だったりしますか……?」

「そうだとも! つまり私の目的もレディス君と一緒だったということだな」


 ウィンクしてみせるドロシーだが、厳重な受け渡しだった超極大魔石との落差にショウの肩の力が抜ける。


「ちょ、ドロシー何してんスか!?」

「何を怒ってるんだラティ君」

「準禁魔具の受け渡しなんスから、取り扱いはちゃんとしないとダメっスよ!」

「昔から細かいなキミは」

「ドロシーが大雑把過ぎるんスよ!? さっきのマジックギルドにスカウトされた時の話も『どこの誰だか知らんが、引き抜きたければ私を倒していくがよい』って魔女と戦って瞬殺されてたじゃないっスか!」

「ドロシーさんって魔女と戦ったことあるの?」

「あるとも。強かったぞ」


 同じA級大魔導士。直接対決はせずとも昇級試験で当たる可能性のある間柄だ。ある程度の実力は知った仲である。十四年前とはいえ、そのドロシーを瞬殺したとなればキサとしても気になるところ。

 キサの反応から興味を持っていると捉えたのか、ドロシーは気分を良くする。


「マジックギルドに入るなら歓迎するぞ。それともギルマスと戦いたいってことかな?」

「ドロシーと一緒にしたらダメっスよ」


 呆れた声音でラティがツッコむ。

 それに対して、キサが遠慮気味に「いやぁ」と否定を入れつつ、「ねぇ」とショウに同意を求める。


「戦いたいって言うか、僕たち……正確には僕とキサ、あとユイさんとアイヴィーさんの四人がかりで理事長にズタボロに負けたばっかりなんですよ」


 同じビッグ4の雨宮奏と沢城美羽。間接的にでも実力が気になっても仕方のないことだ。

 心情を察した三人の顔つきが変わる。


「理事長か。あの人の四神は凄まじかったからな」

「ドロシーさんって四神見たことあるんですか!?」


 驚くショウに、逆にドロシーが「ほう」と吃驚する。


「その反応、息子君たちは理事長に四神を使わせたということか、そっちの方が驚きだ。私はバテネキレス撤退作戦で残った一人だし、理事長の戦いぶりはばっちり見たとも。ま、生き残ったのは流星君と私の二人だけだがな、ははは」


「あの戦いにドロシーさんもいたの? 初耳よ」

「それが原因っスよ。ドロシーが昇級試験で派手さ求めるようになったのって」

「どういうことですか?」

「記録に残らなかったのが悔しくて、目立つことするようになったんス」


 ラティの説明に、実にドロシーらしいとショウとキサは納得する。


「ああ、そういうことですの!」


 ――っと、合点がいったとレディスが手を叩く。

 注目を浴びる中、レディスが口を開く。


「全部繋がりましたの。どうして風間翔さんを昇級試験に理事長が推薦したか」

「そうっスよ。姫様が少年に興味持ったのはそれだったっス」

「おや、一体何の話だ?」


 一人事情を知らないドロシーが疑問符を浮かべる。


「そこの少年を姫様と一緒で、特例で賢者昇級試験受けさせるって話が昨日、理事長とシュラの連盟推薦で議会にかけられたんスよ。今日の審査は会いに来る建前で、神聖水は、あくまでついでっス」

「おお! なんだその面白そうな話は!」


 目を輝かせるドロシーが詳細を訊かせろとせがむ。

 勿体ぶるようにして、レディスが咳払いを入れ、ショウとキサが唾を飲む。

 ニッコリとレディスが満面の笑みを浮かべ、人差し指を立て、





「風間翔さんの昇級試験参加の特例ですが――否決されたのです」





 レディスの残酷なまでの言葉がショウの心を突き刺した――

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