基本を極めしもの

29話:納品クエスト

 乳白色の扉を叩く音に続き、ここでは随分と常連となっている声が内部に響いた。

 横に稼働する種類の扉の先には、上部が網目になったカーテンで遮られ奥の様子を伺うことはできない。

 ショウは手慣れた仕草でカーテンを避けると、部屋の主である黒髪の女性に会釈した。


「あら、風間君どうしたの。今日は検診の日じゃないでしょう?」

「キサの様子を見に来たんですけど、こっちじゃないんですか?」


 大きな部屋ではないので、見つからないということはない。場所を間違えたかと後ろ頭を掻くショウに、シグレは手にしたペンを回しながら答えた。


「そういうことなら、こっちじゃないわよ」

「そうなんですか?」

「最終的には私のところに来るけど、検査自体は助手に任せてるから、もう二時間くらいはかかるんじゃないかしら」

「そうだったんですか。しまったな。助手ってアイヴィーさんじゃないですよね?」


 いつもなら「ショウ坊来た!」と声を聞きつけて、隣の部屋から駆け込んでくるアイヴィーだが、今日はそれがなかった。普通ならその彼女が不在となると、検査の担当になったのだろうと思うが、それはないと断言できる。

 シュラが命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドに入り、行方不明者を連れ帰ったのが二十八日のお昼過ぎ。つまりは昨日のことだ。表向きは弟子のユイ救出のためであり、障壁ゲートの復旧まで待ったことで結果的に五英傑より先に到達できたということになっている。

 その後は、シグレの元で治療を受け、日が暮れたあともシュラのプライベートホームで簡単な説明が行われた。内容としては、口外するな。その見返りは十分に補償するというものだ。想定外のことが連続して起こったこともあり、理事長不在の中、詳しい話などはまた後日となった。


 今日の予定は、シュラから提示された行動表に則って動く手はずになっている。

 それが現在、ショウ同様に魔力が練れなくなったキサの検査だ。人造能力者として再び力を手に入れるには、どうしても今の状態を正確に把握しなければならないとのことだ。

 同じように、アイヴィーに下された命令は、絶対安静だ。

 二度に渡る強制執行により、体内の魔力系統がおかしくなってしまったのである。以前、シグレが魔力を気体に例えたことがあるが、今のアイヴィーは一度膨らませた風船が萎んだ状態に近いらしい。魔力が練れないわけではないが、今のままでは高負荷がかかる。

 そのため、今は自身が治療を受ける側ということだ。

 何より、シグレはアイヴィーのことを助手とは呼ばない。


「そう、そのことなんだけど、聞いてよ風間君。あの子ったら、現実世界に行ったのよ。ほんと呆れちゃうでしょう」

「えっ、安静にしろって話じゃ……」

「ほら、昨日、私がこってりしぼったでしょう? それで拗ねちゃって書置き残して出て行ったのよ」


 引き出しに仕舞っていた手書きの紙を取り出し、ショウに手渡す。

 受け取った便箋には確かにアイヴィーの字で〝旅に出ます〟と一筆書きされていた。ご丁寧に怒られないための小細工として〝就労ビザの更新してくる〟の文言まである。

 こうなったのは、シュラが虚実取り混ぜて一連の事件をシグレに説明したからだ。当然、例の強制執行の件もシグレが知ることとなる。それでも一度目に関しては、シグレも当時の状況からアイヴィーを責めることはなかった。しかし、二度目は違った。温厚なシグレが激怒し、アイヴィーが本気で泣き叫ぶ。まさに地獄のような光景だった。


「子供ですね」

「ほんと、そう思うでしょう? それでも現実世界なら魔法も使えないし、無茶はしないでしょうけど、帰ってきたら懲らしめないとね」


 ふんっ、とシグレは鼻息を荒くする。これはアイヴィーの二度目のガチ泣きも現実味を帯びてきたと、ショウは身震いした。

 強張るショウを見て、シグレが表情を崩す。


「でも、よかったわ。四人とも無事に帰って来てくれて。最初緊急連絡が来た時は私が直接デッドスポットに乗り込む気でいたもの」


「一人でですか?」


「そんなの当り前よ。二人とも最初から育てたわけではないけど、それでもアイヴィーも風間君も私にとって可愛い弟子だもの。一人でもなんでも乗り込むわよ。うちの子もそんなに小さくないし、一日くらいなら夫に押しつけても大丈夫だしね」


 とウィンクしてみせる。こういう時のシグレは本気でやる。実際、フォレッタ領への転移許可は取りに行ったのだろうということは容易に想像がついた。


「旦那さんも試験中なのに、とんだとばっちりですね」

「いいのよ。あの人はどうせ今年の昇級試験も落ちるから。万年一次落ちなんだし、少しくらい役にたってもらわないとね」

「A級大魔導士でその扱いとか、手厳しい……」


 母は強しというが、シグレは特にその傾向が強い。昨年魔法使いとしてデビューした子供は今のところ負け知らずの全勝という話なのだから、英才教育もバッチリなのだろう。この分だと、数年後には父親の居場所はなくなっている可能性が高い。


「それで、どうするの? 浅輝さんの検査が終わるまで待ってる?」

「いえ、アイヴィーさんがいないんだったらミリアさんのお店に行こうかと思ってます」

「あら、何か用だったの?」

「血液増量薬のストックが切れたんで予備をいくらか貰おうと思ってたんですけど、シグレ先生は持ってないですよね?」

「うーん、血液増量薬か。ちょっと待ってね」


 パタパタとスリッパが床を蹴り、パーティションで区切られた部屋の奥へと消えていく。次いで、戸棚をごそごそと漁る音が診察室に木霊した。

 現実世界なら膨大な量の薬剤を扱っているので、あくまで医師は処方箋を書くだけだが、魔法使いの場合は治療薬ポーションで事足りる。種類も少なく、効果も段違いなため、基本は診察室に全ての薬が常備されている。


 仮にストックが切れていても、魔法を使えば済む話なので在庫管理は割と適当だ。そのため、ショウのように常備しておきたいからと薬を購入する場合、たまに在庫切れに遭遇する。

 特に治療薬ポーションの生成能力はシグレよりアイヴィーの方が上なため、彼女が不在の時はその傾向が顕著だ。

 ほどなくして、奥からシグレが顔を覗かせた。


「ごめーん風間君。三本だけならあるけど、いつももっと持っていくわよね?」

「できれば十本くらい欲しいですね」

「そうよね。それじゃあ、悪いんだけど、ミリアのところに行くついでにクエスト発注お願いしてもいい?」


 いくら師弟の間柄といえど、医師と患者であることに違いはない。遠慮気味な頼みにショウは普段お世話になっている分、快く引き受けることにした。

 方角的に少々寄り道になるが、どのみちキサの検査が終わるまでどこかで待つことになるのだ。たまには恩返しというほど仰々しいものでもないが、頼みを聞いておくのもいい。

 シグレは棚の中を一通り確認し、心元ない薬品をピックアップしていく。クエスト発行のための用紙に購入品の薬剤を記入し、最後にシグレの直筆サインを入れた。




 * * *




 クエスト発行所でシグレから手渡された用紙を提出し、代わりにミリアに対して発生した納品クエストの受注用紙を受け取った。

 狭間の世界での売買はこうして必ず国を仲介しないといけない。手数料だったり割引だったりと、エイスは〝魔法指輪マジックリング〟が電子決済代わりとなっているので現金は扱わない。

 この不便さを帳消しにできるだけのメリットがあるので、文句はない。むしろ現実世界での買い物の方が億劫に感じるくらいだ。


 医療大国ウェスタリカ帝国。

 他の国に比べて、やや名前負けしている節があるのは、生属性の使い手がそもそも圧倒的に少ないからだ。

 主に薬剤の材料となる種や、薬草の栽培に注力しており、どちらかというと薬剤大国に近い。

 シグレが最高責任者として居座っているのは、国立病院であり、ほぼ全ての生属性使いが勤務している。そんな中、飛び切り腕がいい魔法使いは独立開業し自分の店を持つ。もちろん、通常の開業医と違い、治療やら薬品の売買に至るまで国が仲介する。

 いわゆるステータス以外の意味はない。

 アイヴィーは腕だけはいいのだが、あの性格から開業医は無理だと最初から諦め、シグレの元で上手くサボりながら生活している。


 ここウェスタリカ帝国で、国立病院以外の選択肢として真っ先に候補としてあがるのがミリア開業医だろう。

 名の売れているミリアなら、通常一等地に店を構えるが、外壁に近い三等地に店がある。

 これはミリアの懐古主義が原因だ。一度は目抜き通りに店を出していた時期もあったのだが、景観にそぐわないと追い出されたのだ。

 木造の三角屋根が特徴的で、ちょっとした魔女の家というおもむき。ここで中から頭のとがった帽子を被った老婆と、煮えたぎった窯が出てこようものなら、いよいよといったところだが、さすがにそんなことはない。

 扉を開くと、取り付けられた鈴が小気味よい音を立て、来客者の存在を知らせる。


「はーい、いらっしゃーい……って、なーんだ、ショウちゃんじゃない」

「ご無沙汰してます、ミリアさん」


 愛想がよかったのは最初だけで、知己の客だと知るや否やトーンダウンしたのが店主のミリアだ。

 両腕を前方に投げ出し、カウンタの上に突っ伏す。清々しいまでのだらけ具合である。


「お疲れですか?」

「そうなのよー。なーんかねぇ、珍しく国から治療薬ポーション作成任務がいっぱい来て、今はちょっと休憩中ー。それよか、どうしちゃったの、ショウちゃんがうちに来るなんて珍しいねぇ」


 顎をカウンタの上に乗せたままミリアが喋ると、その動きに合わせて髪が揺れる。

 根元から毛先へと段階的に淡く変色する桃色のグラデーションカラーは、ふわりとした仕上がりのボブヘア。前髪には彫刻は不明なものの、やたらと店の雰囲気に調和した機械仕掛けの髪飾りが乗る。

 今はカウンタに隠れて見えないが、彼女は国立病院では絶対にできない露出の高い服装を好む。ほとんど裸といって差し支えない布地面積で、下手な水着より際どい。そのくせ、膝と肘まで覆う手袋と靴を履いているのだから、ただの痴女である。

 まだ春先だというのに、こんな格好ができるのも気候の安定している狭間の世界ならではだ。


「アイヴィーさんが就労ビザ取りがてら現実世界に戻ってるんですよ」

「ああ、アイヴィーさん永住権取ってなかったんだねぇ。取ってもワタシのようにこっちに居ついてたら意味ないんだけどねぇ」


 さすがに顎が痛くなったのか、ミリアは両腕を組みカウンタとの間に挟み込む。


「それでぇ? 今日は何の用なのかなぁ?」

「そうでした。血液増量薬十本と、あとこれ、シグレさんから頼まれた納品クエストです」


 ショウはそう言って、店に立ち寄る前に発行してもらった国家認定証の押された用紙をミリアに渡した。

 相変わらず、だらけ切った格好のままだが、内容にはちゃんと目を通していく。


「OKOK。ちょっと待っててねぇ。すぐ用意するよ」


 のんびりした声と態度から想像できないが、これでも個人で商売が成り立つほどには実力がある。大魔導士以下の生属性としてはアイヴィーに次ぐ二番手であり、C級大魔導士。二つ名を【治癒神パナケイア】といい、あの【絡め手】に腕を見込まれてスカウトされたほどの逸材である。

 木棚に陳列された薬品を次々に集めるミリアだが、その布地の少なさは目のやり場に困る。動きがいちいち大げさなのもあり、やたらと揺れるのだ。

 これだけ臆面もなく露出するということは、それができるだけのブツを兼ね備えているに他ならない。巷では、最低でもE、中にはGもあり得ると噂されている。


「はい、これで全部揃ったはずだけど、足りなかったら言ってねぇ」

「ありがとうございます。確認しますね」


 ショウは、カウンタの上に並べられた薬剤と納品一覧を見比べ欠品がないかを調べていく。足りない、もしくは余分に持っていくことになったとしても、魔法指輪マジックリングには映像が記録されているので特に問題はない。あるのは過不足分の納入返品の手間くらいだろう。


「はい、全部ありました。じゃあ、血液増量薬の方の支払いを」

「はいはい。じゃあ、これに指輪かざしてねぇ」


 現実世界でいうところの電子決済器に魔法指輪マジックリングかざし決済する。

 最後に納品クエストの用紙にミリアとショウが、完了と受け取り代理のサインを記入し、クエストを完了した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る