019 ドワーフ

 「――うん。いいよ」


 ジェイムズさんは、そう言った。

 私は、肩透かしを食らったようにな気持ちで、胸を撫で下ろす。我ながらに、自分勝手なお願いしてしまった。だけれど、あの岩に最初に登るのは、私でありたかった。自己満足なのは分かっているけど。


 「おかしいことじゃあ、ないと思うよ。自分が初登者になりたいのは」


 ジェイムズさんが言った。肯定だった。

 初めて、が良い。それは普通のことだと。醜い自己顕示欲かもしれないけれど、きっと誰もが持ってるものだから。そう言った。


 「そしたらこれから暫く、登りに来るよ。邪魔だったら、ごめんね」


 いいえ、とんでもない。私はそう、返事をする。

 いつの間にか、ジェイムズさんの口調も砕けている。ああ、こんな風に誰かと会話するのは、久しぶりで。朝のお勤めが、ありますから。そう言って帰る足取りも、何処か軽い。何時も憂鬱で仕方なかったはずなのに。


 ただ。


 (綺麗な顔で。私よりもくるくるの髪で。それで――)


 そうやって思い返して、気付く。


 (目、どんな色だっけ)


 あんなに和やかに会話をしていて、結局一度も目を合わせられなかった。

 ああ、何時からだろう。他人の目を、見れなくなったのは。




 部屋についた。住み込みのお部屋は、普通二人部屋だけど。お母様が死んでから、同性のドワーフは、一人だけになってしまった。だから、私の部屋は、私だけの部屋で。私物なんて、碌に無いけれど。

 服は着替えない。私が受け持つのは、厠や工場まわりの掃除。後は、日によっては剪定とか。給仕服を着るのは、お客様がいらっしゃるときだけだ。


 (朝礼、行かなきゃ)


 一度、母屋の前に集まって。各自仕事をする。今いる使用人は、六人だ。一人はコックで、住み込み労働者全員分の食事を受け持つから、其れだけで手いっぱいになってしまう。使用人長は、その手伝いをしたり、屋敷の管理をするから。其れ以外の全てを、残りの四人でやる。


 そうして。集まって。あなたは何処をやれと。指示をされて。

 使用人長は嫌いじゃない。怖い人だけど、ドワーフだからとなじったりはしない。


 (今日もいつも通り。厠と工場)


 でも他の人は、苦手だった。少し近づくだけで、明らかな嫌悪を感じる。

 革工場の労働者の人たちもそうだ。彼らは彼らで大変なのだろうけれど、彼らの感情の捌け口にされるのは、とても辛い。

 工場には、ドワーフもいる。工場で一番下の立場の彼らも、味方じゃない。寧ろ、彼らにしたら、私は楽をしていて。同種なのに特別扱いをされていると、いっとう強い迫害を受ける。

 そして――




 (終わった。今日も)


 お仕事は慣れた。心を凍らせて、体だけを動かせば、気付いたら一日が終わっている。晩御飯も食べた。あとは寝るだけ。

 そうしたら、また朝が来て。同じことの繰り返し。だけど、少しだけ楽しみな事が一つ。


 (ジェイムズさんは、明日もいるかな――)


 今日初めて会った、変わった人。ドワーフの私にも優しくて。失礼なお願いも聞いてくれて。柔らかい笑顔が素敵で。

 そんなことを思って、宿舎に向かう途中。




 「――フォクシィ」


 声を掛けられる。ああ、会ってしまった。

 スティング様。旦那様の次男で、今は何処かの大学アカデミーに通っている。


 「来い」


 短く言われる。冷たい目。

 きっと、大学で嫌な事があったのだろう。そういう日だ。私が呼ばれるのは。


 「分かりました」


 私は、そう返事をした。目は、合わせない。

 踵を返すスティング様の後を追いながら、思う。


 (明日、早起きは出来ないかな……)


 きっと目を覚ました頃には、お勤めの前だ。

 出来れば、早く気絶できると楽なんだけれど。そう、独り言つ。

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