マサフミ、死ス…


 《深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ》


 《フリードリヒ・ニーチェ》




 ****




「マサフミ!?き、騎士道不覚悟っ!!」



 女湯を覗きたいーー。


 正文のそんな提案を、カウナは顔を真っ赤にして反論した。



「ママ、マサフミ!?そそ…そんな…ふ、婦女子のっ…はは裸をののの覗くだなんて!ううう美しくない!!きき、騎士道精神に反するっ!!」



 カウナの口調はさっきまでのキザなものではなく、動揺してしどろもどろになっていた。


 さてはコイツ初心だなと、正文は確信した。



「やれやれ…」



 カウナの目の前で態とらしく肩を竦め、正文は哀れみを帯びた笑みを浮かべる。



「律の裸を見たくたいのか?」

「っ!?!?」



 あくまでも平静を取り繕った正文の一言が心底に深く突き刺さり、カウナは飛び跳ねて目を白黒させた。



「…………!」



 カウナは反論することが出来なくなっていた。


 社交的観点から見れば、覗き見などしたくないと、そう言うのが妥当だ。銀河的常識だ。


 いやしかし、だがしかし。


 例え建前であってもそう言えば、律の美しさを否定することになる。それは美を追求するカウナにとっては、死よりも受け入れ難い恥辱であった。



「カウナモ、【ヴィーナスの誕生】という地球の絵画を観たことはあるか?」

「む?フィレンツェの美術館で観たが……」



 ルーリアが占領した国での経験をカウナは思い出す。


 地球人はこのような美しい絵画を描くのか。感激したカウナは一日中件の絵を眺めていたものだ。


 正文は再びニヤリと笑った。



「美しかったろう?裸婦とは美の頂点だ…!即ち裸を覗くというのは美の極みを目にし、己が美学を磨くこと也…!」

「……っ!?」



 カウナはぎょっと目を見開く。確かに言い得て妙だと思ったからだ。


 女体とは銀河が……大自然が産み出した美の究極だ。正文の言っていることは決して間違ってはいない。


 だが…。



「それでも…!つゆ知らぬリツたちの裸をこそこそ覗き見るなど…!」

「カウナ・モ・カンクーザ!」



 未だ渋い顔をするカウナを、正文の一喝が貫いた。



「堂々と見せてくださいと言えば律たちは畏まり、美を捏造してしまうだろうが!」

「美を捏造!?」

「覗くというのは!ありのままの!繕っていない奴らの女体を拝むこと!即ち真の美を垣間見ること也!」

「真の美!?」

「そんなことも分からないとは……カウナモ!貴様それでも美の探求者か!?」

「はうぁっ!!」



 カウナは、まるで全身を強大なルリアリウム・エネルギーに貫かれたような感触を味わった。


 そうだ!正文の言う通りだ!


 自分は今まで、気恥ずかしさを騎士道て包み隠して生きて来たのか。


 自分を偽って来たのか。



「「……………………」」



 時緒と伊織の冷めた視線を背に受けながら、カウナは湯で顔を洗い、己を律した。




「そうだ!我は真なる美の探求者!目が醒めた気分だ!マサフミ!!」

「分かってくれたか!カウナモ…!!」

「ああ……!我は女湯を覗こう!リツの飾らない美を……目に焼き付ける為に……!」



 カウナとマサフミは、全裸で仁王立ち、がっきと握手す。



「すっかり騙されてるよ……カウナさん」

「正文よ……お前詐欺師だ。詐欺師の才能あるぜ」



 そんな暑苦しい光景を、時緒と伊織は心底呆れきった顔で眺めていた。



「正文、正文ってば」



 ジト目で見上げながら、時緒は正文に尋ねてみる。



「ああん?」

「正文は本当にそんな崇高な理念で芽依姉さんたちの裸を覗きたいワケ?そんなワケ無かっぺ?」



 すると、正文はふふんと澄まし顔で鼻を鳴らし、カウナに聞こえぬよう、時緒にそっと耳打ちをした。



「…俺様は…こそこそ律達の胸や尻を堪能する…そんな背徳感に浸りたいのだ…!それが我が美学…!」

「…………」



 胸を張る正文に、時緒は物悲しげな溜め息を贈って、伊織とともに鼻の下まで湯船に沈んだ。


 温泉の強い酸味が時緒の唇を刺激する。



「時の字…お前も共に行かないか…?」



 正文の誘いに、時緒は静かに首を振った。


 見たくない、と言ったら嘘になる。


 自分も、芽依子の豊満な肢体や真琴の白い素肌を拝んでみたい。


 しかしーー。



(時緒くんがそんな子だとは知りませんでした。お姉ちゃんがっかりです。実家に帰らせていただきます。さようなら)

(椎名くんてそんな人だったんだ。最低。二度と私に話しかけないで。近寄らないで)



 仁王立ちして、自分をゴミを見るような目で軽蔑する芽依子と真琴の姿を、持ち前の想像力で脳内構築した時緒は、ぶるりと身を震わせた。


 覗きが露呈バレた時が恐ろしい。


 悪寒に時緒の下半身が縮こまる。


 温泉に浸かっている筈なのに……。




 ****




『わぁ〜芽依子ちゃんやっぱしおっぱい大っきいね〜!』

『ちょっと佳奈美さん!?揉んじゃ駄目です…っ!くすぐったい…っ』

『えいっ!』

『ひゃんっ!』


『真琴…お前は胸より尻の方が肉付きが良くなってるな?』

『り、りっちゃん…!気にしてること言わないで…!椎名くんに聞かれたら…!』

『安産型で良いじゃないか…ほれ!』

『あぅっ!?お、お尻掴まないでぇ…っ!』



 竹組みの壁の向こうから聞こえて来る少女たちの甘い声に、正文は期待に胸を昂らせた。



「聞こえたかカウナモ…!この壁の向こうはパライソだ…!」

「こ、ここっ……この向こうにっ……リリ……リツが……!生まれたままのリツが……!」



 正文とカウナは、壁の材質である竹の節に上手く手や足を引っ掛けながら、器用に壁をするする登っていく。


 全裸の美少年二人(その内一人は異星人)が、ゴキブリめいた姿勢で壁に張り付き登る様は、まさに非現実的な光景アンバランス・ゾーン



「ふっ!」



 やがて、壁の天辺に手が届いた正文は、勝利を確信した笑みを浮かべる。


 あとはほんの少し腕に力を込め、壁の先端に上半身を持ち上げれば良い。


 互いの身体つきの話に花を咲かす律たちはきっと、壁の上に正文が居ることに気付くまい……。


 律の。


 芽依子の。


 真琴の。


 佳奈美の。


 うなじ、鎖骨、乳房、股、尻、総て堪能してやる!


 正文は勝利を確信して、腕に力を込めた。


 正文の視界が開けるーー。









「…………」

「…………」


 


 正文の目の前には、正文こちらを冷たく睨む、があった……。



「……………………」



 はて?正文は首を傾げる。


 いつの間に律は壁の上に顔が届く程に背が高くなったのか。

 

 気が動転していた正文は、律もまた正文と同様に壁を登っていた事が、理解出来ていなかった。



「リ…!?」



 まばたきをしない、無表情の……虚無の律に、カウナは壁にぶら下がったまま恐怖に硬直した。



「…………何故、バレた?」



 動揺のあまり、正文は律に間抜けな質問をする。



 律は無言のままゆっくり表情筋を動かし、その顔面に笑顔を浮かべた。


 鋭く美しく、邪悪な……絶対零度の微笑だった。



なんだよ。気付かない方がおかしいだろうが」



 律は微笑のまま、唸りに近い低い声をあげて、正文の首根を掴んだ。逃げられないように……。



「ぐえぇっ!?い、息が……っ!」

「さっきの会話は貴様を誘い出す為のフェイクだ。エロかったろう正文?貴様の最期に相応しい手向けだろう?」

「ま、まさか…!?」



 絶句する正文に向けて、律はゆっくりと拳を構える……。



「てなワケで……」

「待て、律。話せば分かる」

「問答無用」



 そしてーー。



「死に晒せ。変態」



 鬼の形相と化した律は、拳を、力の限り正文の顔面へーー、


 !!!!


 叩き付けた!



 大浴場に、何かが砕け、何かが潰れる音が響き渡る。


 きーーんと風切り音を立てて、時緒と伊織の視界の左端から右端へと吹き飛ばされる正文の身体。


 正文は、断末魔の悲鳴を上げること無く、露天風呂へ続く扉を突き破り、雑木林の中へと消えて行った……。







 ****







 十数分後ーー。




「お…お花畑…綺麗…うふふ」

「若旦那…またですか…」

「ワカ、良い加減学習しましょうよ。この間も宿泊してた奥尾おくお大学女子テニスサークルの入浴現場覗いて…女将さんに半殺しにされたくせに」



 中居のハルナとナルミは文句をたれながら、白目を剥き泡を吹く正文を担架に乗せると、担架の両端を担ぎ……



「君たちはゆっくりしていてくれ……!」

「じゃあね〜!」



 時緒たちに苦笑を向けながら、ロビーの方角へと消えていった。


 もう少し強めに止めとけば良かった……。


 ほんの少し後悔する時緒の視界の端では……。


 浴衣姿の律に土下座する、カウナの憐れな姿があった……。



「すまなかった!すまなかった!許してくれぇぇぇぇ!」



 必死の謝罪を繰り返すカウナに、律はふんすと鼻息を荒らげながら睨め下げ、そしてーー



「……お前は初犯らしいし……正文の口車に乗せられたクチだから……特別に許してやる」

「本当かリツブェエッ!?」



 感激に顔を上げたカウナの頬を、律は咄嗟に両手で抓り伸ばす。



「次やったら……正文さっきのアホと同じ途辿らせるからな……!」

「……ハイ」



 怒りの律に、カウナは萎縮し、小刻みな首肯を繰り返す。


 そんな律とカウナを眺めつつ、時緒は湯上がりのコーヒー牛乳を口にする。


 右手で瓶を傾け、左手は勿論腰に置く。


 甘く冷たい喉越しが火照った身体に染み渡っていく。



「時緒くん、時緒くん」



 すると、スリッパをぺたぺた鳴らしながら、フルーツ牛乳の瓶を携えた芽依子が時緒へと歩み寄って来た。


 浴衣に身を包んだ芽依子は、肌がほんのりと汗ばみ、浴衣の間から顔を覗かせる胸の谷間が、汗の雫を弾いていた。


 長い髪を団子状に結わえた姿もいつも以上に色っぽくて、時緒はかなりどぎまぎした。



「時緒くんはクソへんた……失礼、正文さんのお誘いには乗らなかったのですか?」

「ぼ、僕はエクスレイガに乗って戦う身でス!そんな破廉恥なコトする訳無いじゃないですカ!」



 時緒は胸と虚勢を張って見せる。


 時緒の心の奥底の、欲望に忠実な部分が、この嘘つき野郎と地団駄を踏んでいた。



「そうですか…」



 意外、芽依子は少しだけつまらなそうな顔をすると、そっと時緒の耳元に囁いた。




「時緒くん、見たい時は堂々と男らしく仰って下さい。そうしていただければ……」

「…………」

「私に拒む理由は……ありませんから……」



 温泉の成分でより艶めく芽依子の唇から紡がれる、言葉。


 



「うにゃーっ!?イチゴ牛乳と間違えて豆乳(無調整)買っちゃったー!!」



 しかしソレは、佳奈美の悲鳴に遮られ、齢十五の童貞を困惑させることは、無かった。



「ん?姉さん?何て言いました?」



 首を傾げる時緒を見て、芽依子は顔面を真っ赤にして俯く。



「む?芽依姉さん?」

「……のぼせただけです。なんでもありません……っ」



 温泉に解放的になり、ついつい口走ってしまった。


 時緒に聞こえなくて、本当に良かった。


 芽依子はそう思うことにしたーー。







 続く

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