第76話 現世に最も近く遠い場所:カエデで差した光

 青白い光の道を通りながら<シュネラ・レーヴェ>は徐々に速度を落としていく。通常の航速に戻るにつれて青白い光しか見えなかった景色は宇宙の闇を取り戻していく。

 そして、ビームで開いた穴に入って秒針が1周もしないうちに見慣れたいつもの宇宙に戻って来た。


「うっ……。何が起きて……」


 艦長席に突っ伏していた黒子が頭を振って上体を持ち上げる。突然の加速に一瞬気を失っていたのだ。それは他のクルーも同じで、みな辛そうにゆっくりと目が覚めていく。


「そうよ……。突然<シュネラ・レーヴェ>が加速して……。

 エミル、周囲を探って……」

「え、ええ……。レーダーを確認するわ」

「お願い。…………え?」


 もう1度頭を振って倦怠感を吹き飛ばし、しっかりとメインモニターを見据えると、黒子は言葉を失う。

 メインモニターに映るグレーの球体。月によく似ているものの、その北極部は宇宙の色に同化していくかのように薄暗い。

 それは忘らるる冥府の王の星を廻る冥府の川アケローンの渡し守の名を冠する星。冥王星の衛星・カロンが<シュネラ・レーヴェ>を冥府へ渡すか見定めるように宇宙に佇んでいた。

 まもなく艦内に、<シュネラ・レーヴェ>が太陽系まで戻ってきたことが伝えられた。それはいつ終わるかもわからない闇をもがく中で見つけられた一筋の希望の光で、学生たちは安堵した。

 しかし、状況は良いとは言えない。直前の戦闘により大量の負傷者が出たことに加え、クーデターの首謀者であったギャメロンを含め死人も出た。ギャメロンに攻撃された第3、第4格納庫は人手が足りず修理できず依然破壊されたままだ。

 また、過剰なエネルギー放出を行ったことにより、エネルギー供給システムがシャットダウン、再び予備電源を使わざるを得なくなった。

 もはや何を専攻しているかなど関係ない。手の空いた者はどんな仕事でもやっていかなければならない状況だった。

 ギャメロンが起こしたクーデターの爪痕はかなり深く、簡単には癒えてくれそうになかった。

 かすかな希望と、分厚い雲の如き閉塞感が艦のすべてだった。

 そして、3日が過ぎた……。




「ヌルくん、脇腹の傷を見せてもらえる?」

「はい」


 マロンに促され、スノウは上着をめくって腹部を外気にさらす。数多くの傷跡が刻まれた体に増えた銃創。スノウがギャメロンの支配を打ち破った勲章と言えるが、それはとても痛ましいものにマロンには見えた。


「…………血はもう出ないみたいね。痛みは感じる?」

「感じないですね。傷の方を下にして寝ても違和感がない状態です」

「経過は良好ね。でも無茶はダメよ。しっかり休んで……」

「休めるほど人手がないでしょう。独房に入れられたクーデターの主犯たちを解放したっていいぐらいです。それに先輩だって本来は僕になんか構っていられないはず」

「本当はね。でも、後輩たちに体だけでも休めって言われちゃったから」


 「なんか落ち着いていられないからこうしているだけで」と言って苦笑するマロン。


「働き者ですね」

「君に比べればなんてことないわ。ブリッジで撃たれたのに逃げるフィリップスくんを追って艦内を動き回っていたって格納庫にいた子から聞いたわ」

「ブリッジから第3格納庫まで移動しただけです」

「で、そこから第4格納庫まで行って出撃したんでしょう? その傷で……。

 …………ごめんね、本当なら傷跡ぐらい消せるんだけど、今はエネルギーを節約しないといけないから」


 マロンが申し訳なさそうに言う。

 <シュネラ・レーヴェ>はデシアンから鹵獲した動力のテストのために地球統合軍が完全新造した艦であり、それゆえに多くの機能が最新鋭のものになっている。

 医療機器も少なくとも艦に搭載できる中では間違いなく最高のものを採用しているのだが、予備電源で艦全体を賄うしかない今は使えるエネルギーは重傷な人間に使われるべきで、スノウのように比較的傷が浅い者(と言っても銃弾で体を撃ち抜かれたのだが)には原始的な治療法で対応するしかないのだ。


「先輩、包帯を持ってきました」

「ありがとうね、北山さん。来てもらったついでにこれを元に戻しておいてくれる?」


 包帯を医務室の奥から持ってきた雪に薬品を手渡す。


「ごめんね、手伝ってもらっちゃって」

「いいですよ。怪我人が多い今、動ける人は手伝わないと」

「だから僕も手伝おうと言ったんですけど」

「スノウも怪我人でしょ! ちゃんと治療して!」


 めっ! と弟を叱るのと同じように言って、雪は再び奥へと引っ込んでいった。

 そんなふたりのやり取りを、口に手を当てて上品に笑うのもつかの間、ふと背筋を正してマロンはスノウに言う。


「ねえ、ヌルくん。ひとつ提案があるんだけど」

「なんでしょう?」

「もし、無事にサンクトルムに戻れたらの話なんだけど……1度看護科私たちのところで診せてみない? 看護科には良い機具も良い設備もあるし……」

「この脇腹さえ治れば僕に悪いところはありません。ですので、おっしゃる意味がわかりません」

「そうよね。…………言いづらいことだけど、しっかり言わないといけないわね」


 目を瞑って深く息を吐いたマロンは、しっかりとスノウの目を見て言う。


「ヌルくん、フィリップスくんの<マッドドッグ>を撃墜したんですって?」

「はい。コックピットを正確に貫いたのでおそらくはもう生きていないかと」

「…………なんで、そうあっさり言えるの? 君、今自分が何を言っているかわかってる?」

「僕がフィリップス君を殺したと、そういう話ですよね」

「そうよ。…………動揺とか、後悔とかないの?」

「後悔ならありますね」


 まるで悩み事なんてないかのようにサラリとそう言ったものだから、本当か訝しみながらも表面上は喜ぶマロン。


「良かった、君にもそういう気持ちが―――」

「もっと早く死なしておけばよかったと思っています」

「………………」

「僕がブリッジで確実に頭を撃ち抜いていれば……そうでなくても足でもなんでも撃って身動きを封じておけば第3格納庫や第4格納庫の被害者は出なかった。それに第1格納庫を守っていた何人かも死なずに済んだでしょう。

 もっと遡れば、前期試験の時。僕が助けに行かずに見殺しにしていれば、彼がこの放浪中に消費した分の食糧を無駄にせず、多くのものを犠牲にせず良かったのだと、今は少し思います」

「…………殺したことについては、なんとも思わないの?」

「あれだけの犠牲を出したのは僕の責任ですから、るなら僕がやるべきだと思ったし、実際その通りだったので何も」

「…………悪夢を見たり、撃墜した時のことを突然思い出したり、そういうことは?」

「全然。PTSDなら罹ってないので、安心してください」


 ここで強がった悲しい笑顔を浮かべるのであれば強がりだと断じて追及でもできようが、しかしスノウはいつものポーカーフェイスでそこに座っていた。

 心配する気持ちを無視してそういう態度をするのであれば、マロンにも考えがある。


「安心できないわよ。躊躇いなく人を撃てるなら、それはそれで問題だわ。私たちのところで精神鑑定を受けてもらいます」

「受ける分には構いませんけど、時間の無駄になるかと」

「どうしてそう言い切るの? やってみないとわからないでしょう」


 怪訝そうなマロンの言葉を聞いてスノウは思う。


(殺した人間の数がひとり増えたところで、今更どうとも思わないんだけどな……。どう言えば納得してもらえるだろうか)


 普段は穏やかな笑みを浮かべているが、その穏やかさに反して強情な態度をとるマロンをどうすれば説得できるだろうか。

 少し考えた末にスノウは自分のことを少し話すことにした。


「先輩が医療関係の責任者だから話しておきますけど、僕は昔施設に入れられていたんですよね」

「…………それがこの話に何の関係が?」

「その施設というのが、僕が10歳……くらいだったと思いますが、そのころに経営困難に陥ったそうで、それで預けられている子供を減らすことになったんですよ。で、それをどういう方法で行ったかというと……」

「うん」

「当時最年長だった僕が、施設の人が選別した『いらない子』たちをひとりずつ殺していくという方法だったんです」

「―――――」

「ナイフや銃が与えられて殺していったんですけど―――」

「もう、いいわ。それ以上は……もういいから」


 口を手で覆って、目を伏せるマロン。


「結論だけ言って頂戴……」

「前振りがないと信用してもらえないかと思いまして」

「限度ってものがあるでしょう……!」

「わかりました。結論だけ言います。

 そんな風に何人も殺しておいても僕はこうして毎日平和に過ごしています。幻覚や幻聴なんてあったことないし、そのことで苦しいなんて思ったことはない。

 より正確に言えば、僕は……昔から怒りとか悲しみとか苦しみとか、そういう心に負担をかけるものを感じることができない人間なんです」

「………………」

「信じられない話をしている、とは思います。だから前振りが必要だと判断して今の話をしました。信じてもらえないならそれまでですが、精神鑑定を受けても意味がないと言うのはそういう理由です」

「そうなのね……」


 マロンはタブレットを操作してスノウのカルテを表示する。


(報告によれば、彼は脇腹を撃たれた後も普通に動き回り、攻撃された第3格納庫の怪我人の応急手当をした後にエグザイムに乗ったと聞くわ。あれだけの傷で普通に動こうものなら尋常ではない痛みを感じてまともに歩けないはず。戦闘機動を行うなんてもっての他。

 だけど、彼の脳にマイナスな感情を受け取る機能がないのだとしたら……そんなことができてもおかしくない。信じられないけれど、今はそうだと納得するしかない)


 しかし、スノウが言ったことを聞けばこそ、マロンは彼を1度しっかりと診ておきたいと思った。


(彼の言うことが本当か嘘かは、今は判断できない。だけど、人が悲しみや怒りや苦しみを感じられないなんてことはあってはいけないわ。しっかりと調べて診断するべきね)

「そう言うなら強制はしないけど、念のため1度診察を受けることをオススメするわ」

「お断りします。

 では、僕は生活班の仕事があるので失礼します」

「うん、また傷が痛んだら来てね」


 スノウが素早く退室していくのを、穏やかな微笑みで見送りながらマロンは心の底では怒髪天を衝かんばかりの気持ちで思った。


(せっかく下手に出て誘っているのに何あの態度。地球圏に戻れたら絶ッッ対に縛り付けてでも診察を受けさせてやる)


 ドキドキ! スノウ丸裸大作戦を地球に戻ったら実行してやろうかしら、なんてマロンは思ってため息をついた。


「…………スノウ」


 雪は診察室の奥に身を隠しながらスノウとマロンの会話を見ていた。

 マロンに頼まれた薬品を元の場所に戻して、次の指示を聞くために戻って来た際にスノウの過去の話が聞こえてきたので、立ち止まってつい聞き入ってしまったのだ。

 その過去が温かいものではなく凄惨なものだったから、マロンに指示をもらうことを忘れてその場から1歩も動き出せずにいた。

 そのうち、マロンがひとつ溜息をついて診察室の奥へとやってくると、雪を見つけて言う。


「北山さん。頼んだものは元に戻してくれた?」

「え? あ……はい。同じものがあったのでそこに……」

「それならいいわ。ありがとう。

 …………それで、聞いていたのね?」

「…………はい」


 怒るわけではなく責めるわけでもなく、優しく事実を問うてこられたので、隠すことなく雪は正直に告白する。


「戻って来た時にスノウが昔話を始めたので、気になってつい……」

「私は別に構わないと思っているわ。だけど、ヌルくんがどう思うかは……いえ、たとえ誰に聞かれていたって気にしないでしょうね、彼の言うことが本当なら」

「たぶん……スノウの言っていることは本当のことです。スノウが怒ったり悲しんだりしたところは見たことがないので……。

 それに…………」


 何か言いよどむ雪の表情は暗い。スノウよりもよっぽど素直に表情を変える彼女をマロンは好ましく思って、肩に手を置いて優しい声で言う。


「いいのよ、辛いなら無理して言わなくて。別に彼の言うことも、北山さんの言うことも疑っているわけではないの。ただ、医学的見地からしっかり診断するべきだと思っただけで」

「はい……」

「…………それとも、別に気になることがあるの?」


 一向に晴れない雪の顔。それは悩み事があることを示していた。

 それを看破されて、雪は言うべきかどうか考えた末に口を開く。


「マロン先輩は誰かを好きになったことってありますか?」

「へっ!? な、なにいきなり……」

「教えてください」

「…………そりゃ人並みにはあるわ。ハイスクール時代に付き合っていた人もいるし」

「普通の人ですか?」

「うーん、まあ普通だったとは思うわ。世間的に見た平均的な人間の域を出てはいなかった人よ」

「そうですよね……」

「あの、北山さん。そんなこと聞いてどうするの? 何が言いたいの?」


 なんでこんな恥ずかしい話をしなければならないのか。マロンはそれ以上恥ずかしい話をしたくなかったので本題を促すと、雪は沈んだ顔で言う。


「…………あたし、自分の気持ちがわからないんです。スノウをどう思っているのか。心の奥がモヤモヤ~ってして、かと思えば針で刺されたようにチクッとする、スノウを見るとそんな感じになります」

「それは不思議な状態ね……。心理カウンセラーでもない私でよければ詳しく話を聞くけど……」

「…………お願いします」

「じゃ、ちょっとカルテとか整理するから待ってて」

「はい」


 10分後、マロンはさっきまで座っていたところに、雪はスノウが座っていたところにそれぞれ腰を掛けた。

 しかし、雪は話そうとしない。顎に手を当てて難しい顔をしている。

 マロンはそれをとがめることなく、優しい微笑みで待っていた。


「…………初めてあったころは、ちょっと不思議な感じのする男の子だと思って気にはなっていたんです。だけど、接していくうちに優しいところとか、世間知らずなところとか、そんなところを見ていくうちに親しみを感じるようになりました。スノウが他の女子を褒めたり、合コンに参加したりすると嫌な気持ちになったし、あたしを褒めてくれたときとかはすごく、暖かな気持ちで……」

「それは素晴らしいことね。でも、それならモヤモヤしたりチクッとしたりすることないじゃない」

「暖かい気持ちになる反面、時々嫌な感じになるんです。この間のクーデターの時もそうでしたけど、その、スノウって時々が外れたような言動をするんです。躊躇なく人をライフルで撃ったり、命を軽視するようなこと言ったり……」


 雪の脳裏に浮かぶのは、ベッドに縛り付けたキースを拷問する姿や、前期試験の時の報告を怠って護に怒鳴られる姿。そして、彼の操縦する<リンセッカ>が正確無比に<マッドドッグ>のコックピットを突き刺した光景……。他にも思いつく場面はいくつもある。

 雪の言葉を聞いて、マロンは「ふむ……」と少し考えて言う。


「北山さんの目からしてもそう見えるなら、彼がさっき言ったこと……心に負担がかかるようなことを感じないという話も信ぴょう性が出てくるわね」

「…………スノウはそういう時にいつも言うんです。『必要なことだから』って」

「いかにも言いそうね」

「そう言われるたびに、あたしどんな言葉をかければいいのか、どうすればいいのか全然わかんなくって……」

「それが苦しいと」


 雪は黙ってうなずいた。

 スノウには、死んでも殺してほしくもない。だが、彼に何を言ってもその意思を変えることはできないだろう。そういう諦めがあり、しかしその諦めてしまった自分を責める自分がいて、諦めきれない自分がいて、いろんな気持ちが渋滞してしまっている状態だ。


「あたし、どうすればいいんですか。どうすれば……」

「ねえ、北山さん。北山さんはどうしたいの?」

「どうしたいのって……」

「ヌルくんに『必要だから』と言われたら、それ以上何もしないで終わるの? 違うでしょう? 納得しているなら今こうして悩まないはず。納得してない、まだ伝えたいことがあるから困っているんでしょう? なら、しっかりとどうしたいのか考えてやってみるといいんじゃない?」

「………………」

「北山さんは彼にどうしてほしいの? どうあってほしいの?」


 どうしてほしいのか。どうあってほしいのか。そして、どうしたいのか。

 マロンの問いに対して、すぐに出せる答えを雪は持ち合わせていない。だが、快刀乱麻を断つきっかけとなったに違いなく、それまで曇っていた心に光が差していくようであった。


(…………そっか、そんな簡単なことだったんだ)

「北山さん? 大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫です」


 そう言ってから雪はマロンに頭を下げる。


「先輩、相談に乗っていただいてありがとうございました。後は自分で考えてみます」

「え? いいの?」

「はい。ひとりで気持ちを整理したいんです」

「それならいいんだけど……。また何かあったら言いなさい?」

「ありがとうございます」


 雪は再度頭を下げてから医務室から出ていった。その顔が明るくなっていたので、マロンは安心したように微笑んで、ゆっくりとソファに背中を預けて息を吐いた。




 カロンという衛星は、その大きさは冥王星の半分ほどある。

 その衛星にしては大きいサイズ故に<シュネラ・レーヴェ>からはカロンの裏側にある冥王星の様子を直接伺うことはできない。

 だが、確実に事態は動き出していた。勢力圏に近づいた侵入者を殲滅するために、冥府の王の星から次々と死者デシアンがやってくる。

 それらが冥府の川を渡り姿を見せるのには、そう時間はかからなかった―――。




 遠征23日目 乗組員:200名 負傷者:85名 死傷者:21名

                                  (続く)

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