[けものフレンズ学園編] さよなら、ジャパリ学園

灰都とおり

第1話 てんこうせい(その1)

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 研究員業務日誌:d242-6903



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 あの記憶がぬるっとした感触で思い出せる。


 ――大地が激しく揺れ、まともに立ってられない。

 闇に溶ける黒い怪物が迫る。夜明けは近い。東の空で、暗闇が薄紫色に溶けていく。


「サーバルちゃん……!」


 黒い岩のような巨体の正面にはひとつの眼球があり、感情なくぼくを見つめている。

 ゴブリゴブリと泥がのたくる音。あの中に囚われて、サーバルちゃんはどれほどのあいだ無事でいられるんだろう。


「だれか……」


 ぼくは無意識にまわりを見回してた。


 助けて――。


 くぐもった轟音――そいつの咆哮が鳴り響いた。全身の毛穴が泡立つ。耳の奥が殴られたように痛い。

 こんな結末を迎えるだなんて覚悟してなかった……いや、そうじゃない。もうだれかの助けを待つのはやめたんだ。

 ズズンと、また巨大な振動が体をつらぬく。

 

 助けて、助けて、助けて――。

 

 頭にこだまする悲鳴を、ぼくは冷静に自覚する。

 違う。助けるのは、ぼくだ。

 頭の中で、ぼくが出会ったあの子たちの姿が何重にも浮かびあがる。

 ライオンさんのしなやかで強靭な動き。ヘラジカさんの堂々とした突進。

 ジャガーさんが泳ぎ、ビーバーさんがロッジを建て、トキさんが歌う、ぼくはその姿を見るだけでとても嬉しかった。

 巨大なそいつの眼が、見上げるほどの高みからぼくをじっと見下ろしている。ぼくはその眼を見つめ返し、そして走った。

 ぼくにできることをするために――。




 これは、ぼくの記録。

 忘れちゃいけないこと……あのとき起きたこと、そこでぼくたちが手にしたかけがえのない瞬間を、ほんの少しでも残しておくためのもの。

 こうやって記録をつけることを知ったいま、ここを出ていく前におぼえている限りのことを記そうと思う。

 ぼくが、みんなのことを忘れてしまったときのために。そしてあの子たちがあのことを忘れてしまったときのために。

 







>>>6月6日(水)




 ぼくたちが出会ったのは、あの地平線まで広がる草原でのことだった。


 ひとりでぼんやり立っていた。見ていた夢にしがみつこうとしながら。夢の中でぼくはだれかを助けたいと願い……大きな泥の渦に呑み込まれていた――。







 ほほに風を感じて、自分が目を開けているのに気づいた。

 まぶしいのは昇ったばかりの太陽だ。乾いた空気に早朝の冷たい匂いが残ってる。

 丈の高い草が一面をおおい、風に揺れてさらさら音をたてた。

 左手には大きなアカシアの木が傘のように枝を広げ、緑の葉を茂らせている。


(……ここは……どこなんだろう)


 ぼくの頭は少しずつクリアになるけど、まだ疑問も不安も感じなかった。

 草原の向こうに道が見えた。灰色の鉄柱が並んでいる。その柱が夜に灯りをともすことを、ぼくはなぜか知っていた。

 道のずっと向こう、朝日が輝くあたりに白っぽい建物が見えた。あそこにだれかいるのかも知れない……そうしてぼくは歩き出した。







 いつの間にこんなとこへ……?

 歩きながら、自分がなにもおぼえてないことに気づく。


「……あれぇ、なんでぇ?」


 そのつぶやきが不安を大きくする。だれもいないの? ここに危険はないの?

 ふらふらとその大きな木のそばを通ったときだった。

 がさっと葉っぱが鳴った。

 見上げようとしたとき背中に大きな衝撃があり、視界がまわる。強烈に地面に打ち付けられて息もできなかった。

 なにかが木の上からぶつかって来た!?


「つかまえたよっ!」


 嬉しそうな声が頭の上から響く。

 だれかが体に乗っかってるのに気づいて、ぼくは真っ青になった。


(――食べられる!)


 とっさの想像に叫び声をあげる寸前、その子の姿が視界に飛び込んできて、ぼくは声をなくした。

 逆光のなかで金色に輝く、ふわりと肩までのびた髪。

 好奇心がこぼれそうな大きな目。

 そして頭から真上にすっと伸びた……ふたつの大きな……耳。

 一瞬、見とれてたと思う。

 目と目があって……その子も戸惑ってるのが分かった。


「あれっ、アライさんじゃない!?」


 あわてて飛びのいたその子が、「ご、ごめんね!」とぼくを助け起こそうとする。

 い、いえ……とかなんとか、ぼくはもごもご言うことしかできなかった。あんまりびっくりしたのと、怖かったのと……なにかもっと別の心のざわつきのせいで。







「えーっと……あの、あなたも、学校に行く途中なんだね?」


 その子は元気づけるように話しかけてくれる。

 学校……って、なんだっけ?

 ぼくはしゃがみこんだまま、混乱する頭で考える。

 その子はぎくしゃくした空気を変えようと言葉をさがしてるようだったけど、はたとぼくを見つめなおした。


「あたしたち、初めて会った……よね?」

「あ、はい……」


 ぼくもようやく、その子の姿をゆっくり見ることができた。いますぐ食べられちゃうなんてことはなさそうだ。

 髪の毛と同じ、きれいな黄色の服。

 小柄だけど、敏捷そうでしなやかな体つき。

 服に黒い斑紋が散っているところはちょっぴり怖そうだったけど、優しそうな笑顔をながめるとなんだかほっとするというか、気が抜けるというか。


「あなたもしかして……はじめて学校に来る子?」


 その子が不思議そうに言う。


「そう……なのかな。すいません、なにもおぼえてなくて……」

「それって……転校生?」

「てんこうせい、ですか?」

「そう、よそから来る子を転校生って言うんだって先生が。あっほら! それってカバンだよね!?」


 その子がぴょこんと、ぼくのうしろを指差す。

 そこでぼくも気づいたんだけど、ぼくは最初っから鞄を下げてたんだ。そう、学生鞄を。

 カバン――という音が、なぜか懐かしかった。

 さっきの衝突で後ろに転がっていた鞄を、その子は興味津々の眼差しで見つめてたかと思うと、突然飛び上がってぼくの頭を軽々と越えていく。

 わぁっと、ぼくは感嘆の声をあげた。

 鞄を拾いあげるとき、その子のしっぽが元気よく跳ねた。


「転校生はこういうの持ってるんだって。はい! さっきはごめんね」


 ちょっと照れたしぐさで鞄を手渡してくれた。

 ぼくも元気が出てきて、ようやく立ち上がれた。きっと笑顔を浮かべたと思う。

 その子も嬉しそうに笑ってくれた。


「私はサーバルキャットのサーバル! よろしくね!」


 その名前が耳に心地よかった。


「はい、サーバルさん!」


 自分も名前を言おうとしてはっとする。ぼくはだれなんだろう? その考えが頭をよぎるとくらくらする。


「……あれ、そういえばあなた耳としっぽがないんだね。何のフレンズなの?」


 珍しそうにぼくを見るサーバルさんの口から出た言葉。

 フレンズ……。

 不思議な響きだった。なにかを思い出しそうな。

 サーバルさんはなんてことないように話を続ける。


「そう、たとえば……頭に羽根があれば鳥の子! ……なんだけど」


 ぼくの頭にじっと顔を寄せるサーバルさん。


「それって……帽子だよね」

「あ、はい……」


 そう、ぼくは帽子をかぶってた。

 ゆっくり手に取ってみる。それがチロル帽だってこと、そして着ているブレザーと合わせて学校へ通う制服だってことをぼくは理解する。

 たとえば台所に立つならエプロンをする。サバンナを歩くならコットンシャツにハーフパンツ……かな。

 学校へ通うなら制服だ。服には意味がある。そんなことをぼくは知っていた。


「うーん……。フードがあれば蛇の子……なんだけど」


 ぼくの背中を手で確かめるサーバルさん。


「これもない……。これは先生に聞いてみないとわかんないかも」


 サーバルさんは困ったように首をかしげる。


「先生って……学校にいるんですか」

「うん!」


 ぱっと明るい表情になる。


「それじゃ、とにかく一緒に学校へ行こうよ!」


 道の先、白い建物が見えた方角を指さしながら、サーバルさんは当たり前のようにぼくを学校へ誘ってくれる。


「ほら、あっちだよ!」


 その明るい声を聞くと、不安や戸惑いなんてなんてことない気がした。


「あの、よろしくお願いします」


 ぼくは歩き出したサーバルさんのうしろをあわてて追いかけた。







 ……と、サーバルさんが急に気づいたように立ち止まり、ぼくを振り返る。


「あれ、それまでなんて呼べばいいのかな……」


 そうだ、ぼくの名前だ。

 一瞬の間。

 あのときの感覚をなんて言えばいいのか、今も分からない。なぜかぼくの口からすっと名前が出たんだ。


「あの……かばん、で、どうでしょうか」


 じっとぼくをのぞき込むサーバルさん。宝物を見つけた猫のように大きな目を丸くしながら、ぼくの言葉をちょっとずつ飲み込もうとしてるようだった。


「……かばん……かばん、かばん!」


 ぴんとサーバルさんの背筋がのびる。


「わかったよ! かばんちゃんだね!」


 すっかり納得したように、サーバルさんは満面の笑みを浮かべた。それを見て、ぼくもちょっと照れたように笑った気がする。

 それが、ぼくたちの出会いだった。





―――――――――





 通学路……学校へ続く道をこう呼ぶんだ。

 サーバルさんとその道を歩いていると、そこには学校へ向かってるらしい子たちの姿があった。


「みなさん学校へ行くんですね」

「そうだよ! 学校にはすっごくたくさんのフレンズが通ってるからね」


 フレンズ……って、こうして学校に通う子のことらしい。


「ここは1年生寮からの道だから、みんなだいたい1年生だよ」

「1年生……」

「ほら、あの子はシマウマちゃん! あっちの子はトムソンガゼルちゃん!」


 先を歩く子たちを元気よく指差しながら教えてくれる。

 それが動物の名前だってことがぼくには分かった。いろんな子たちがいて、それぞれ違った動物の“フレンズ”なんだってことを、ぼくはあたりまえのように理解する。


「2年生、3年生だっているよ。あっ、そろそろ道が合流するから!」


 通学路が広くなると賑やかになってきた。どれだけたくさんの子が学校に通ってるんだろう。上り坂をぴょんぴょん跳ねて行くサーバルさんを追いかけながら、ぼくはきょろきょろまわりのフレンズさんたちに見入っていた。

 歩き方も背格好もそれぞれ違って、だけど楽しそうで。みんなで笑いながら連れ添う子たちもいれば、ひとり悠々と歩いてる子もいる。


 おはよう。やあやあ。


 そんな挨拶が聞こえる。

 あの黒い斑点のついた黄色い服の子は、サーバルさんと近い種類の動物のフレンズさんかも知れない。そこにグレーの髪の子が楽しそうに走り寄ってくる。

 もっと向こうには、大きな角をもった子が堂々と歩いてる。後ろ姿ながら、長くふさふさした黒髪から突き出たその角がすごく目を引いて、強そうで、もしかしてあんな子が“3年生”なのかなって思った。

 そのとき、ぼくの足元をさあっと影がかすめた。

 びっくりして見上げると、頭の上をふわりと飛んでいく子がいた。風になびく髪とスカートの朱色がかったピンクが鮮やかだった。あれが“鳥の子”かも知れない。


「あの……」


 知らない子たちに囲まれてることが心細くて、サーバルさんに話しかけようとしたとき、自分がひとりきりなのに気づいた。取り残されちゃった?

 不安で軽くパニックになりそうだった瞬間、明るい声が聞こえた。


「かばんちゃーん。こっちだよっ」


 坂のずっと向こうでサーバルさんが手を振ってる。胸のつかえがふっと取れる。

 そこが坂道のてっぺんらしく、通学路はそこから下ってるようだ。急いで駆け寄ったとき、そこからの眺めに声をなくした。


「あれが学校だよ」


 隣のサーバルさんの声を聞きながら、ぼくは正面から照りつける朝日のまぶしさに目をしばたたかせていた。

 左右を丘に囲まれた盆地に、雲のような朝もやがかかる。はるか向こうには湖らしい水面が広がって朝日を反射させている。

 澄んだ空気を吸い込むと、鳴りわたるホルンの音が聞こえるようだった。


「わあ……」


 向かい風が眼下のもやを吹き払い、広がる新緑の森が一気に目に飛び込んできた。

 そのなかに、ずらっと窓の並んだ四角く白っぽい建物がいくつか見える。その一帯は地面が平らで、森や草原とは違う特別な場所という感じがした。フレンズさんたちの姿もちらほら見える。


「これが学校……」


 建物のなかにはひときわ高い塔のようなものがあって、草原から見えたのはこのてっぺんだったらしい。ぼくにはその尖った建物だけが、なじみのない、異質なものに感じられた。

 ひとすじの川が学校を横切っていた。川は左手前から奥へと流れ、遠くの湖へそそいでいるらしい。途中で滝のように水しぶきをあげているところや、大きな水たまりをつくっているところも見える。周辺には木でつくられた階段や小屋もあって、楽しそうにたむろするフレンズさんの姿もあった。


「……すごいですね」


 すっかり見入ってしまったぼくに、サーバルさんが誇らしげに胸をはる。


「えへへ、広いでしょー?」


 サーバルさんと学校を眺めたあの朝のことを、ぼくはなんども思い返した。いまでもあの坂を登れば、当時と変わらない学校が見えるような気がする。

 サーバルさんは学校をとりまくこの世界を紹介するかのように、両手を広げて勢いよく言ったんだ。


「ようこそだね! ここがジャパリ学園だよ!」




―――――――――




「今日はみなさんに転校生を紹介しますわ」


 先生がそういってぼくを教室の前へ招くと、さっとクラスの視線が集まる。

 大きな角とスカートの斑点模様が目立つ子。黒いロングヘアのおっとりした雰囲気の子。大きなフードをかぶったツリ目の子。……どの子もみんな、好奇心に満ちた目でぼくを見てた。

 ぼくはずいぶんどもりながら自己紹介をしたと思う。といっても言えるのはさっきつけた名前くらいだ。自分がだれかも分からないまま、まわりが目まぐるしく動いていた。


「かばんさんは、なんの動物なのかまだ分からないんですの。分かったらまた紹介していただきますわね」


 先生が優しくフォローしてくれた。


「みなさん、仲良くするんですのよ」


 先生の言葉に、はーい、と返事する声が大きくひびく。みんなはぼくに話しかけたくてうずうずしてるみたいだった。

 そんな視線から逃げるようにぼくは席に座る。サーバルさんの隣でほっとしたし、座るときに小声でよろしくね! ってささやいてくれたおかげで呼吸も楽になった。


「そうそう、とくにアライさん? 転校生にちょっかい出しちゃだめですわよ」


 先生が冗談っぽくいうと教室に笑い声がひびく。

 先生はカバのフレンズで、クラスの子たちよりずっと大人っぽい。面倒見が良さそうだし、優しく話してくれるけど、怒ったらかなり迫力がありそうだ。


「そっ、そんなことしないのだ!」


 アライさんと呼ばれた子があわててイスから立ち上がり、抗議の声をあげる。


「あら、たしか今朝さっそくやらかしたって聞きましたけど」

「それはちょっと……勘違いだったのだ。転校生さん、さっきはごめんなさい、なのだ」


 しゅんとなって頭をかくアライさん。

 また教室が笑いに包まれる。

 そう、あれは通学路の坂の上でジャパリ学園を眺めていたときのことだった。







「つかまえたのだー!」


 うしろで威勢のいい声がした瞬間、背中にだれかが飛びついてきて前のめりに倒れ込んだ。

 その子が帽子をとろうとするもんだから、ぼくも気が動転して、しばらくふたりでどたばた地面を転がっていた。


「なにしてるのアライさん!」


 サーバルさんがあわてて声をかける。

 アライさんと呼ばれたその子は、ぼくの帽子をつかんだままきょとんと立ち上がった。

 ふぁあ? っと戸惑ったような声。

 ぱっちりした大きな瞳を、ぼく、サーバルさん、手元の帽子とのあいだできょろきょろ動かしてる。

 サーバルさんよりも小柄で、もっと落ち着きのないフレンズさんだ。黒っぽい髪の毛先やシマシマ模様の尻尾が印象的で、可愛らしい耳がちょこんと頭にのっている。

 いきなりでびっくりしたけど、怖い子じゃないってすぐ分かった。たぶんなにか勘違いがあったんだろう。


「アラーイさーん、あわてちゃだめだよー」


 アライさんのうしろから落ち着いた声がして、もうひとりの子がゆっくり歩いてきた。

 左右に広がった大きな耳に、ふんわりしたおおきな尻尾が目立つフレンズさん。頭をかしげるとクリーム色の髪の毛がさらっと揺れる。


「フェネック!」


 アライさんが、いたずらを見つけられた子どものような顔を向ける。


「その子の帽子はアライさんのに似てるけどー、もっと新しいみたいだし違う帽子なんじゃないかなー」


 アライさんとは正反対ののんびりした口調。フェネックと呼ばれたその子は、飄々とした微笑みを浮かべながらアライさんのそばに立った。


「そもそも狩りごっこで逃げ役をやってたのはアライさんのほうだったじゃないかー」


 お友達が落ち着いた感じの子で、ぼくはちょっとほっとした。


「そ、そういえばそうだったのだ! でもこの帽子は……」


 少しパニックになりながら、アライさんはあらためて手元の帽子をじっと見る。


「うぅ、たしかにアライさんのとは違うみたいなのだ……」


 アライさんは気まずそうにうつむきながら、おたおたと両手に持った帽子をぼくに差し出す。


「ご、ごめんなさいなのだ。なんだか間違えちゃったのだ……」

「あ、いえ、どうも」


 ぼくもちょっとどぎまぎしながら帽子を受け取る。体はすぐ動いちゃうけど、素直ないい子みたいだ。

 あとで分かったことだけど、アライさんは最近ひろった帽子をお気に入りにしていて、それがぼくの帽子とそっくりだったみたい。


「アライさんって、ホントおっちょこちょいだよね」


 サーバルさんの言葉をきっかけにみんなで笑う。アライさんだけが困ったように頭をかいている。

 だけどそのサーバルさんだって、さっき同じ勘違いでぼくに飛びかかったんだからあんまり笑えたものじゃないとは思う。


「そうなのだ! そもそも狩りごっこの途中でサーバルが勝手にいなくなっちゃったのがよくないのだ。なにをやってたのだー!」


 アライさんが思い出したように叫ぶと、サーバルさんも気づいたみたいで、視線をそらしながらえへへと笑ってごまかしていた。

 みんなは同じ1年生クラスだったので、ぼくも自然とそこに転入することになった。







「それじゃそろそろ授業に入りますわよ」


 先生がそう言うと、アライさんのおかげでにぎやかだった教室が静かになる。みんな机の上に、紙をとじた薄い束と細長い棒を――ノートと鉛筆を取り出してる。

 ぼくもあわてて、先生に手渡されたそれを広げた。


「あっそうだ、もうクラスメートなんだから……」


 隣のサーバルさんがうちあけ話のようにそっと耳打ちする。


「あたしのこと、サーバルちゃんって呼んでね。話し方も、ほら、もっと普通に」


 それからぼくはサーバルちゃんって呼びかけるようになった。自分でもおどろくくらい自然にそう呼べた。




―――――――――




 ここでジャパリ学園についてちょっと書いておこうと思う。

 授業はだいたいお昼までだ。

 先生はいろんなことを教えてくれる。

 動物たちのこと。何が得意で、どこに暮らしていて、どんなふうに毎日を生きているのか。それはここにいるみんな、ひとりひとりについて学ぶことでもあった。

 授業の内容をみんなノートに書き写していたけど、自由に書くもんだからノートの中身はフレンズさんごとに全然違ってた。アライさんは紙からはみだすくらい勢いよく絵を描いていたし、フェネックさんのノートは文字と絵がきれいに並んだ挿絵つきの本みたいだった。サーバルちゃんのノートには表情豊かな顔がたくさん描かれてるから、見ればすぐ分かった。







 そういえば最初、ぼくは隣のサーバルちゃんが黒板を読んだり、ノートに(ほとんどは絵だったけどちょっぴり)文字を書いたりするのをみて、なぜだかすごくおどろいた。


「あれ、サーバルちゃん、文字が読めるんだね」


 つい声に出してしまったので、サーバルちゃんは「え、どうしてー?」って不思議そうな顔を向ける。

 学校なんだ、もちろん誰だって字は読める。ぼくはなにを言ってるんだろう。

 それを聞いて、前に座ってたフォッサちゃんって子が、長い尻尾をゆらしながら振り返って笑った。


「サーバルみたいなおっちょこちょいが字を読めるだなんて、不思議だろー?」

「うみゃあ、そんなことないよ!」


 サーバルちゃんが反射的に出した大声が授業中の教室にひびいて、先生が「サーバルさん?」とにらむ。


「そんなに元気があまってるようでしたら、ちょっと校庭を走ってきませんこと?」


 ……なんてことがあった。ごめん、サーバルちゃん。







 授業をしてくれるのは、先生だけじゃなかった。

 ああ、それはカバ先生だけじゃないってことで、先生はほかにもたくさんいた。

 灰色と黒の毛並みがかっこいいタイリクオオカミの先生(ぼくたちはオオカミ先生って呼んでた)は、詩や物語を教えてくれた。それはすごく面白くてドキドキするんだけど、ときどき幽霊やら怪獣やらが出てきて怪しげな雰囲気になるから、みんなちょっと怖がってたと思う(なかには、その展開を楽しみにしてるような子もいたけど)。

 インドゾウの先生はすごく大きくて、踊るのがとても上手だった。歌ったり、楽器を叩いたりしながら、みんなで思い思いに踊るゾウ先生の授業は、これまたみんなに大人気だった。ただ先生があんまり踊りに夢中になるとぼくたちにぶつかっちゃうこともよくあったので、みんなけっこう気を付けてた(踊りはゆっくりしたものが多かったので、ぶつかったところでたいした心配はなかったけど)。

 ほかにもいろんな先生が授業をしてくれた。たいへんなこともあったけど、いま思えばどれもすごく楽しい時間だったと思える。

 フレンズのみんなが一緒に、この世界のことを知ろうとすること。そのことを思い返すと、ぼくはとても勇気づけられる。




―――――――――




「お昼だよー!」


 昼休みを告げるチャイムが鳴って、サーバルちゃんが楽しそうに飛び上がった。クラスのみんなも一斉に声をあげるからびっくりした。

 イスや机が床をこすって、ガタガタとすごい騒音が教室を満たす。


「お昼ごはんは食堂でもらうんだよ!」


 宝物の秘密を教えるように、サーバルちゃんは目を輝かせる。

 競うように教室を飛び出すサーバルちゃんたちに置いてかれないよう、ぼくも急いでドアへ向かった。

 そのときひとりの子がサーバルちゃんの前に飛び出した。


「サーバル! 今日は負けないのだ!」


 不敵に笑うのはアライさんだ。


「アライさん! 今日はかばんちゃんがいるから……」


 ぼくを振り返りながら、ちょっと戸惑うサーバルちゃん。

 なにか勝負ごとがはじまるのかとぼくがおろおろ見てると、ほかの子たちは気にせず通りすぎて行くのでどうやらいつものことらしい。


「問答無用なのだ! 今日もアライさんが先にジャパリまんを手に入れれば勝ちなのだ!」


 アライさんが胸をそらして宣言する。


「わかった! いいよ」


 サーバルちゃんも即答。あれ、さっき戸惑ったように見えたけど普通に乗り気なんだ。もしかして“狩りごっこ”がはじまるんだろうか。


「それじゃっ! かばんちゃん、一緒に行こっ」


 ええぇっ、ぼくも一緒なの!? ……なんて口にする間もなく、サーバルちゃんはぼくの手をひいて教室を飛び出していく。


「ふわああああああっ」


 ぼくは無我夢中で足を動かしながら、すごいスピードで走るサーバルちゃんに引っ張られて廊下を駆け抜けた。

 フレンズさんでいっぱいの廊下や階段をすり抜ける。わっとおどろいてひっくり返りそうになる子や、天井に飛び上がる子もいて、ぼくたちの前に自然と道が開かれる。

 ぼくはといえばまわりを見る余裕もなく、ぎゅっとサーバルちゃんの手をつかんでいた。

 ドキドキ高鳴る鼓動と一緒に、廊下を吹き抜ける風になったようなあのときの高揚感は、いまでも忘れられない。

 






「とうちゃーく! ここが食堂だよっ」


 ちょっと息を切らしながら、サーバルちゃんが食堂の入口を得意そうに示してくれる。ようやく立ち止まってくれてほっとした。


「……こ、ここが食堂なんだね」


 ぼくはその場にへたりこんで息を整えていた。


「あっ、ごめんね……かばんちゃんは走るのがあんまり得意じゃないんだね。大丈夫?」

「う、うん。もう大丈夫……」


 ようやくひと心地ついて、ぼくはゆっくり食堂を見渡した。

 そこは1、2階をぶち抜いた広いスペースで、すでにフレンズさんでごった返していた。これまでも通学路や教室でたくさんのフレンズさんを見てきたけど、ここにはその何倍もの子がいた。


「お昼はここでもらえるんだよ」


 サーバルちゃんの熱心な話しぶりで、お昼をどれだけ楽しみにしてるかってこと、いますぐにでも食べたいんだってことがよく分かった。

 でもぼくは、食堂の話より、そこに詰めかけたフレンズさんたちの姿にすっかり関心を奪われていた。

 色とりどりの格好。元気な子も大人しそうな子もいて、耳やしっぽのかたちもびっくりするほど多種多様で。まさに十人十色だ。


 お腹すいたよねー。どこで食べるー?


 みんな楽しそうにしゃべりながら奥へ歩いて行く。その声が反響してすごくにぎやかだった。

 奥からは美味しそうな匂いがして、ぼくは急にお腹がすいてることに気づいた。そうだ、朝からなにも食べてない!

 奥からは、まるくて柔らかそうな食べ物をもらった子たちが戻ってくる。どうやらあれがアライさんの言ってた「ジャパリまん」らしい。


「ここでアライさんがジャパリまんをもらう前に、あたしが捕まえられれば勝ちなんだ」


 サーバルちゃんが説明してくれる。そういえばいまは“勝負”の最中だった。


「アライさんが忍び込んでくるから、かばんちゃんも見つけたら教えてね!」


 なんの意味のある勝負なんだろうってふと思ったけど、サーバルちゃんがずいぶん楽しそうなので深く考えないことにした。

 それで入口のあたりでまわりをうかがってたけど、入口は他にもあるし出入りも多いから、小柄なアライさんを見つけるのは大変そうだ。

 ぼくはいろんなフレンズさんの姿が珍しくて、ついそっちにも気を取られちゃってたけど、サーバルちゃんはぴんと耳を伸ばして集中していた。いつでも飛びかかれるよう身構えるその様子はいつになくキリッとしていて、生粋のハンターのようだ。

 その耳が、ぴくっと動いた。


「そっこだー!」


 嬉しそうな大声とともにサーバルちゃんが飛び上がる。やっぱりすごいジャンプ力!

 そのままフレンズさんたちのなかにサーバルちゃんの姿が消えると、ふぎゃあって叫びがあがる。アライさんだ!


「あらららー。今日もまたアライさんの負けだったかー」


 いきなり近くで声がしたので、ぼくはひゃっと変な声を上げた。フェネックさんが隣に立っていた。


「……あ、フェネックさんも一緒にきてたんですね」


 ぼくがそう言うと、フェネックさんはお互いたいへんだねー、とでも言うような顔で笑う。


「あのふたりはねー、しょっちゅう走りまわってなきゃいけないんだよねー」

「あぁ、そうみたい……ですね」

「まあかばんさんもたいへんだと思うけどさー、仲良くつきあってあげてねー」


 フェネックさんはそう言うと、得意顔のサーバルちゃんのうしろで悔しそうにしてるアライさんに寄り添い、「また次がんばろうじゃないかー」となぐさめてる。

 そんなふたりを、ぼくはなんだかちょっといいなあって思った。




―――――――――




 フレンズのみんなは思い思いの場所で昼食をとる。

 その日、ぼくとサーバルちゃんは、アライさん、フェネックさんと一緒にお昼を食べた。広々した校庭のまわりにあるテーブルスペースのひとつで。

 校庭を横切る川が、高く昇った日に照らされてキラキラ輝いていた。校庭にはたくさんのフレンズさんがいたし、川をさかのぼった木々や草の茂る場所も食事場所になってるようだった。

 そんな光景の一部に自分がいることが不思議だった。







「今日のジャパリまんは最高に美味しいのだ!」


 アライさんが大発見でもしたように言った。

 小柄だけど元気いっぱいのアライさんは、ごはんも両手で食べ物をつかむから、全力で食事を楽しんでるように見える。


「アライさんは、昨日もそう言ってたねー」


 フェネックさんが横目でアライさんを眺めながらさらりと突っ込みを入れる。ふたりのやりとりを見るのは楽しい。


「ほら、かばんちゃんも食べて食べて」


 自分が食べるのに大忙しのサーバルちゃんが、その合間をぬって勧めてくれる。


「あ、たしかにすごく美味しいです、これ」


 ひと口かじってすぐ声が出た。

 学校でもらえるこの「ジャパリまん」は、たしかに毎日食べても飽きない美味しさだった。いろんな味があって、季節によってもメニューが変わるから、少なくともぼくがジャパリ学園にいた約半年のあいだ、食べ飽きることは一度もなかった。


「そういえばアライさん、あの帽子ちょっと見せてくれない?」


 サーバルちゃんが何気なく言うと、アライさんが得意そうな顔になる。


「ふっふっふ、サーバルはそんなにアライさんのお宝が見たいのか?」

「あれ、かばんちゃんのにそっくりだったじゃない? 確かめたくって」

「すなおに見たいと言えばいいのだ!」


 アライさんはちょっと不満げな顔をつくりながらも、嬉しいのを隠しきれない様子で、どこから出したのか帽子をぽんとテーブルの上に置いた。

 おおー……とみんなの声。

 それはまさしく、ぼくのチロル帽とそっくりな……でも少し古びて色あせた帽子だった。


「たしかにそっくりですね」とぼく。

「これは間違えちゃうよ」とサーバルちゃん。

「アライさん、これどこで見つけたんだっけー?」


 フェネックさんがそうたずねると、アライさんは待ってましたとばかりに説明する。


「アライさんがひとりで旧校舎を探検して発見したのだ! あれは歴史に残る大冒険だったのだ……」

「え、アライさんひとりで旧校舎へ行ったの?」


 サーバルちゃんがちょっとびっくりしたように言う。旧校舎ってなんだろう?


「旧校舎はねー、昔使われてた学校の一部で、あっちへちょっと歩いたところにあるんだよー」とフェネックさん。

「でも先生は、危ないから近寄っちゃだめだって言ってたよ」


 サーバルちゃんがちょっと心配そうに言う。


「ちょ、ちょっとだけ行ってみたのだ。アライさんは勇気があるのだ!」


 強引な自画自賛で胸をはるアライさん。


「なにかに追いかけられたとか言ってー、アライさん泣きながら戻ってきた日だよねー」


 フェネックさんがさらりと言うので、フェ、フェネック!? とアライさんがあわてる。


「た、たしかに、なにか恐ろしいやつがいたのだ! あれはもしかするとあの、せるりあん、というやつかも知れないのだ……!」


 アライさんがそう言った途端、一瞬場がかたまった。なによりアライさん自身が一番ショックを受けたようだった。


「あの、せるりあん、ってなに?」


 恐る恐るぼくがたずねると、ちょっと間があってから、視線を落としたサーバルちゃんが不安そうな声で教えてくれた。


「せるりあんってのは、なにか危なくって……フレンズを食べちゃうとか言われてて……でもだれも見たことないんだよぉ」

「オオカミ先生は見たことあるって言ってたけどねー」


 フェネックさんが真面目そうに言う。

 どうやら、なにか怪物みたいな存在がいるっていう噂があるらしい。急に会話のムードが変わって怖くなってきた。


「そ、そんなところから帽子を見つけてくるなんて、アライさん、すごいですね」


 雰囲気を変えようと、ぼくはなんとか話の方向をそらしてみた。


「そ、そうなのだ。アライさんはすごいのだ」


 アライさんが気を取り直したように言う。スイッチの切り替えがすごく早い。


「だれもが怖がる旧校舎にひとり潜入し、見事お宝を手に入れたのだ! この帽子は、そのアライさんの勇気を示す宝物なのだ!」


 アライさんがすっと立ち上がって帽子を高く掲げる。

 なんだかその勢いで、ぼくたちみんなもわーっと手を叩いていた。ちょっとなげやりな「わーっ」だったけど。







 そのとき、校庭全体がざわっと盛り上がった。

 みんなアライさんのスピーチに感動した……のではなく、校庭にかかった大きな虹を見上げてたんだ。


「わあっ」

「すごーい!」

「きれいだね!」


 校庭から、いや校舎じゅうからフレンズさんたちの声が響く。

 校庭には川から水を引いた池があって、そこから噴水のしぶきが校舎の高さくらい立ち昇っていた。それがくっきり七色に輝く虹をつくっている。

 暑い真昼の空気のなか、ぼくのところまでひんやりした水滴が飛んでくるのが感じられた。


「やー、お昼の噴水だね。天気がいいときだけ出るんだよー。最近は晴れ間が少なかったから久しぶりだねー」


 フェネックさんが説明してくれる。


「あはははは、すごいね、かばんちゃん!」


 立ち上がったサーバルちゃんが手を叩きながら、心の底から嬉しそうにぼくに笑いかける。

 ぼくから見るとサーバルちゃんは太陽の逆光になって、輪郭が虹よりまぶしく光って見えた。


「サーバルちゃん、ありがとう」


 あったかいお昼の校庭で、ぼくはその日はじめて自然に会話ができた気がする。


「え、どうしたのかばんちゃん?」


 サーバルちゃんが不思議そうに見つめている。

 噴水の時間は終わったみたいで、水しぶきはゆっくり消えていき、虹も少しずつ薄れていく。


「なにも分からないぼくを、学校まで連れてきてくれて、こうしてお昼にも誘ってくれて」


 朝から緊張しどおしだった気持ちがふっとゆるんで、ぼくはちょっと照れながらも言葉をつむいだ。

 虹に見入っていた学校じゅうのフレンズさんたちが、またそれぞれの場所に腰掛けて食事にもどっていく。


「……えへへ。大丈夫、かばんちゃんもすぐに学校に慣れるから」


 サーバルちゃんはちょっとはにかんだように、でもぼくの目を見ながら力強く言った。

 ぼくはそのとき、ようやく心から笑ったと思う。


「いいことを思いついたのだ!」


 突然アライさんが叫んだ。それまで座ってジャパリまんを食べていたのに、またもすごい勢いで立ち上がる。


「転校生さんも一緒に、狩りごっこをすればいいのだ!」

「アライさーん、まずはゆっくり食べなよー。消化にわるいよー」


 フェネックさんが冷静になだめる。

 笑いながら、ぼくたちはお昼をつづけた。







 さて、学校には校内放送というのがあって、ときどきいろんな連絡事項が流れる。

 その日、みんなとジャパリまんを食べていた昼休み、校内放送がぼくを呼び出した。


『……1年生のかばんさん、1年生のかばんさん。職員室まで来てください……』


 呼ばれてるのが自分だってことに気づいて、ぼくはぎょっとした。

 もちろん、ジャパリ学園に通うってことは、ただ授業に出て、お昼を食べればいいってことじゃない。

 そのことを、ぼくはすぐ知ることになったんだ。






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