第58話 活よ、元気を出せ

 善次郎は、夏ばかりに気を取られていたわけではない。

 活の面倒も、ちゃんとみている。

 夏が部屋にいなくなってから、十日が経つ。

 その間、活はずっと元気がない。

 猫は孤高の動物だと、善次郎は思っていた。

 それがため、夏を拾って家に連れ帰るとき、善次郎は少し心配だった。

 二匹が、仲良くやっていけるのだろうかと。

 かといって、夏を連れ帰るのに、躊躇はしなかった。

 親に見放され、放っておくと死にかねない姿を見ては、いくら活との折り合いが心配だからといって、そのまま見捨てることなど、善次郎には出来なかった。

 善次郎の心配は、杞憂に終わった。

 活は、どこまでも優しかった。

 善次郎と共に、夏が元気になるまで、ずっと夏の傍に付いていた。

 時には、夏の身体を優しく舐め、時には、夏を励ますように身体をくっつけて、ずっと夏を気遣ってくれた。

 先住猫がいながら、夏が傍若無人に我儘に振舞えたのは、ひとえに、活が優しかったからだ。

 どんなに我儘に振舞おうと、活は怒りもせず、夏のなすがままにさせていた。

 夏も、そんな活に懐いていたのだろう。

 活が本気で怒るようなことはせず、いつも活の側にひっついて、二匹は、まるで恋人同士のような、あるいは、仲の良い兄弟のような関係だった。

 そんな夏が十日もいなくて、活も寂しいに違いない。

 食欲は劣っていないが、活発に動き回ることはない。

 夏が来てからは、よく夏と追いかけっこをしたりして、遊んでいたものだ。

 今の活は、夏のを拾う前の、大人になって落ち着いた頃と一緒だ。

 ただ、落ち着いているのではなく、覇気がない。

 活と二人っきりでいると、善次郎は、夏が来るまでの三年間を思い出す。

 あの頃は、毎日が刺激的過ぎた。

 初めて猫を飼い、どう接してよいのいかもわからず、猫のことなどなにも知らなかったので、日々、試行錯誤の繰り返しだった。

 活の扱い方がわかず、よく、腕に勲章をつけられたりもした。

 それに、会社を潰したばかりで、活を養うのもひと苦労だった。

 ダイエットフードを買うもの、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、ささやかな楽しみの、一杯の晩酌を我慢したりした。

 活のために炬燵を買い、活のためにエアコンを買った。

 苦労もあり、大変な思いもしたが、善次郎は毎日が楽しかった。

 そんな日々が、今は懐かしく思われる。

 今でも、猫のことを熟知しているとは思わない。

 それでも、活と夏のことなら、大抵のことはわかるようになっていた。

 共に過ごした時間以上に、濃密な時間を過ごしてきたのだ。

「早く、帰ってくればいいな」

 活の背中を撫でてやりながら、善次郎が、活に話しかけた。

「ニャア」

「本当だね」

 活は、そう答えた。

 間違いなく、そう答えた。

「もう直ぐ、帰ってくるよ。元気な姿でな」

 善次郎が、活を抱いた。

 そうしても、善次郎の腕に勲章が刻まれることはなかった。

 活は、善次郎の腕の中で、大人しくしていた。

「寂しいだろうが、それまで、元気にしていろよ。夏が帰ってきたときに、おまえが病気になっていちゃ、夏が寂しがるだろ」

「ニャア」

「わかってるよ」

 活が、善次郎の腕のなかで答える。

 そのとき、玄関の開く音がした。

 活は、善次郎の腕から飛び出していった。

 美千代と洋平がいてくれて、本当に良かった。

 美千代の足に、頭を擦り付ける活。

 そんな活を、優しく抱き上げる美千代。

 美千代に抱かれた活の頭を、慈しむように撫でる洋平。

 その光景を、善次郎は目を細めて眺めていた。


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