第18話 パワーアップ

(もしかして、死んでしまうんじゃ)

 あの不安は、なんだったのか?

(活よ、早く元気になってくれ)

 毎日、祈り続けた。

 いったい、あれはなんだったのか?

(早く元気になって、部屋中を駆け回ってくれ)

 日々、願っていた。

 まったく、馬鹿みたいだ。

 今にして思う。 あおの頃が、一番平穏だったのだと。

 医者の言った通りだ。無用な心配などせず、あの時に、もっと寝ておけばよかったと。

 そう、活が、完全復活するまでに。

 あの時が、善次郎にとって、熟睡するチャンスだったのだ。

(仕方ないじゃないか)

 善次郎は、自分に言い聞かせている。

 猫なんて、飼うのも初めてだし、だとえ去勢にしろ、手術なんて初めてなのだから。

 活を、家族の一員だと思っている以上、心配するのは、当たり前のことだ。

 半ば自棄気味に、自分に言い聞かせている。

 昔飼っていた犬のことは、あまり覚えていない。

 なにしろ幼かったので、去勢したかどうかも知らなかった。

 活は、手術後三日目まではおとなしかった。その間、善次郎は、心配で心が休まることはなかった。

 今にして思えば、懐かしい。

 それから、活は、徐々に元気を取り戻していった。

 元気を取り戻したとはいえ、まだ、走り回ることはなかった。多分、手術の傷が痛むのだろう。

 当然だ。切って、縫っているのだから。

 先生の言ように、いくら動物だからって、わずか三日くらいで、痛みが取れるはずがない。

 もし、取れたとしても、抜歯するまでは、傷口が引き攣れ、違和感があるはずだ。

 その証拠に、活は、傷口をしょっちゅう舐めていた。

 善次郎は、傷に悪いんじゃないだろうかと心配して、先生に電話で訊いた。

「放っておいても問題ない。猫とは、そんなもんだ」

 素っ気ない口調で、そう言われた。

 抜糸は、一週間後だった。

 抜糸すれば、元に戻るのだろうか?

 そればかりを考え、善次郎の心は晴れなかった。

 一刻も早く、元の活に戻ってほしい。そう思い、常に活の行動を気にかけた。

 心配と不安であまり眠れず、時々目覚めては、活の様子を見る。

 眠りたくても、自然とそうなってしまうのだ。

 そして、いつしかそれが、習慣になってしまった。

 活の手術からこっち、善次郎に安眠の日が訪れることはなかった。

 善次郎は、抜糸する日を待ち望んだ。一週間が、とても長く感じられた。

 そして、待ちに待った日が訪れた。

 抜糸をしても、活の様子は、それまでとあまり大差なかった。

 また、先生に電話する。

 先生は、状況を聞き終えたあと、「心配ない」の一言を返した。

 それだけで、善次郎は安心することができた。

 活の復活を信じて、善次郎は耐えた。

 抜糸から三日後、善次郎の願いは叶った。

 活が、完全に復活したのだ。

 今では、元気過ぎるくらい、元気だ。

 それどころか、前よりも活発になっている。

 去勢すればおとなしくなるというのは、一般的な話であって、どうやら、活には当てはまらないようだ。それとも、これまでおとなしくしていた反動が出たのだろうか。

 痛みも違和感も取れた活は、前以上に、部屋の中を走り回るようになった。

 床からベッド、ベッドから壁、壁から、善次郎の肩やお腹と、善次郎が起きていようが寝ていようがお構いなしに、日に何度も駆け回り、跳躍する。

 まるで、戦車の中に撃ち込まれた弾丸が、跳弾となって、跳ね回るように。

 善次郎は、これまでのストレスを発散させているのだろうと思っていた。二日もすれば、治まるだろうと。

 しかし、活は、善次郎の予想を裏切った。一週間経っても、活の活発な行動は、治まる気配がなかった。

 確かに、ぐったりとしているより、元気なほうがいい。だが、物事には、限度というものがある。今の活は、寝ているか、食べているか、そうでなければ、走り回っているか。極端に言えば、その三つの行動しかない。

 起きている間は、朝といわす、昼といわず、はたまた夜といわず、部屋中を走り、飛び回っている。

 今の善次郎には、不安も心配もない。気分的には、ぐっすりと眠れるはずだ。

 しかし、活が、そうはさせてくれない。善次郎が眠りに就いた途端、活が飛び乗ってくる。

 まるで、わざとやっているかのようだ。

 そういったわけで、活が、完全復活した今でも、善次郎の眠れぬ日々は続いている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る